猪俣公章の自宅。妻と子供、家族について。坂本冬美との師弟関係

『おふくろさん』や『祝い酒』など、数え切れないほどの名曲歌謡を手掛けた、作詞作曲家の猪俣公章(いのまた こうしょう)さん。

わずか55年の生涯で、多くの名曲と弟子を世に送り出しました。

今回は猪俣さんの自宅、妻と子供、家族について確認します。

併せて坂本冬美さんとの師弟関係に迫ります。

猪俣公章のプロフィール


本名:猪俣公章(いのまた きみあき)

生年月日:1938年4月11日

死没:1993年6月10日

身長:不明

出身地:福島県河沼郡会津坂下町

最終学歴:日本大学芸術学部音楽科

猪俣公章の自宅は?

まず猪俣さんの自宅についてです。

かつて弟子を自宅に住まわせ、親身に育て上げたことで知られていますが、具体的にどんな家だったのでしょう。

猪俣さんは中原街道の洗足池付近に住んでいたことがわかっています。

自宅では、弟子たちに炊事や家事を担当させていました。

玄関の右手にレッスン室、隣の部屋には寿司カウンターがあり、毎晩酒盛りをしていたそうです。

築地で魚を仕入れ、寿司を握るのは、もちろん弟子の仕事。

用意ができたら、みんなで楽しく寿司をつまみ、酒を飲むのです。

豪快な性格でありながら、1人で飲むのは寂しがるという、魅力的な二面性がうかがえますね。

猪俣公章の妻、子供。家族について

次に猪俣さんの家族について確認しましょう。

1991年、53歳の年に、一般女性と結婚した猪俣さん。

妻は19歳年下だったそうです。

晩婚でしたが、第一子をもうけています。

しかし結婚からわずか2年後、猪俣さんは肺がんによって亡くなりました。

幸福な時間は短く終わってしまったのです。

妻と子供は一般人のため、詳細はわかりません。

ネット上には、弟子である坂本冬美さんと猪俣さんの間に子供がいるという噂もありますが、これはデマ。

坂本さんやマルシアさんといった弟子を、自宅に住まわせて育てていたため、このような噂が生じたのでしょう。

実際の家族は、晩年に結ばれた妻と、子供1人しかいません。

しかし弟子のマルシアさんは、猪俣さんを「日本の父」と呼び、敬愛し続けています。

猪俣さんにとって、弟子は家族同然だからこそ、自宅に住まわせ手塩に掛けて育成したのでしょう。

晩年まで家族を持たなかった分、弟子たちを子供のようにかわいがり、愛情深く育て上げたのかもしれませんね。

猪俣公章と坂本冬美の師弟関係


坂本さんが猪俣さんの内弟子になったのは、1986年4月でした。

坂本さんは高校卒業後、会社員として働きながら、カラオケ教室で演歌歌手になるべく特訓していました。

NHKの「勝ち抜き歌謡天国」で名人に選ばれたのち、歌唱指導担当だった猪俣さんにすすめられ上京。

およそ半年間、内弟子として修業に励むのです。

そして翌年、師匠が手掛けた『あばれ太鼓』でデビューしました。

日本レコード大賞を始め、新人賞を総なめにした坂本さんですが、初期は男歌をメインに歌っています。

男くさい曲ばかり提供する猪俣さんに対し、「この曲は売れないですね」と発言し、雷を落とされたこともあるそうです。

人気絶頂の時期、つい不遜な発言をしたのでしょう。

そんな弟子を、猪俣さんは厳しくしつけながら、常に愛情深く支え続けました。

結果的に約半年間、2人は師弟として日々を送っています。

猪俣さんの自宅に住み込んでいる時期、坂本さんがメインで行っていたのは、お茶くみや接客、譜面のコピーなどの雑事でした。

歌唱指導よりも、雑事が多かったとのことですが、歌唱力は初めから十分に認められていたためでしょう。

歌唱力に優れ、可能性を秘めている歌手でなければ、わざわざ自宅に住まわせてまで育てないはず。

それ以上に、トップスターになってもおごらないよう、下積み時代にふさわしい雑事をやらせていたのかもしれませんね。

今でも師匠のことを思い、敬愛し続けている坂本さん。

2019年には師匠の生誕80周年を記念し、10曲の猪俣作品を披露するコンサートを開催。

同じく弟子だったマルシアさんと共に、一夜限りのステージを彩りました。

坂本さんにとってマルシアさんは、かわいい妹弟子にあたります。

和歌山とブラジルから、それぞれ上京し、初めて友達になった2人。


師匠とのつながりを通じ、強いきずなで結ばれてきたのでしょう。

2人にとって、面倒見がよく、頼もしい存在だった猪俣さん。

猪俣ファミリーは今後も、力強く歌謡界を生き続けることでしょう。

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