田中邦衛の国籍は日本。兄弟7人の4番目。本名そのまま、学歴は短大英語科卒&生い立ちまとめ

渋い演技で多くの人に感動を与えた、俳優の田中邦衛(たなかくにえ)さん。

「国籍は日本ではないのでは?」という噂があるようです。

兄弟や本名について、また英語を短大で専攻したという学歴についても深掘りしたい内容ですね。

生い立ちについての興味深い話もありますよ。

田中邦衛のプロフィール

本名:田中邦衛(たなかくにえ)

生年月日:1932年(昭和7年)11月23日

死亡年月日:2021年(令和3年)3月24日

身長:167cm

出身地:岐阜県土岐市

最終学歴:麗澤短期大学英語科卒業

田中邦衛の国籍は元から日本

「若大将シリーズ」や「北の国から」などで国民的俳優だった田中邦衛さん。

なぜか、「国籍は日本ではないのでは?」と噂されていたことがあったようです。


中国でも名の知られた、人気のある俳優だったからでしょうか。

同じ時期に活躍した高倉健(たかくらけん)さんも、中国で人気がありました。

1976年に共演した映画「君よ憤怒の河を渉れ」は、大半の中国人が見たと言われているそうです。

というのも、戦後に中国で初めて公開された日本の映画だったから。

当時日本の方が、復興が早く進んで豊かになっていたため日本に対する憧れもあったようです。

「田中邦衛さんは在日韓国人なのか」という噂もありましたが、これは出演映画の役でのこと。

1974年に上映された「三代目襲名」というヤクザ映画が発端なのではないでしょうか。

戦後の暴力団の歴史を描いた映画で、田中さんは「在日朝鮮人」の役を見事に演じ切っていたのです。

あまりにリアルだったので、「本当に在日朝鮮人だったのでは?」と混乱する人が出てもおかしくないほど。

実際の田中さんは実家が美濃焼の窯元で、国籍は日本のようですね。

田中邦衛は7人兄弟の4番目

田中邦衛さんには兄弟が大勢おり、7人兄弟で次男坊でした。

令和の時代で兄弟が7人いたら、「そんなにたくさん兄弟がいるの!?」と驚かれることでしょう。

しかし、田中さんの幼少期に7人兄弟というのは多くはなかったようですね。


「産めよ増やせよ」と言われたのが1939年のことで、国が掲げたスローガンでした。

まず、5人以上は産むようにと言われたそうです。

多人数産めた家庭には、表彰制度まであったのだとか。

子供の無い家や結婚していない人は、税金が高く課せられたそうです。

当時もともと少子化で、政治家達は悩んでいたといいます。

戦争続きで人員不足ということもありました。

しかし近隣の大国ソ連・中国・インドと比較すると、日本の出生率は2分の1から4分の1。

「大国に劣らないようにするためにも人口を増やさないといけない」という切実な状況があったのですね。

国民は、国のお達しにきちんと従ったということです。

ずっと子どもの数が多かったというイメージがありましたので、これは意外でしたね。

さて、話を田中さんに戻しましょう。

兄弟がたくさんいても、短大まで卒業させてもらっていますね。


これは、田中さんの実家が裕福だったことを物語っているのではないでしょうか。

家業の窯元は、長男の息子が後を継いでいるそうですよ。

田中邦衛の芸名は本名そのまま

田中邦衛さんの芸名がかっこいいので、本名は別にあるのではないかと思っている人がいるようです。

他にも、「本名は読み方が違ったりするのではないか」と考える人がいたようです。

しかし、芸名は本名を使用しており「田中邦衛(たなかくにえ)」そのままなのだとか。

邦衛というのは素敵で珍しく、名前を付けた方のセンスが感じられますね。

それにしてもパッと見て読める名前とは違いますよね。

ずっと間違えて覚えた人もいたといいます。

「くにえい」や「くにええ」さんだと勘違いしていたらしいのです。

確かに、語尾を伸ばせる名前の場合に読み方を間違えられることはあるでしょうね。

田中邦衛の学歴は短大英語科卒業でちょいワルだった生い立ち

ここでは、田中邦衛さんの学歴や生い立ちについて見ていきます。

田中邦衛さんは1932年生まれで、岐阜県の出身。

都会に住んでいたわけでは無いのに、短大卒業という学歴を持っていました。


第二次世界大戦があったこともあり、物がなく貧しい暮らしの家庭に育った人が多かったことでしょう。

中学を卒業すると働いた人が多かった世代の中、田中さんは高学歴ですね。

これは実家が裕福だったからではないでしょうか。

父親の強い勧めで麗澤高校へ入学した田中さん。

道徳教育を徹底的に叩き込む厳しい学校でしっかり学んだそうです。

田中さんは全寮制の高校から系列の短大に進学し、英語を学びました。

卒業後地元で英語を教えていたことがあったそうですよ。

教師をしていたとは、意外な経歴のように感じられますね。

生い立ちは不良少年

岐阜県出身の田中邦衛さんの実家は、有名な焼き物・美濃焼の窯元だったそう。

当然、家の仕事を幼い頃から手伝っていたと言います。

真面目な少年時代を過ごしていたのかと思いきや、真逆でした。

中学時代は不良で、学校に行かずにタバコを吹かす典型的な「ちょっと悪い子」だったのだとか。

父親の財布からお金を盗んだこともあったようです。


タバコは吸っていましたが、飲酒はしませんでした。

意外ですが、田中さんは酒が飲めなかったのです。

日本酒をちびちび飲んでいるイメージがありましたが、下戸だったそうですよ。

高校で更生

田中さんは勉強しなかったので成績は当然悪く、学年で下から5番目でした。

行先を案じた父親は、「更生させないといけない」と決意。

田中さんを、全寮制の高校に放り込んだのです。

そこは、道徳教育をみっちり教え込む厳しい学校で有名でした。

さすがに観念したのか、田中さんはそこできちんと過ごして高校・短大を修了。

短大卒業後は実家で窯元の手伝いをしながら、地元で教師になったそうです。


元々優しい性格だったのか、生徒を叱ることができなかった田中さん。

そこで、夢だった役者の道を目指したそうですよ。

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