ワイドショーのコメンテーターを務めるなど、お茶の間でもすっかりおなじみの顔となったなかにし礼(なかにしれい)さん。
直木賞作家であり、時代を彩る名曲の数々を手がけたキャリアの長い作詞家でもあります。
ドラマ化されて話題を呼んだ著作『兄弟』は、実の兄に振り回された半生を描いた自伝的小説でした。
兄の死因や兄の借金をはじめ、なかにし礼さんにとっての母の存在、食道がんを克服した闘病生活などをまとめて紹介します。
なかにし礼の壮絶な過去。兄の死因は?
1998年に刊行され、直木賞候補になった『兄弟』は、なかにし礼さんの実体験に基づいた小説です。
テレビ朝日の開局40周年スペシャルとして、『兄弟~兄さん、お願いだから死んでくれ~』というタイトルでドラマ化されました。
物語は16年前に絶縁した兄の訃報を受けた主人公が、兄の死を感謝するというショッキングなシーンで始まります。
なかにし礼さんの兄の直接的な死因は不明ですが、14歳年上の兄は特攻隊の生き残りでした。
父親の死後は一家の大黒柱として頼りにされるはずでしたが、戦争体験を経て、人が変わったように破滅的な性格になっていたそうです。
その自暴自棄な精神状態に一家は巻き込まれていくことになりました。
なかにし礼さんが以前の兄に抱いていた印象は、けんかが強く、アコーディオンを華麗に弾きこなす、おしゃれで頼れる兄。
ところが戦後の兄は、事業に失敗しては借金を繰り返す、横暴で破滅的な兄。
戦争が一人の人間に及ぼす影響について、改めて考えさせられる事例です。
けんがが強い、頼れる兄でさえも、人生観や人格を破壊されるほどの体験をしたのでしょう。
兄の死に顔を見る気はなかったというなかにし礼さん。
しかし兄の戦友から戦争の悲惨さを聞かされ、虚勢を張らなければ生きていけなかった生き残りたちの悲しみを知って、ようやく顔を見る決心をします。
そして、いざ兄の顔を見た時、あれほど苦しめられ、憎んでいた兄なのに、涙があふれてきたそうです。
兄の借金の肩代わりをしていたなかにし礼
シャンソンの訳詞の仕事で生計をたてられるようになり、最初の結婚をしたなかにし礼さん。
その後、歌謡曲の歌詞を書き始め、それが次々にヒット。
家計も潤い、半身不随になった母の面倒をみていた兄夫婦と同居生活を始めます。
ところが兄はお金を勝手に使いこみ、働いても働いても借金が増えていく生活に。
その借金の肩代わりをしていた時期があったようです。
やがて兄はニシン漁などの事業の度重なる失敗から多額の借金を抱えることに。
それでも兄弟の縁を絶たなかったのは、病気の母を介護してくれていた兄嫁の存在があったからでした。
あげくの果てには、兄はもう自分では借りられなくなったのか、弟の名義を拝借するようになったといいます。
印税を使いこむ兄を告訴もできず、日々作詞の仕事に追われるなかにし礼さん。
不幸中の幸いがもしあるとすれば、この頃のハードワークがなかにし礼さんの才能を開花させるのに一役買ったかもしれないということでしょう。
兄は、地獄を見なければ、よい歌詞は書けないとよく言っていたそうですが、この言葉の意味は納得できるものです。
しかし、やがて母が亡くなり、なかにし礼さんはとうとう兄と縁を切る決心をします。
なかにし礼の母は人生最大のヒロイン
なかにし礼さんは、1938年、旧満州で生まれました。
両親はその5年前に北海道の小樽から旧満州に渡り、醸造業、ガラス工場やホテル経営で成功をおさめていたそうです。
少年時代は「坊ちゃん」と呼ばれ、裕福な家庭で育ちました。
そんな生活が一変したのは、1945年8月、旧ソ連が日本に宣戦布告し、旧満州に侵攻してから。
出張中だった父を残し、母、姉との逃避行が始まります。
紛れ込んだ軍用列車に敵軍の戦闘機が迫り、列車から逃げようとすると、母は「ここに隠れていなさい」と言い、なかにし礼さんを座席の下に押し込みました。
母と姉は列車を飛び降りて逃げたそうです。
列車は機銃掃射に襲われ、多くの乗客が死亡。
襲撃後に戻ってきた母は、今度は息子にこう言い聞かせました。
この先は母の言うことさえ信じてはいけないこと。
自力で逃げのび、生きること。
この言葉が、まだ6歳だったなかにし礼さんの意識を変え、大人に成長してがんを患った際も生きる力になったといいます。
わが子にこう諭さなければならなかった母のつらい胸中、戦争の過酷さ、不条理さを感じるエピソードです。
母のことを「わが人生最大のヒロイン」と言うなかにし礼さん。
その母をモデルに、旧満州からの引き揚げ体験を描いた『赤い月』はロングセラーとなり、映画化・テレビドラマ化・ラジオドラマ化されています。
なかにし礼の息子・娘・孫の現在
なかにし礼さんは二度の結婚生活で一男二女をもうけているようです。
初婚で授かった長女については情報がまったくありません。
しかし、最初の妻との結婚が1963年の秋で、5年後に離婚していることから、長女の2023年現在の年齢は50代とみていいでしょう。
再婚後、1972年4月22日に誕生した息子が音楽ディレクターの中西康夫さんです。
若手ミュージシャンの育成やイベント運営に携わっています。
康夫さんは2000年に女優の有沢比呂子さんと結婚しましたが、有沢比呂子さんは2015年12月11日、心不全のため43歳で急逝。
葬儀は「静かに送りたい」という遺族の意向で、近親者のみの密葬で行われたそうです。
ツイッターからもうかがえるように、康夫さんは仕事とプライバシーをきっちりと線引きするタイプのようですね。
他界した妻との間に子供がいるかどうかはわかりませんでした。
なかにし礼さんが再婚した妻との間にもうけた娘は夏奈子さん。
インタビューから、2015年の時点で33歳であることがわかっていますので、1981年か1982年の生まれでしょう。
夫はローランさんというフランス人の作家とのことで、娘のキアラさんも誕生しています。
なかにし礼さんの孫にあたりますね。
2018年には、7歳になる孫娘と七五三をお祝いしたそうです。
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