大河ドラマ『春日局』で主演を務めた他、さまざまなドラマや映画で活躍した大原麗子(おおはら れいこ)さん。
ミステリアスな雰囲気をまとう女優だったため、私生活はあまり知られていなかった印象があります。
そんな大原さんの元夫は、俳優の渡瀬恒彦さんと、歌手の森進一さんでした。
今回は3人の関係について、結婚、馴れ初めエピソード、子供はいるのか確認します。
大原麗子のプロフィール
本名:飯塚麗子
生年月日:1946年11月13日
死没:2009年8月3日
身長:157cm
出身地:東京都文京区
最終学歴:北豊島高等学校
大原麗子の元夫は渡瀬恒彦
大原さんが初めて結婚したのは1973年、相手は俳優の渡瀬恒彦さんでした。
1978年に離婚するまで、5年間の夫婦生活を送っています。
渡瀬恒彦さんと大原麗子さん pic.twitter.com/9zeBfe2STn
— 亀山💛右京 (@kameyama_ukiyou) March 22, 2024
当時の渡瀬さんは、東映専属の俳優として活躍しており、京都にある東映撮影所がメインの仕事現場でした。
そこで彼は、「2人で京都に引っ越そう」と大原さんに提案。
しかし彼女の仕事現場は、基本的に東京の撮影所でした。
すでに人気を確立していた大原さんが、東京を去って京都に住むのは、無理があったのです。
結果的に理想の夫婦生活を送れず、すれ違いが生じたため、5年で離婚に至ったとのこと。
やむを得ない事情での別離だったため、2人は離婚後も交流を続けていました。
後年の大原さんは整形手術の失敗を経て、うつ病や神経障害を患っています。
ストレスのためか周囲に悪態をつき、徐々に芸能界から孤立していきました。
そこで渡瀬さんは自身の代表作「十津川警部シリーズ」の『東北新幹線「はやて」殺人事件』に大原さんを出演させました。
彼女にとって最後のドラマ出演となりましたが、思いやり深い渡瀬さんと共演を果たし、満足だったことでしょう。
『十津川警部シリーズ33 東北新幹線「はやて」殺人事件』(2004)。渡瀬恒彦と大原麗子の元夫婦共演。大原麗子はこれが遺作になった。彼女の顔が大きく映るカットには必ずソフトフォーカスがかかる気の使いよう。劇中のTVから「マツケンサンバⅡ」が流れてるのが懐かしい。 pic.twitter.com/YXjPFdEBBI
— 魔境夢御殿 (@aoinoabarenbou) April 6, 2023
渡瀬さんは離婚後、い保さんという女性と再婚し、2人の子供たちと幸福な生活を送りました。
しかし大原さんは、2009年、自宅で孤独死しています。
渡瀬さんは彼女の最期を悲しみ、「お別れの会」や七回忌など、節目のイベントに必ず出席しました。
そして彼も2017年、胆のうがんで72年の生涯を終えます。
2015年、大原さんの七回忌に参列した際、すでに体調が悪かったそうです。
しかし病魔に侵されながらも、かつて愛した女性の墓前に赴き、彼女の死を悼みました。
「別れたとはいえ、僕の妻でしたから」と、彼女への思いを語った渡瀬さん。
大原さんを幸福にできなかった責任を、最後の瞬間まで感じていたのかもしれません。
格差婚に周囲は驚いていた
前述のとおり、結婚したときはすでに高い人気を獲得していた大原さん。
渡瀬さんも俳優として仕事をしていましたが、知名度の方はまだまだでした。
当時の渡瀬さんは、東映の大部屋俳優で構成されたグループ「ピラニア軍団」のメンバー。
グループ内では親玉的な立ち位置だったそうですが、あくまでも下積み俳優のトップでした。
そのため、人気女優として華々しく活躍する大原さんが相手だと、どうしても差が目立ってしまったようです。
渡瀬さんと『鉄砲玉の美学』などで仕事をした監督の中島貞夫さんも、そんな格差を感じていた1人。
その場のノリで大原さんへのアタックをすすめたこともあったそうですが、まさか本当に結婚するとは思わなかったそうです。
渡瀬さんが大原さんと一緒に自宅を訪ねてきて、「結婚することになりました」と言い出したときは、とても驚いたという中島さん。
おそらく、中島さん以外にもびっくりした人は多かったのでしょう。
ともに切磋琢磨していた「ピラニア軍団」の仲間たちも、トップスターと結婚するメンバーが出るとは、夢にも思わなかったでしょうね。
私の世代だともう馴染みが薄いのですが、大原麗子さんて本当に大女優だったんですな。
「渡瀬恒彦の十津川警部ドラマ」なのに、ゲストヒロインである大原さんの扱いが破格過ぎる。
結婚発表当時は格差婚なんて言われたらしいですね。今回の作品、ドラマとしてはとても良かったです。
— LEE (@LEE_yo0805) January 19, 2024
中島さんから見た当時の渡瀬さんは、優等生でありながら、あえてやんちゃな振る舞いをしていたのだとか。
結婚を知った後の中島さんは、そのやんちゃな部分に大原さんが興味を抱いたと思ったそうです。
格差はあっても、若さあふれるエネルギッシュな感じは、大原さんの心に響いたのかもしれませんね。
ウェディングドレスを大切にしていた
大原さんの元マネージャーである佐藤嘉余子さんは、週刊誌の取材で離婚後のエピソードを明かしたことがあります。
離婚すると、結婚生活に関係したものをすべて処分していたという大原さん。
渡瀬さんとの離婚後も、それまで使っていたものなどを次々に捨てていったようです。
しかし、ウェディングドレスだけは、どうしても処分できなかったのだとか。
結婚当時、式は挙げなかった大原さんと渡瀬さん。
それでも大原さんは、ウェディングドレスを自分のお金で購入し、ずっと大事にしていたそうです。
特別な思い入れのあるドレスだったため、簡単には手放せなかったのかもしれません。
大原さんは、そんなドレス佐藤さんに預けていたそうです。
しかし、住職から「執着はよくない」と助言された佐藤さん。
八回忌の後で大原さんが供養される寺院に持ち込んだそうなので、すでに手元にはないようです。
再婚相手は森進一
大原さんは渡瀬さんと離婚後の1980年、歌手の森進一さんと再婚しました。
でも森進一ってあの大原麗子とも結婚してたんよねー。
大原麗子だよー。
美女すぎでしょー✨#まつもtoなかい pic.twitter.com/FcPUWw6XsM
— ときめき!ぺぱーみんとくらぶ (@tokipepaclub) November 21, 2020
しかし4年後に、再び離婚しています。
2人の離婚についてはさまざまな噂が流れていますが、実際のところは、価値観のズレが原因の破局だったようです。
森さんは妻に対し、家庭を重視して欲しかったそうですが、大原さんは仕事を優先。
「一生、女優でありたい」と彼女が語った時点で、夫婦生活がうまくいかないことは目に見えていました。
離婚会見で森さんは、「理想の家庭ができなかった」と理由を説明。
それに対して大原さんは、「家庭に男が2人いた」と語りました。
夫婦が共に仕事の絶頂期にあったため、家庭を重視する余裕がなかったのでしょう。
価値観が異なる2人は、やがて互いを思いやる余裕すら失ってしまったのかもしれません。
結婚馴れ初めエピソードまとめ
そもそも大原さんは、なぜ渡瀬さんと森さんとの結婚を決意したのでしょう。
それぞれの結婚と馴れ初めについては、とくに情報がありません。
ただ最初の結婚については、先輩だった大原さんの方から、駆け出しの渡瀬さんを好きになったそうです。
彼女にとって好みの男性は、「毅然としている強い人」であると同時に、「繊細で大人しい人」でした。
渡瀬さんは幼少期からケンカが強く、男らしい性格の反面、女性に対しては優しかったようです。
彼の性格は、まさに「大原好み」の人柄だったのでしょう。
大原さんは自宅マンションに、渡瀬さん専用の電話を設置し、それが鳴ると時間帯にかかわらず必ず受話器を取りました。
生活スタイルの違いによって離婚せざるを得ませんでしたが、彼女にとって「王子様」に近い男性だったのでしょう。
森さんと大原さんは、かつてナベプロの同期だったため、お互いにデビュー当時から交流がありました。
同期で気心の知れた仲だった2人。
結婚生活がうまくいっていなかった時期の大原さんにとって、森さんと過ごす時間は安らげたのかもしれません。
「家庭優先」を結婚の条件として提示した彼に対し、「努力する」と答えながらも、結局女優業を優先。
しかし女優への未練を断ち切れていたとすれば、家庭では幸福を手に入れていたかもしれませんね。
大原麗子に子供はいない
大原さんには子供がいませんでした。
仕事を優先した女優ですから、子供を望んだことがなかったとされてきました。
しかし実は、渡瀬さんと森さんとの子供を、それぞれ妊娠した経験があります。
弟の政光さんによると、彼女は渡瀬さんとの結婚前に彼の子を妊娠したとのこと。
しかし子宮外妊娠だったことで、胎児は死んでしまったのです。
緊急手術の際、渡瀬さんから輸血してもらった大原さんは、「彼の血が私の中に流れているのが嬉しい」と語りました。
子供は残念な結果に終わりましたが、愛する人の血を分けてもらえたことは、何よりの喜びだったのでしょう。
また森さんとの子供は、妊娠後に中絶しています。
政光さんに対して、「中絶したいから病院を紹介して」と頼んだそうです。
ドラマに出演していたため、お腹が膨らむと仕事に支障が出てしまう恐れがあり、中絶を決意したということでした。
こないだテレビで大原麗子が中絶していたって話を観てたけど、ほんとその当時は結婚したら仕事辞めるの当たり前だったんだよね。
結婚会見とかでも、子供の話でると仕事辞めなければならないけど、ご決心されてますか?的な聞き方だし、今こうやって見ると言葉出ないな。— メランコリにすた (@cocomoparapara) June 22, 2019
身ごもった子供を手放してまで、仕事に情熱を注がなければ、女優として失格という風潮が当時はあったのかもしれません。
そもそも「家庭」を優先しない女優は、結婚生活で幸福になれないという常識も、すでに時代遅れでしょう。
ただし「結婚も子供も諦め、女優人生を貫いた」という彼女へのイメージは、世間が望む「大女優」のイメージそのものです。
「女優であり続けるには、私生活での幸福を手放さなければならない」という風潮の理不尽さを、考えさせられるエピソードですね。
今になって、大原さんの中絶について話題にしたところで、彼女の魂は浮かばれないことは確かです。
ただ彼女のエピソードを知った芸能関係者が、女優に対する認識を少しでも改めてくれれば、女優もより生きやすくなることでしょう。
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