橋田壽賀子、ヒロシイワサキとは?結婚と家族、石井ふく子との関係。文化勲章の受章

長寿ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の脚本家として有名な橋田壽賀子(はしだ すがこ)さん。

70年以上、脚本家として第一線で活躍していますが、プライベートではどのような人生を送ってきたのでしょう。

今回は橋田さんについて、関連キーワード「ヒロシイワサキ」の情報、結婚、家族、石井ふく子さんとの関係に迫ります。

併せて文化勲章受章の詳細を確認しましょう。

橋田壽賀子のプロフィール

本名:岩崎壽賀子

生年月日:1925年5月10日

身長:不明

出身地:大阪府

最終学歴:早稲田大学文学部芸術科演劇専修(現在の文学部演劇映像コース)中退

ヒロシイワサキとは誰?橋田壽賀子との関係は

橋田さんとの関連キーワードである「ヒロシイワサキ」とは何者でしょう。

調べてみても、真相は不明でした。


橋田さんの亡夫が元TBSプロデューサーの岩崎嘉一さんだったため、「岩崎姓」の夫と関係があるのでしょうか。

「ヒロシ」という名前の息子がいるわけでもなく、そもそも「ヒロシイワサキ」が何者なのかはっきりしませんでした。

ちなみに読み方が同じ人物には、劇団青年座の俳優である岩崎ひろしさんがいます。

映画『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を始め、数々の映画で吹替声優としても活躍している人です。

ただ橋田作品に出演した経験もなく、とくに2人の接点はありません。

ではなぜ「ヒロシイワサキ」というキーワードが浮上したのでしょう。

2013年、橋田さん脚本のドラマ『なるようになるさ。』で主演を務めたのが、舘ひろしさんでした。

それに加え橋田さんの本名が「岩崎姓」のため、舘さんの名前と何かの拍子に結びつき、関連キーワードが生じたのかもしれません。

確かなことは不明ですが、少なくとも橋田さんと関係のある「ヒロシイワサキ」という人物は存在しないのでしょう。

橋田壽賀子の結婚について

橋田さんは1966年、当時のTBSプロデューサー岩崎嘉一さんと結婚しました。

仲人の石井ふく子さんは、2人を結びつけたキューピッドでもあります。

売れない脚本家だった橋田さんは、TBSに脚本を売り込みに行きました。

そこで社員の岩崎さんと出会い、面倒を見てくれる彼に恋します。

恋煩いで脚本が進まなくなってしまった橋田さん。

そこへ石井さんから、締め切りを守るよう催促の電話が入ったそうです。

恋煩いで筆が進んでいないことを知った石井さんは、何と岩崎さんへ直接、橋田さんの想いを伝えました。

結果、岩崎さんは彼女の気持ちを喜んで受け入れ、2人は結婚に至ったのです。

代わりに石井さんは、「2日以内に脚本を書かなかったら関係をぶち壊す」と脅し、脚本を書かせました。

とにかく橋田さんに脚本を完成させてもらうため、彼女を無理やりゴールインさせたのです。

仕事のためなら手段を選ばない石井さんの人柄がうかがえる、大胆な行動ですね。

夫の助言により、「不倫と殺人は書かない」というポリシーを持っていた橋田さん。

仕事面でも互いに意見し合いながら、支え合っていたのです。

結果的に橋田さんは、一貫してホームドラマを書き続け、ヒットメーカーになっていきました。

1988年、夫に肺腺がんが見つかります。

「もし本人に知らせたら絶望するだろう」と考えた橋田さんは、最後まで夫に対して病名を「肋膜炎」と偽りました。

夫に勘繰られないよう、石井さんからの助言もあり、NHK大河ドラマ『春日局』の脚本を降板せずに引き受けます。


そして最終話まで見事に完成させるのです。

岩崎さんは『春日局』の最終話が完成したことに安心した様子で、20日後に息を引き取りました。

2人は仕事と生活の両面で支え合った夫婦だったといえるでしょう。

橋田壽賀子の家族は?

橋田さんの母親は過保護で、ひとりっ子の橋田さんを「はけ口」にしていたそうです。

父親は韓国のソウルで事業を展開していたため、母娘2人暮らしでした。

1人で読書したくても、母親に邪魔されていたそうです。

さらに女学校時代は、帰宅時間が少しでも遅いと、母親が電信柱の背後に隠れて待っていました。

橋田さんはついに、母親から逃れようと行動を起こします。

宝塚歌劇を観に行くという口実で、大阪へ向かいました。

大阪で実施されていた日本女子大学の入試を受け、見事に合格。

伯母が上京に協力的だったため、彼女のもとで準備していると、激怒した母親が乗り込んできたそうです。

娘に対して、「親を置いて上京する親不孝者」とののしり、上京用の布団をはさみで切り刻んだといいます。

何とか上京してからは、過保護に育ったため自炊できず、大学の寮で炊事する際にからかわれたそうです。

しかし必死に炊事を覚え、料理が得意になったといいます。

過保護な母親の手から逃れ、立派に自立を果たしたといえますね。

橋田壽賀子と石井ふく子


橋田さんはベテランプロデューサーの石井ふく子さんと、長年タッグを組んできました。

とくに2人の代表作『渡る世間は鬼ばかり』では、2019年に新作を発表。

30年以上にわたって、共同製作を続けています。

1926年生まれの石井さんより、1歳年上の橋田さん。

筆者は、長年テレビ業界で活躍してきた2人の立場はほぼ対等と考えていました。

しかし実際には橋田さんが、石井さんに怒られてばかりだったそうです。

一般的に番組を統括するプロデューサーの方が、脚本家より立場は上のため、当然ではあります。

60年来の仲でありながら、あくまでプロデューサーが脚本家にダメ出しする上下関係は維持してきたのです。

石井さんが厳しくダメ出しして、橋田さんが「なにくそ」と懸命に筆を進めることで、名作が生まれてきたのでしょう。

橋田壽賀子の文化勲章受章

2020年、橋田さんはテレビ業界における長年の功績が讃えられ、文化勲章を受章しました。

コロナの流行状況を考え、親授式は欠席したものの、「テレビが文化として認められた」と喜んだそうです。

元々、松竹で映画の脚本家としてキャリアをスタートさせた橋田さん。

テレビ業界に移った時期は、テレビが映画より格下に扱われていた時代です。

映画人から、「テレビ業界人」として差別された経験もあるのでしょう。

テレビ脚本家として文化勲章を受章することになり、「いい気味」だと発言しました。


かつて自分やテレビ業界そのものを蔑んでいた人たちに対して、「いい気味」という言葉を向けたのかもしれませんね。

長きにわたってテレビ業界に貢献してきた橋田さん。

コロナ流行後は仕事が減ったそうですが、状況が落ち着けば、またすばらしい作品を発表してくれることでしょう。

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