泉ピン子が結婚した旦那は医師。馴れ初めは人間ドック&離婚危機を乗り越えた過去

日本が世界に誇る大御所女優の泉ピン子(いずみぴんこ)さん。

橋田壽賀子ファミリーの筆頭として数々の人気作を世に送り出してきました。

泉ピン子のプロフィール

本名:武本小夜(旧姓 江口)

生年月日:1947年9月11日

身長:154cm

出身地:東京都中央区銀座

最終学歴:日本音楽高等学校中退

所属事務所:pi企画株式会社

泉ピン子が結婚した旦那は医師

長く女優として活躍してきた泉さんですが、その中で犠牲にしていたのが私生活。

「女優は結婚しなくていい」という持論から結婚は諦めていたそうです。

この事から泉ピン子さんは独身と思っている人も多いかもしれません。


ですが実は既婚者なんです。

入籍したのは1989年で既に40歳を過ぎていました。

大物女優の結婚という事で大々的に挙式や披露宴を行ったと思いきや、式は挙げていないそうです。

晩婚という事もあり大勢の人々に祝福される事に照れや遠慮があったのかもしれませんね。

おいしい料理で夫を支える

女優としての地位を確立した後に結婚した泉ピン子さん。

そこで気になるのがお相手の男性の情報ですよね。

大女優と結婚した事から一角の男性である事は間違いなさそう。

調べてみるとその予感は的中。

お相手の男性は消化器内科医を務める武本憲重さんでした。

医療番組に出演し、ドラマの医療監修を行うなど著名なドクター。

現在は銀座で武本ホーム・ドクター・クリニックの院長を務めています。

銀座という一等地で開業できるなんて凄いですよね。

さすがは大女優の夫となっただけの事はあります。

泉ピン子さんが明かす夫婦円満の秘訣は「胃袋を掴む事」。


その言葉の通り女優業で多忙にも関わらず食卓には一度もインスタント食品を出した事が無いんだとか。

不摂生が元で医師が体調を崩したら洒落にもなりません。

食事を手造りするのも夫の体調を思ってという事もあるのでしょう。

武本憲重さんの活躍の裏には泉ピン子さんの内助の功がある事は間違いなさそうですね。

正反対の性格

武本さんの性格は、泉さんと正反対なのだとか。

泉さんは、すぐ怒りやすい性格。

一方、旦那さんはとても理論的に物事を考える性格だそうです。

となると、発言も基本的に落ち着いていることが想像できます。

感情的になって怒りを爆発させるようなことは、ほとんど起こらないのではないでしょうか。

旦那さんがそんな性格だと、泉さんも「ここは見習って堪えよう」という考え方ができるかもしれませんね。

また、旦那さんには頑固な一面もあるようです。

簡単には怒らないものの、こうと決めたら頑として動かず、強い意志でやり通す感じなのでしょうか。

あまり頑固すぎるのも、一緒に暮らしていると少々大変かもしれませんね。

ちなみに、泉さんの性格がその逆なら、柔軟に物事を考えるタイプと思われます。

こうした性格の違いは、夫婦生活を長く続けるには厄介な問題になりそうです。


しかし、「意外とうまくいく」という声も多くあります。

一見すると常に反発しそうな性格でも、足りない部分を補い合う関係になれば、夫婦は長続きするということでしょうか。

2024年現在も離婚の情報がないのは、それぞれ違う性格だからなのかもしれませんね。

角野宅造は旦那ではない

泉さんの旦那さんといえば、角野宅造さんが夫であるかのような話もよく見かけますよね。

本当に角野さんと結婚していると思い込み、あとから武本さんを知って驚く人もいるかもしれません。

この紛らわしい話は、泉さんの代表作のひとつ『渡る世間は鬼ばかり』シリーズから生まれたもの。

角野さんは、泉さんと夫婦役を演じています。

作品のファンなら、「渡鬼のことか」とすぐ気づくでしょうね。

長いシリーズなので、ずっと追いかけている人だと、泉さんと角野さんに対する夫婦のイメージが刷り込まれているのではないでしょうか。

そんな人たちにとって、泉さんが医師の武本さんと結婚していることは、どこか不思議な感覚になる情報なのかもしれません。

旦那との馴れ初めは人間ドック

田中麗奈さんや小沢真珠さん、床嶋佳子さんなど医師と結婚する女優は少なくありません。

その出会いは友人の紹介は一目惚れやなど様々。

泉ピン子さんと武本憲重さんの出会いは人間ドック。

つまり出会った当初は医師と患者だったんです。

武本憲重さんは泉ピン子さんのタイプではなかったそうです。


ですが漠然と「結婚する」と感じたんだとか。

その後、お世話になったお礼にと食事に誘った事で交流がスタート。

それ以降、電話や自宅でのデートを重ね、出会いから約3か月後にプロポーズされたそうです。

ですが女優業で忙しかったことから「妻らしいことは出来ない」と躊躇。

それでも武本憲重さんが「出来る人がやればいい」と言ってくれた事で結婚する事に。

なお、結婚に当たっては古くからの友人だった西田敏行さんの後押しもあったようです。

結婚する事で演技の幅が広がり深いが出ると思ったのかもしれません。

それに加えて友人の一人として泉ピン子さんの幸せを願っていたのでしょうね。

泉ピン子、離婚危機を乗り越えた過去

1989年に優秀で優しい武本憲重さんと結婚した泉ピン子さん。

きっと誰もが幸せな家庭で穏やかな日々を過ごしていると思っていたはず。

ところが1995年9月に衝撃の事実が。

何と夫に愛人と隠し子がいる事が発覚したのです。

この件が週刊誌に掲載されるとマネージャー経由で知った泉ピン子さん。

その翌日に緊急で記者会見を開くと涙ながらに「夫を許す」とコメント。


愛人と隠し子の存在を知っても夫を許すという懐の広さ。

きっと泉ピン子さんはそれだけ夫の事を愛していたのでしょう。

これで夫婦間の問題も解消されたと思いきや意外な所から横やりが。

二人の関係に苦言を呈したのは武本憲重さんの両親。

泉ピン子さんと結婚したばかりに愛人と隠し子がいる事が世間に知れ渡ったと激怒。

元々、結婚には反対していたようで「別れるべき」と離婚を迫ったんです。

確かに武本憲重さんが一般人と結婚していたらこんなにも大事にはなっていなかったでしょう。

ですが不貞行為を行った事には間違いありません。

いくら親とは言え武本憲重さんの肩を持つなんてあり得ませんよね。

もちろん泉ピン子さんもそんな義父母の発言には聞く耳持たず。

その後は良好な夫婦関係が続いています。

泉ピン子の経歴まとめ

今では大物女優として知られる泉ピン子さん。

実はデビューした当初は「三門マリ子」の芸名で活動する漫談家だったんです。

1966年に漫談家の牧伸二さんに弟子入りするもキャバレー回りの日々。


なかなか日の目を見る事は出来ませんでした。

地道な活動であったとしても着実に磨きあげた話術は本物。

その話術が注目された事で1975年に日本テレビ「テレビ3面記事 ウィークエンダー」のレポーターに抜擢。

この時に芸名を「泉ピン子」に変更。

きっと心機一転という思いがあったのかもしれませんね。

ところがレポーターとして扱った内容は下ネタばかり。

そのため「ワーストタレント1位」に選ばれるという不名誉な出来事もありました。

ただ、こうして注目を集めたのは決して悪い事ばかりではありません。

丁度その頃、「美人でも知的でもなく、金もない」女優を探していた演出家、鴨下信一さん。

泉ピン子さんが目に留まりドラマへの出演を提案。

そして1975年のドラマ「花吹雪はしご一家」にレギュラー出演した事で女優業も行うように。

その後も様々なドラマに出演した泉ピン子さん。

女優としての地位を確固たるものとしたのが1983年に放送が始まったNHK朝の連続テレビ小説「おしん」。

平均視聴率は50%を超え、最高視聴率は驚異の62.9%。

世界60か国以上でも放送されるなど日本ドラマ史に残る大傑作。

このドラマでおしんの母親役を演じた事で世間からの評価を獲得。

また、脚本を務めた橋田壽賀子さんの信頼を得た事で橋田壽賀子作品の常連に。

そして1990年から「渡る世間は鬼ばかり」にレギュラー出演。

様々な人間模様が大きな話題となり同ドラマは足掛け30年近くも続く大人気ドラマシリーズとなりました。


これだけの人気作となったのは間違いなく泉ピン子さんがいたから。

橋田ファミリーの筆頭として公私に渡って出演者から頼られる存在だった事でしょう。

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