大原麗子、渡瀬恒彦と森進一との結婚。馴れ初めと子供について

大河ドラマ『春日局』で主演を務めた他、さまざまなドラマや映画で活躍した大原麗子(おおはら れいこ)さん。

ミステリアスな雰囲気をまとう女優だったため、私生活はあまり知られていなかった印象があります。

そんな大原さんの元夫は、俳優の渡瀬恒彦さんと、歌手の森進一さんでした。

今回は3人の関係について、結婚、馴れ初めエピソード、子供はいるのか確認します。

大原麗子のプロフィール


本名:飯塚麗子

生年月日:1946年11月13日

死没:2009年8月3日

身長:157cm

出身地:東京都文京区

最終学歴:北豊島高等学校

大原麗子の元夫は渡瀬恒彦

大原さんが初めて結婚したのは1973年、相手は俳優の渡瀬恒彦さんでした。

1978年に離婚するまで、5年間の夫婦生活を送っています。

当時の渡瀬さんは、東映専属の俳優として活躍しており、京都にある東映撮影所がメインの仕事現場でした。

そこで彼は、「2人で京都に引っ越そう」と大原さんに提案。

しかし彼女の仕事現場は、基本的に東京の撮影所でした。

すでに人気を確立していた大原さんが、東京を去って京都に住むのは、無理があったのです。

結果的に理想の夫婦生活を送れず、すれ違いが生じたため、5年で離婚に至ったとのこと。

やむを得ない事情での別離だったため、2人は離婚後も交流を続けていました。

後年の大原さんは整形手術の失敗を経て、うつ病や神経障害を患っています。

ストレスのためか周囲に悪態をつき、徐々に芸能界から孤立していきました。

そこで渡瀬さんは自身の代表作「十津川警部シリーズ」の『東北新幹線「はやて」殺人事件』に大原さんを出演させました。

彼女にとって最後のドラマ出演となりましたが、思いやり深い渡瀬さんと共演を果たし、満足だったことでしょう。

渡瀬さんは離婚後、い保さんという女性と再婚し、2人の子供たちと幸福な生活を送りました。

しかし大原さんは、2009年、自宅で孤独死しています。

渡瀬さんは彼女の最期を悲しみ、「お別れの会」や七回忌など、節目のイベントに必ず出席しました。

そして彼も2017年、胆のうがんで72年の生涯を終えます。

2015年、大原さんの七回忌に参列した際、すでに体調が悪かったそうです。

しかし病魔に侵されながらも、かつて愛した女性の墓前に赴き、彼女の死を悼みました。

「別れたとはいえ、僕の妻でしたから」と、彼女への思いを語った渡瀬さん。

大原さんを幸福にできなかった責任を、最後の瞬間まで感じていたのかもしれません。

再婚相手は森進一

大原さんは渡瀬さんと離婚後の1980年、歌手の森進一さんと再婚しました。

しかし4年後に、再び離婚しています。

2人の離婚についてはさまざまな噂が流れていますが、実際のところは、価値観のズレが原因の破局だったようです。

森さんは妻に対し、家庭を重視して欲しかったそうですが、大原さんは仕事を優先。

「一生、女優でありたい」と彼女が語った時点で、夫婦生活がうまくいかないことは目に見えていました。

離婚会見で森さんは、「理想の家庭ができなかった」と理由を説明。

それに対して大原さんは、「家庭に男が2人いた」と語りました。

夫婦が共に仕事の絶頂期にあったため、家庭を重視する余裕がなかったのでしょう。

価値観が異なる2人は、やがて互いを思いやる余裕すら失ってしまったのかもしれません。

結婚、馴れ初めエピソード

そもそも大原さんは、なぜ渡瀬さんと森さんとの結婚を決意したのでしょう。

それぞれの結婚と馴れ初めについては、とくに情報がありません。

ただ最初の結婚については、先輩だった大原さんの方から、駆け出しの渡瀬さんを好きになったそうです。

彼女にとって好みの男性は、「毅然としている強い人」であると同時に、「繊細で大人しい人」でした。

渡瀬さんは幼少期からケンカが強く、男らしい性格の反面、女性に対しては優しかったようです。

彼の性格は、まさに「大原好み」の人柄だったのでしょう。

大原さんは自宅マンションに、渡瀬さん専用の電話を設置し、それが鳴ると時間帯にかかわらず必ず受話器を取りました。

生活スタイルの違いによって離婚せざるを得ませんでしたが、彼女にとって「王子様」に近い男性だったのでしょう。

森さんと大原さんは、かつてナベプロの同期だったため、お互いにデビュー当時から交流がありました。

同期で気心の知れた仲だった2人。


結婚生活がうまくいっていなかった時期の大原さんにとって、森さんと過ごす時間は安らげたのかもしれません。

「家庭優先」を結婚の条件として提示した彼に対し、「努力する」と答えながらも、結局女優業を優先。

しかし女優への未練を断ち切れていたとすれば、家庭では幸福を手に入れていたかもしれませんね。

大原麗子の子供

大原さんには子供がいませんでした。

仕事を優先した女優ですから、子供を望んだことがなかったとされてきました。

しかし実は、渡瀬さんと森さんとの子供を、それぞれ妊娠した経験があります。

弟の政光さんによると、彼女は渡瀬さんとの結婚前に彼の子を妊娠したとのこと。

しかし子宮外妊娠だったことで、胎児は死んでしまったのです。

緊急手術の際、渡瀬さんから輸血してもらった大原さんは、「彼の血が私の中に流れているのが嬉しい」と語りました。

子供は残念な結果に終わりましたが、愛する人の血を分けてもらえたことは、何よりの喜びだったのでしょう。

また森さんとの子供は、妊娠後に中絶しています。

政光さんに対して、「中絶したいから病院を紹介して」と頼んだそうです。

ドラマに出演していたため、お腹が膨らむと仕事に支障が出てしまう恐れがあり、中絶を決意したということでした。

身ごもった子供を手放してまで、仕事に情熱を注がなければ、女優として失格という風潮が当時はあったのかもしれません。

そもそも「家庭」を優先しない女優は、結婚生活で幸福になれないという常識も、すでに時代遅れでしょう。

ただし「結婚も子供も諦め、女優人生を貫いた」という彼女へのイメージは、世間が望む「大女優」のイメージそのものです。

「女優であり続けるには、私生活での幸福を手放さなければならない」という風潮の理不尽さを、考えさせられるエピソードですね。


今になって、大原さんの中絶について話題にしたところで、彼女の魂は浮かばれないことは確かです。

ただ彼女のエピソードを知った芸能関係者が、女優に対する認識を少しでも改めてくれれば、女優もより生きやすくなることでしょう。

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