ナンシー関、天才の理由。マツコ・松本人志から尊敬。有吉を見抜き、蓮舫を社会派バカ扱い

テレビに映る芸能人・有名人の顔からすべてを見抜き、それをあまたの批評に書き、さらに消しゴムに彫り倒したナンシー関(ナンシーせき)さん。

2002年6月に39歳の若さで、虚血性心不全により逝去されました。

鬼の観察眼とユーモアに満ちた言葉は現在も古びることがなく、逝くのが早すぎた天才と惜しむ声があがっています。

今回は彼女の「顔面至上主義」という批評スタイルに迫りながら、マツコ・デラックスさん、有吉弘行さん、ダウンタウンの松本人志さん、蓮舫さんにまつわるエピソードをご紹介します。

天才コラムニストにして世界初の消しゴム版画家だったナンシー関

1980年代末から2000年代初頭にかけて、消しゴム版画の似顔絵と忖度なしのコラムで時代の寵児となったナンシー関さん。

稀代のテレビウォッチャーにして人類初の消しゴム版画家でもありました。

挿絵の消しゴム版画に使うのは普通の消しゴムとカッターのみ。


絵に添えられた、その人物を一言で表すキャプションの切れ味に思わず笑ってしまった経験のある方は多いでしょう。

例えば、秋元康さんの似顔絵には「マルチに小商い」。

またある時は、柔道選手のヤワラちゃんこと田村亮子(現在は谷亮子)さんの政界入りを予言。

シニカルで鋭く、かつユーモアに満ちた批評は今でも少しも古さを感じさせません。

それどころか、天才的なご意見番として彼女を惜しむ声が年々増えているようです。

生前ナンシー関さんは、「私は顔面至上主義」と語ったことがありました。

これはどういうことかというと、テレビ画面に映るものだけを目を皿のようにして見るということ。

画面に映るものがすべてというのは、視聴者と同じ立ち位置であることを意味します。

一人暮らしのマンションには数台のビデオデッキを設置してテレビを観察していたというナンシーさん。

その才覚はテレビ関係者だけでなく、文筆家や学術界の人間からも絶賛されていました。

コラムニストの小田嶋隆さんは、彼女は着眼点と説明の両方が際立っていたと分析。

この二つが並び立つコラムニストは意外にも少ないのだそう。

誰も気づかないポイントを見透かす眼力と、それを論理的に説明する技術があったということですね。

また共著もある民俗学者の大月隆寛さんは、彼女のポテンシャルはコラムニストの枠におさまりきらなかったと絶賛。

ナンシーさんの時評には、私たちがテレビを見て心に引っかかっていたモヤモヤをスバリと言語化してくれる快感がありました。

逝くのが早すぎた天才といわれることに異を唱える人はまずいないでしょう。

マツコはナンシー関をリスペクト

「これ、ちょっと変だよね」という批評眼がナンシー関さんに通じるということで、たびたび比較されるマツコ・デラックスさん。

かたや視聴者の立場を貫いた人、かたやテレビ画面の中に入った人という違いはありますが、「越えてはいけないライン」をわきまえているという点で二人は共通していると思います。

かつて二人は雑誌『クィア・ジャパン VOL.3』で伏見憲明さんとともに鼎談(ていだん)したことがありました。

当時マツコさんは芸能界にデビューする前。

今や「オネエ枠」を超えた人間力の高さで高い支持を得ているマツコさんですが、「ナンシー関の後継者」と呼ばれることについては気が進まないようです。

その真意は、朝日文庫から再版された『評伝 ナンシー関』の帯に寄せたマツコさんの言葉に表れていました。

これほど命をすり減らして仕事はできないという言葉からは、大先輩へのリスペクトや恐れ多い気持ちを感じとることができます。

有吉のふてぶてしさを見抜いた先見性

90年代、猿岩石でアイドル的な人気を博すも失速し、その後は雌伏の時を過ごした有吉弘行さん。

見事に二度目のブレイクを果たしたわけですが、毒舌キャラが鳴りを潜めていた猿岩石時代から、そのふてぶてしさをいち早く感じとり、「我々は有吉を間違えて解釈しようとしてたかもしれない」と記していたのがナンシー関さんでした。

有吉さんの発言によると、当時の自分の眼の奥が死んでいるのを見破ったのはナンシー関さんと東野幸治さんだけとのこと。

シングルのリリースなど芸人とはかけ離れた活動をする中、お笑いで勝負したいという気持ちを押し殺していたのでしょう。

「見破った」という表現には、よくぞ自分の本質を見抜いてくれたという嬉しさもにじんでいるように思えます。

二度目のブレイクのあと、「昔から有吉は面白かった」という声もちらほら聞こえてきましたが、これらは後出しジャンケンと同じですね。

ダウンタウンの松本人志にも一目置かれたナンシー関

ダウンタウンの松本人志さんがナンシーさんを高く評価していたのは有名な話です。

1994年の『CREA』5月号では二人の対談が実現し、この時に松本さんは「お笑いをしっかりと批評できるのはナンシーさんとみうらじゅんさんだけ」と発言。

この一件でナンシーさんは「松本人志が太鼓判を押した人」となり、テレビ関係者からも一目置かれる存在になっていきます。

一方、「孤高の人」と松本さんを評したナンシーさん。

同時代に活躍する芸人とコラムニストとして、おたがいに共通点のようなものを見出していた可能性があります。

蓮舫の消しゴム版画には「社会派バカ」

タレントから知識人へと変貌しつつあった頃の蓮舫さんには「社会派バカ」の称号を贈りました。

それは蓮舫さんが『3時にあいましょう』の司会を務めていた頃のこと。

不動産売買の利益をめぐり、弟が兄を銃で撃つという事件が起こります。

蓮舫さんは、「土地問題ですね、政府には本当にどうかしてもらいたいものです」とコメント。

このコメントはナンシーさんによって、この手の事件を3時台のワイドショーで取り上げる狙いを理解していないと斬られることになりました。


のちに蓮舫さんは政界入りを果たしていますから、「社会派バカ」の見立ては当たらずとも遠からずというところでしょうか。

社会も芸能界もあいかわらす話題が尽きません。

もし存命だったら、彼女なら昨今の世相をどんなふうに語っただろうかと思う人は多いにちがいありません。

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