天賦の才を持ちながらアルコール依存症や躁鬱病に苦しみ、破天荒な生きざまで多くの伝説を残した中島らも(なかじまらも)さん。
娘の中島さなえさんは小説家としておなじみですが、息子はどんな方なのでしょう。
また松本人志さんやみうらじゅんさんとの関係、直木賞落選のエピソード、死因についてまとめました。
中島らものプロフィール
本名: 中島裕之(なかじま ゆうし)
生年月日: 1952年4月3日
没年月日: 2004年7月26日(52歳没)
出身地: 兵庫県尼崎市
最終学歴: 大阪芸術大学芸術学部 放送学科
中島らもとのエピソードを語る息子
中島らもさんは大阪芸術大学を卒業した1975年、ジャズ喫茶で知り合った長谷部美代子さんと結婚。
翌年4月に長男・晶穂さん、1978年6月13日に長女・早苗さんを授かります。
長女は小説家の中島さなえさんです。
彼女の話によると、「穂」と「苗」という漢字は将来食べるのに困らないようにとの願いをこめたもの。
また晶穂さんいわく、中島らもさんは口うるさい父親ではなかったとのことです。
ふだんは何も言わない父が時おり言い聞かせたことは、いじめっ子の相手はするな、心の中で笑ってやれということでした。
2002年から父のマネージャーを務めていたという晶穂さん。
マネージャーの立場からみた父は「面倒くさいおじさん」で、肉親であるがゆえに言うことを聞いてくれないこともしばしばあったそう。
亡くなった時の事故の知らせには驚いたものの、ずっと不注意で命を落とすタイプと思っていたために、さほど意外さは感じなかったそうです。
中島らもさんというと、達観した酒仙のようなイメージもありますが、実際はそうではなく、まだまだやりたいことがたくさんあったはずと晶穂さんは話しています。
息子との触れ合いは仕事だけ?
中島らもさんの世界について、フィクションとドキュメンタリーで描いた映画『らもトリップ』。
2012年の公開初日は、晶穂さんや美代子さん、漫画家のひさうちみちおさん、編集者の小堀純さんらが参加するトークショーも行われました。
当時の晶穂さんは、父親としてのらもさんについて、「あまりかまってくれなかった」と語っています。
マネージャーだったわけですから、仕事の上ではよく話をしていたことが想像できますよね。
しかし、父としてかまってもらうことが少なかったとすれば、プライベートではあまり話さなかったのでしょうか。
言い方からすると、子供の頃のことを語ったとも考えられます。
長女の早苗さんは、幼少期に宝塚で暮らしていた頃、父親がいつも家にいなかったと語っています。
早苗さんによれば、当時よく遊んでくれたのは、家によく来ていたらもさんの友人たち。
晶穂さんと一緒に買い物へ連れて行ってもらうなど、楽しい思い出があるようです。
そのエピソードからも、子供とあまり触れ合わなかったことが伝わってきます。
前述のとおり、ときどき親らしいアドバイスはしていたようですが、基本的には仕事優先だったのかもしれませんね。
父のズボンを買いに行った息子
ファンの間では、失敗談としておもらしが話題に挙がることもあるらもさん。
そしたら亡くなられた中島らも氏のエッセイをぜひ収録してほしい…。
酒ばっかり飲んでて常に下痢、そんなときに限って真っ白なズボンで出掛けて豪快に下したところ大雨に遭遇してこれ幸いだったという話を。 https://t.co/aslHguKh82— 人民だいすけ@反・反共:クローン病患者 (@dai7707) September 11, 2020
映画公開時のトークショーでも、らもさんのおもらしエピソードが飛び出しました。
ひさうちさんが一緒に九州へ行ったとき、実は前の晩におもらしをしたことを、らもさんから打ち明けられたのだとか。
そのときのらもさんは、あまり恥ずかしがる様子もなく、むしろ嬉しそうに話していたそうです。
この話を受けた晶穂さんも、マネージャー時代に父がおもらしをしてしまい、代わりにズボンを買いに行ったエピソードを披露しています。
当時の晶穂さんは忙しく走り回ったようですが、ズボンを待つらもさんは、ただぼんやりと座っていただけ。
しかも、晶穂さんが請求するまでズボンの代金を払ってくれなかったそうです。
らもさんとしては、それほど気にする必要のない出来事だったのかもしれませんね。
中島らもと松本人志は感性が似ている?
松本人志さんとは尼崎市出身という共通点があります。
生前、中島らもさんは芸人としてのダウンタウンに好意的なコメントを寄せていました。
松本人志さんとは顔立ちや雰囲気だけでなく、物ごとのとらえ方や感性も似ているという声がありますね。
そのよい例が2003年、中島さんが大麻取締法違反等で逮捕された事件でしょう。
ニュースを受けた松本さんは自身のラジオ番組で、「大麻ってそんなにあかんドラッグ?」と大胆な発言。
もともとはそんなに悪いものではなかったはずと続け、昔の偉人はみんな薬物をやっていたに決まってると主張しました。
かたや中島さんも、「覚せい剤と違い、大麻は文化」「日本の大麻取締法はナンセンス」という見解の持ち主。
海外には、合法ラインはさまざまではあるものの、大麻を嗜好品として楽しめる国や地域があるのも事実。
合法国を訪れて、こっそり大麻体験をした日本人旅行者は意外と多いかもしれません。
みうらじゅんとは旧知の間柄
みうらじゅんさんとは同じサブカルチャーの重鎮であり、おたがいの著作で対談も行った旧知の間柄でした。
80年代から朝日新聞でスタートした中島さんの『明るい悩み相談室』はユーモアを交えた回答ぶりで人気を集めた身上相談のコーナー。
その挿絵を担当した一人がみうらじゅんさんです。
私がマスクをきちんとつけるようになったのは、このみうらじゅん先生のイラストのおかげと言っても過言では無いです。
(中島らものますます明るい悩み相談室より) pic.twitter.com/i1x6q61PRd— のんべー (@gaUi0SNsTNjBRQ3) May 6, 2022
お酒に酔った状態で逝ってしまったのがあの人らしい、と振り返るみうらさん。
その「らしい」というのが良かったのか悪かったのかは本人しかとわからないと言葉を継いで、複雑な心境をのぞかせています。
中島らも、直木賞に恨みの発言
『人体模型の夜』『ガダラの豚』『永遠も半ばを過ぎて』で三度直木賞候補になるも、いずれも賞を逃した中島らもさん。
周囲には「これからは俺をオッチーと呼んでくれ」と自虐的なジョークをとばしていたそうです。
作風が選考委員の好みに合わなかったことが落選の理由といわれていますが、ここで気になるのが選考委員の顔ぶれですね。
調べたところ、『人体模型の夜』が候補となった 第106回と、『ガダラの豚』の第109回の選考委員は9名。
陳舜臣さん、平岩弓枝さん、五木寛之さん、渡辺淳一さん、井上ひさしさん、田辺聖子さん、黒岩重吾さん、山口瞳さん、藤沢周平さんでした。
『永遠も半ばを過ぎて』の第112回は、このうち陳舜臣さんを除いた8名でした。
ちなみに第109回の受賞作は高村薫さんの『マークスの山』と 北原亞以子さんの『恋忘れ草』で、第112回は受賞作なし。
中島さんは三回とも選外になったことの悔しさや恨みをエッセイなどで明言しており、それは「権威」への反発ともとれるものでした。
権威の象徴として槍玉にあげられたのが渡辺淳一さんです。
いわく、「渡辺淳一の選評を読んで、なんてバカなヤツだと思った」。
一定のレベルに達した小説は設定に違いがあるだけで、どちらが優れているかを議論するのはミスコンよりナンセンスと持論を展開しています。
中島らもの死因は脳内血腫
破天荒な人生を送った中島らもさんは、その逝き方も破天荒でした。
2004年7月15日、神戸で友人のライブに飛び入りで参加し、その夜は打ち上げでお酒を飲んでいたそうです。
日付が変わった16日未明、中島さんは飲食店の階段から転落して頭部を強打。
意識不明のまま救急搬送され、緊急手術を受けました。
重篤な脳へのダメージからHCUに入り、美代子夫人らの懸命な看病が続きますが、やがて自発呼吸ができない状態に。
かねてからの本人の意思にしたがい、人工呼吸器を停止しました。
亡くなったのは26日で、死因は脳挫傷による外傷性脳内血腫です。
52歳でした。
数々の名作と伝説、そして鮮烈な印象を残してこの世を去った中島らもさん。
いろいろな生き方があっていいんだと思わせてくれる作品群に背中を押され、元気づけられた読者は多かったことでしょう。
中島らも、作品の特徴
コピーライター、ミュージシャン、劇団主宰者、俳優などフィールドを超えて活動し、多才ぶりを発揮した中島らもさん。
執筆ジャンルも小説、エッセイ、戯曲、新作落語、バラエティ番組のコントなど実に多岐にわたりました。
中島作品の特徴は著者自身の自由奔放な生き方を反映した退廃的な世界観。
多くの作品にはジャンキーやアルコール中毒者、犯罪者といったドロップアウト組が登場しますが、彼らについては一貫して「だからなんだというのだ」というスタンスです。
社会的弱者に対する温かなまなざしに心打たれる読者もいれば、生きたいようにしか生きられない自分の弱さに苦悩する登場人物の人間臭さに共感を覚える読者もいるでしょう。
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