大原麗子の晩年、孤独死の真相は?病気と死因。家の現在について

美貌のヒロイン女優として数々の映画やドラマで活躍した、大原麗子(おおはら れいこ)さん。

しかし晩年は悲惨で、2009年に亡くなった際、最期は孤独死だったと報じられました。

今回は大原さんの晩年、孤独死の真相に迫りつつ、病気と死因を確認します。

また亡くなった現場である家は、今どうなっているのか見ていきましょう。

大原麗子のプロフィール


本名:飯塚麗子

生年月日:1946年11月13日

死没:2009年8月3日

身長:157cm

出身地:東京都文京区

最終学歴:北豊島高等学校

大原麗子の晩年

大原さんは、1999年頃から病気を患い、晩年は活動休止していました。

そのため晩年の様子は謎が多いものの、一説では多くの女優仲間と絶交し、孤独に過ごしていたそうです。

絶交した女優仲間として、鹿沼絵里さん、浅丘ルリ子さん、森光子さんの名前が挙がっています。

いずれの人たちも、大原さんからの長電話に苦しめられていたそうです。

深夜にもかかわらず、延々と愚痴を聞かされることに嫌気がさして、3人はいずれも絶交したとのこと。

大原さんは病気やケガによって仕事を停止せざるを得なくなったため、ストレスを抱え込んでいたのでしょう。

現役時代はしっかり台本を読み込み、役柄を研究する、ストイックな女優でした。

仕事人間だったからこそ、活動できなくなってしまった苦しみを味わっていたはず。

おそらくうつ状態に陥り、冷静な判断能力が鈍っていた可能性もあります。

夜も寝られなくなった結果、救いを求めて長々と電話をかけてしまったため、友人たちから見放されたのでしょう。

さらに休業して稼ぎがないにもかかわらず、豪邸の維持費や生活費の支払い、車椅子の母を介護する必要もありました。

高級品をすべて売り払い、年金のくり上げ受給手続きをしますが、年金額の少なさに不満を漏らしていたそうです。

大女優にもかかわらず、経済的に困窮していた大原さん。

苦しみを抱えながら、活動再開へ向けて、必死にリハビリや筋トレに励んでいました。

しかし努力は報われず、2009年8月、62歳で亡くなってしまうのです。

孤独死の真相は?病気と死因

死亡している大原さんが発見されたのは、2009年8月6日。

連絡が取れないことを不審に思った弟と、通報で駆けつけた警察が見つけました。

自宅2階の寝室で、仰向けに倒れていたそうです。

15cm先にある携帯電話を取るため、手を伸ばしている状態だったといいます。

倒れてからしばらく意識があり、自分で通報しようとしていたのでしょう。

大女優でありながら、最期は悲惨な孤独死を遂げたのです。

解剖の結果、すでに8月3日には亡くなっていたと推定されました。

死因は、不整脈によって起こった、脳内出血だったそうです。

真夏だったため、遺体はかなり傷んでいたといいます。

大原さんが最初に休業したのは、1999年頃に発症したギラン・バレー症候群が原因です。

歩行困難になることで知られる神経障害の一種で、大原さんは1973年に初めて発症しました。

いったんは治ったものの、99年頃に再発したとのことで、休業に至ります。

休業中に主治医が亡くなっていますが、それがショックだったようで、うつ病も発症。

さらに二重まぶたの整形手術に失敗し、まぶたが膨らんでしまって以来、引きこもりがちになっていたそうです。

2008年には自宅で転倒し、右手首を骨折、膝も打撲してしまいます。

度重なる病気やケガで、精神が不安定になっていたことは確かでしょう。

友人たちに長電話をかけたのも、彼女なりのSOSだった可能性が、やはり高いようです。


「お別れ会」で浅丘ルリ子さんは、「不平だらけの長電話に出たくなかった。でもちゃんと受け止めるべきだった」と語りました。

誰からも受け入れてもらえず、救いを得られなかった大原さん。

数々の名演を残してくれた女優が、悲惨な最期を迎えなければならなかったことに、胸が痛みますね。

大原麗子の家、世田谷豪邸の現在

大原さんが亡くなった当時、家には黄色いテープが張られ、立ち入り禁止となっていました。

2023年現在、家はどうなっているのでしょう。

彼女の自宅は、世田谷区岡本にある豪邸でした。

2015年9月、TBSの番組「私の何がイケないの?」に、弟の政光さんが出演。

番組内で、豪邸が売却されたことを明かしました。

同年8月の七回忌後、翌月に売却されたといいます。

生前に大原さんは、「豪邸を売る時も、形は残して欲しい」と希望していたため、売却後も取り壊されなかったようです。

売却時の値段は2億5千万円。

高額のため大原さんの死後、6年間は買い手がつかなかったそうです。

広い車庫に植物も植わっている、非常に立派な外観だった豪邸。

しかしストリートビューで確認したところ、既に当時と異なる建物が建っています。

調べてみると、豪邸は2019年に取り壊されたことがわかりました。

「残して欲しい」という遺言を守るのも、維持費や管理費の問題で難しかったのかもしれません。


ひっそりと世を去った大原さん。

往年の名演を鑑賞し、波乱に満ちた生涯に思いを馳せることで、彼女の人柄を偲びたいですね。

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