渡哲也は三田学園&大学で空手。日本酒のCM出演、焚き火が趣味。髪形と性格は?

第二の裕次郎として俳優デビューした渡哲也さん。

若い頃には女性人気が高かったですが、次第に男が惚れる男になった印象が強い渡さんですが、プライベートの部分に変化があったのでしょうか?

渡さんのプライベートの経歴やこだわりなどに詳しく迫ってみました。

渡哲也さんプロフィール

本名:渡瀬道彦(わたせ みちひこ)

生年月日:1941年(昭和16年)12月28日

身長:180cm

出身地:兵庫県淡路島

最終学歴:青山学院大学

所属事務所:石原プロモーション

渡哲也は三田学園出身

渡さんは幼少期を兵庫県の淡路島で過ごし、名門・三田学園中学に進学しました。

そこから三田学園高等学校に進み、卒業しています。

三田学園は2009年から中学が共学に、そして2012年に高等学校が共学になりましたが、渡さんが在学していたころには男子校でした。

渡さんの弟で俳優だった渡瀬恒彦さんも一緒に三田学園に進学しました。

山学院大学時代に空手を始める

渡さんが空手を始めたのは青山学院大学時代でした。

大学の空手部に入った渡さんでしたが、本当はボクシング部に入りたかった希望が叶わなかったのは父・賢治さんの、「大学では登山とボクシングだけはするな」という言いつけに従ったためでした。

このエピソードは渡さんの口伝『渡哲也 俺』(毎日新聞社)柏木純一著のなかで明かされています。

春夏の二回の合宿では、拳で突く「千本突き」、足で蹴る「千本蹴り」など厳しい修練を積みました。

血尿が出ることもあるほどだったそうです。

空手では体力だけではなく、精神性、礼儀作法、目上を尊敬するというマナーやエチケットを身に着けたそうで、裕次郎さんに対するリスペクトと礼節と、義理人情はここから学んだのかも知れません。

大学時代に始めた空手が名優・渡哲也の主軸となったのでしょう。

大学在学中にオーディション応募、スターへの階段

1964年に日活に入社し芸能活動を始めた渡哲也さん。

そのきっかけはスカウトでした。

青山学院大学在学中、弟の渡瀬恒彦さんと大学の仲間が本人に無断で映画のオーディションに応募。

その事実を知った時は激怒したそうですが、「石原裕次郎に会えるかも」と言われた事で撮影所を訪問。

この時にスカウトされた事で日活への入社を決めたそうです。

きっと多くの俳優の卵が撮影所を訪れていたはず。

その中から目に留まりスカウトされるなんて、この頃から別格の存在感を放っていたのでしょうね。

入社翌年に1965年に映画「あばれ騎士道」でデビュー。

デビュー作ながら既に日活でスターとして活躍していた宍戸錠さんとのW主演。

いかに日活が渡哲也さんに期待をかけていたかが分かりますよね。

そして同年の映画「赤い谷間の決斗」で初共演したのが石原裕次郎さん。

学生の頃に「太陽の季節」を見てから石原裕次郎さんの大ファンだったという渡哲也さん。

初対面を果たしたのは日活に入社した1964年でした。

宣伝部の人に「俳優が集まるから挨拶しましょう」と言われて訪れた撮影所の食堂。

そこで石原裕次郎さんに挨拶をすると、まだデビューもしていない新人に対して立ち上がり握手まで。

この立ち振る舞いに感激すると共に尊敬の念を抱くようになったそうです。

そして1971年に石原プロモーションに入社し、行動を共にするように。

当時、経営難により倒産機器にあった石原プロモーション。

会社の再建と経営の安定のため、本格的にテレビドラマに進出すると「大都会」シリーズと「西部警察」シリーズが大ヒット。

渡哲也さんは俳優としてドラマに出演すると共に副社長にも就任するなど会社の再建に多大な貢献を果たしました。

渡哲也と日本酒

松竹梅のCMに渡さんが起用されたのは、1988年のことだ。70年から担当していた石原裕次郎さんが87年に他界したため、石原プロを率いることになった渡さんの登場となりました。

宝酒造の日本酒「松竹梅」のCMに渡さんが起用されたのが1988年。

渡さんが亡くなった2020年まで継続して出演し続けました。

1970年から亡くなる1987年まで松竹梅のCMを担当していた裕次郎さんを引き継いで、渡さんがキャラクターに採用されました。

2020年には松竹梅のCMのなかで、「合成」で共演を果たした二人。

CM50周年記念モデルの日本酒が発売されるなど、注目度も高く、改めて裕次郎さんと渡さんの人気の高さを証明しました。

日本酒のCMといえば和服の色香の漂う女性の器用が王道でしたが、裕次郎さん、渡さんをCMタレントに器用した宝酒造は、CMをきっかけに業界売り上げトップに躍り出たそうです。

裕次郎さんと渡さんは天国で日本酒を酌み交わしているのでしょうか。

渡哲也の趣味は焚き火

渡さんの趣味は焚き火です。

渡さんの本のなかにも自宅で焚き火を楽しむ渡さんの姿(写真)があります。

寡黙な印象のある渡さんは燃え盛る火を見つめながらどんなことを考えていたのでしょうか。

角刈りの髪型が流行に

1976年から放映された石原プロモーション制作のドラマ『大都会』(日本テレビ系列)の刑事・黒岩頼介役の渡さんはいわゆる「角刈り」を呼ばれる髪型でした。

さらに、その後1979年から放映された『西部警察』(テレビ朝日系列)シリーズの大門圭介役でも角刈りを貫きました。

「団長」の愛称の大門の髪型は「角刈り」で、この独特の髪型は「大門ヘアー」と呼ばれることもあるようです。

その後、渡さんは角刈りを卒業し、髪を少し伸ばした印象です。

硬派な角刈りに憧れた男性が多く、渡さんの髪型を真似る人が多かったようです。

レイバンのサングラスと角刈りがトレードマークの渡さんは当時のファッションリーダーだったのですね!

ストイックな性格エピソード

渡さんは非常に寡黙で義理深い、という印象をもつ人が多いようです。

仁義の人、男が惚れる男、美学の人など、その生きざまから、さまざまな表現をされる渡さん。

撮影の現場には一番乗りする、体づくりにストイックだったエピソードなどが残されています。

松田優作さん、舘ひろしさんが「惚れた」という渡さん。

石原プロから自由になって欲しいと願っていたのではないか、とされている渡さんの妻・俊子さんでしたが、渡さんは最後まで裕次郎さんとの仁義を貫き通しました。

渡さんが男のなかの男、男が惚れる男と愛され、尊敬されることがわかった気がします。

最後は静かに送って欲しいと願ったという渡さんは男の美学に生きた名優でした。


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