俳優、演出家として昭和から平成にかけて活動した高橋昌也(たかはし まさや)さん。
今回は2014年に亡くなるまでの、俳優としての経歴をご紹介します。
また若い頃、女優の加藤治子さんとの結婚、出演作『北の国から』についても見ていきます。
高橋昌也のプロフィール
本名:高橋昌也
生年月日:1930年3月16日
死没:2014年1月16日
身長:不明
出身地:東京都
最終学歴:東京都立戸山高等学校
高橋昌也の俳優としての経歴
高橋さんの俳優としての経歴を見ていきましょう。
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— あの時君は若かった (@wakakataanokimi) June 1, 2019
俳優座養成所で基礎訓練を受けたのち、1956年には劇団四季に参加しています。
劇団四季出身と聞けば、歌や踊りが得意な俳優だったと考える人もいるでしょう。
しかし当時の四季はミュージカル劇団ではありませんでした。
元々は慶應義塾大学の学生が作った劇団で、フランスの戯曲を中心に、ごく普通の会話劇を上演していたのです。
高橋さんは四季でしばらく芝居を続け、61年からは劇団文学座に入団。
その後、劇団が分裂したことで、75年から「演劇集団 円」に入団しました。
円では俳優ではなく、演出家としての活動をメインに、別役実さんの戯曲を手がけたそうです。
87年に退団後は、銀座セゾン劇場で芸術総監督に抜擢され、12年後の閉館まで職務を果たしています。
演出業がメインになっていたものの、2000年以降は再び俳優として舞台やドラマに出演しました。
映画では『笑の大学』(2004年)や『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)に出演しています。
2014年、83歳で呼吸不全により亡くなるまで活躍しました。
脇役俳優ではあったものの、確かな存在感と演出家としての功績は、今でも高く評価されています。
高橋昌也の若い頃
高橋さんは晩年、非常に優しそうな「仙人」風のお爺さんに見えました。
生前は黒柳徹子さんと交流があり、2人で多くの舞台を手がけ、晩年もテレビ番組で共演。
「徹子さんと仲のいい、すてきなお爺さん」というイメージを抱いていた人もいるでしょう。
パルコ「レティスとラヴェッジ」Pシェイファー、高橋昌也。恋の痛みの薬草と猫を用いた建築学的ファルス。母がシェイクスピア芝居をやっていた観光ガイド(黒柳徹子)が逸脱のため解雇。クビにしたのは歴史保存委員会の幹部(麻実れい)。二人は意気投合し、醜聞事件の後、観光事業を開始。歴史好き。 pic.twitter.com/HFjLNC5mMn
— 結城雅秀 (@GashuYuuki) October 9, 2016
しかし若い頃の高橋さんは、晩年の飄々とした雰囲気とは異なる芸風の俳優でした。
アクが強く、女性を見定めるような目つきをした、気色の悪い男優だったのです。
#同一人物とは思えない画像を貼れ
高橋昌也
舞台を観たことはないけれどTVや映画ではダンディで色悪のイメージが強かっただけに晩年の変貌ぶりに驚く。老醜を伴わない仙人のような枯れ方。 pic.twitter.com/Xic5xZVd8L— さんぴん奴 (@sanpinyakko) February 17, 2021
平気で不正を行いながら、良心の呵責も感じない、冷酷な役が似合う「怪優」だったといえます。
年齢を重ねるごとに、脂ぎった印象が抜けて、老木のように渋いお爺さんになったのでしょう。
若い頃の高橋さんを知る人の中には、晩年の姿を見ても認識できなかった人が多いかもしれませんね。
加藤治子との結婚
高橋さんは1958年、同じ劇団文学座に所属していた加藤治子さんと結婚しました。
加藤さんは、ドラマ『寺内貫太郎一家』への出演で知られた名女優。
晩年は『魔女の宅急便』の老婦人や、『ハウルの動く城』のサリマンなど、ジブリ作品で声優を務めました。
おはようございます。今日は清川虹子さん、加藤治子さん誕生日。加藤さんは私にとって「寺内貫太郎一家」のおかみさんですが、「マルサの女2」の教祖役は上半身裸で水ぶっかける場面にびっくりしました。清川さんは「楢山節考」の濡れ場にびっくりしました。お2人ともびっくりをありがとうございます。 pic.twitter.com/mdI50vfQNq
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) November 23, 2020
老婦人の声優を務めたのは、加藤治子さん。
『ハウルの動く城』では、マダム・サリマンも演じました。#魔女の宅急便 pic.twitter.com/ScDb94kLfL— ジブリのせかい【非公式ファンサイト】 (@ghibli_world) March 27, 2020
高橋さんと加藤さんは結婚から5年後、文学座を脱退し、「劇団雲」の設立メンバーとなります。
文学座では、大女優の杉村春子さんの独裁体制に反感を抱いた人々が脱退し、分裂の危機を迎えていました。
杉村さんは多くの仲間を失いますが、何とか劇団の運営を続けようと気丈に振る舞っていたようです。
しかし高橋さんに対して、「昌也が出て行くことだけは惜しい」と発言しました。
大女優からの信頼が、かなり厚かったことがうかがえます。
高橋さんは脱退後、夫婦で俳優業を続けました。
しかしお互い多忙だったため、すれ違いが生じてしまい、1973年に離婚しています。
翌年に料理店「若松」オーナーの藤井八千代さんと再婚するものの、99年に再び離婚。
同年中に再々婚した一般女性が、ようやく理想の伴侶だったようで、最後まで共に過ごしました。
加藤さんは高橋さんと異なり、離婚後は女優業に専念し、生涯独身を貫いています。
2015年に92歳で亡くなるまで、時おり高橋さんとの日々を思い出し、寂しさを感じることがあったかもしれませんね。
北の国から出演
高橋さんは名作ドラマ『北の国から』へ出演しています。
主人公たちの借金を肩代わりした、心優しい三沢老人を演じました。
最後は寝たきりの状態で登場し、吉岡秀隆さんに介護してもらうシーンが印象に残った人も多いでしょう。
この構図を見たとき、『北の国から』のあのシーンを思い出した人も多いはず。吉岡秀隆もきっと思い出したでしょう、三沢のじいちゃん(高橋昌也)のことを。
#エール #吉岡秀隆 #北の国から
#シンメ pic.twitter.com/vCnmqVSEuC— 田渕浩久 (@editor_htabuchi) October 23, 2020
親切だった三沢老人が、体を動かせず、人前で粗相しそうになるシーンを見るのはやや苦しいかもしれません。
「小便」を危うい呂律で「トンベン」と表現する高橋さんの演技に、涙した人もいるでしょう。
当時70代だった高橋さんは、それから10年ほど活動したのち亡くなりました。
長きにわたって演劇界、芸能界に貢献し続けた生涯だったといえるでしょう。
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