石原良純の兄弟たち。養子騒動と裕次郎の関係。幼少期、3歳の写真が話題に

気象予報士出身の石原良純さんですが、現在(2023)はバラエティタレントという印象が強いかもしれません。

良純さんは石原家の華麗なる一族の血筋を引いているご子息です。

濃い眉毛と声が大きな毒舌キャラとして人気を集めている良純さんの出自について詳しく迫ってみました。

石原良純のプロフィール

愛称:良純、ずみさん、よっちゃん、眉毛

本名:石原良純(いしはら よしずみ)

生年月日:1962年1月15日

身長:182cm

出身地:神奈川県逗子市

最終学歴:慶應義塾大学

所属事務所:湘南ブラザーズ

石原良純の兄弟

良純さんの父は元・東京都知事で芥川賞作家の石原慎太郎さんです。

そんな良純さんの5歳上の兄は国会議員(自民党衆議院議員)の石原伸晃さん、3歳下の弟は同じく自民党衆議院議員の石原宏高さんと5歳下の画家の石原延啓さんです。

良純さんのほか、兄弟はみんな「慶應義塾大学」出身という共通点があります。

作家で政治家の父の元に生まれ、政治家と芸術家の兄弟をもつ良純さん。


湘南の海と空を見ているうちに天気に興味をもったという良純さんは政治家の道には進まずに気象予報士を志したようです。

さらに社会問題にも深い関心を寄せており、良純さんは社会的意識を強く持っていることが窺えます。

父の慎太郎さんは良純さんが政治家に向いていると考えていたという説がありますが、独自の路線を進んだ良純さん。

気象予報士であり、タレントであり、俳優の顔ももつ多彩な才能の持ち主です。

石原良純に養子説なぜ

ネット上には良純さんが「養子」という噂があります。

詳しく調べてみると、この情報はあくまで噂であり、公式な情報はありませんでした。

ではなぜ、良純さんが養子という噂が流れたのでしょうか?

事の発端は、昭和の大スター・石原裕次郎さんが兄の慎太郎さんの息子である良純さんを養子として迎え入れた(養子として迎えたいという希望をもっている)という情報が出回ったことにあります。

裕次郎さんが養子にしたかったのは良純さんではなく、宏高さんだったという説もありますが、どちらにせよ、裕次郎さんが養子を迎え入れたという情報は得られませんでした。

2001年に新潮社から刊行された『石原家の人びと』(石原良純・著)で、「マンガ君」というあだ名で呼ばれていた三男・宏高さんが、裕次郎さんに「どうして、おじちゃんには子供がいないの?」と尋ねたエピソードが紹介されています。

この質問を受けた裕次郎さんが「じゃあ宏高がおじちゃんちの子になるか」と訊くと、宏高さんはわっと泣き出したそうです。

このエピソードが変形して良純さんが裕次郎さんの養子という噂になったのかもしれません。

石原良純と石原裕次郎の関係

裕次郎さんは良純さんにとって叔父に当たります。

さきほどデマである可能性が高いと紹介した養子縁組に関するエピソードですが、裕次郎さんが希望したのが良純さんだったのか、宏高さんだったのかは判明していません。

良純さんによると、慎太郎さん・裕次郎さん2人の間は強い信頼感があったそうです。

さらに、父の慎太郎さんが良純さんを手放すわけがないだろうなぁと感じるエピソードが紹介されていました。(語っているのは良純さんです。)

良純さんが、裕次郎さんの家で初めてブランデーを飲んでいた際、夜遅くに慎太郎さんから「帰ってこい」という電話。

嫉妬して電話してきたということです。

このほかにも、子煩悩だった慎太郎さんと良純さんのエピソードが残されており、養子として手放した(手放しそうな)形跡は窺えませんでした。

芸能界に入ることを裕次郎さんに伝えると、「挨拶」と「時間を守る」ことを言いつけられたという良純さん。

石原プロに所属した経験を経て、活動の場をバラエティに広げていった良純さんでしたが、今では「バラエティになくてはならない存在」になりました。

石原良純の幼少期

テレビの番組内で紹介された良純さんの幼少期の写真が「インパクトがある」と話題を集めました。

この写真について、SNSに感想が投稿されている日にちや、Twitter投稿につけられている「#金スマ」というタグから推察。

2018年10月26日に放送された「金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)で放映された良純さんの半生に迫った特集内で紹介された写真なのではないかと突き止めました。

「今と変わらない」「なぜか笑える」などの声が寄せられているのは、幼少期の良純さんの写真でした。

濃くて立派な眉毛が特徴の良純さんですが、幼少の頃から変わっていない面立ちが印象的です。

3歳の頃の写真がインパクト大と話題に

3歳の良純さんの画像のインパクトが大きく、ネット上にはたくさんの感想が寄せられています。

幼少期の良純さんは独自の感性をもっており、「数字が並んでいるのが好きで、バスの番号とか電車の番号に精通していた」というエピソードをご自身が語っています。

いつも明るく屈託のない良純さんは芸能界の第一線で活躍し続けています。

兄弟で兄弟で唯一芸能界を目指したきっかけ


まさに「華麗なる一族」という表現がピッタリの家族と言える石原良純さん。。

そんな中で唯一、芸能界に進んだ石原良純さん。

そのきっかけとなったのは石原裕次郎さんでした。

石原良純さんが大学在学中に石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤で入院。

そのお見舞いに通っていたところ、存在が噂となり映画監督から直接スカウトされたそうです。

そしてトントン拍子で話が進み、1982年に石原プロモーションに入社。

同年の映画「凶弾」で俳優デビューにして主演を務めました。

その後も俳優として活動する傍ら、バラエティ番組にも出演。

「石原家」という名門家系の出自とは思えぬイジられっぷりでお茶の間の人気者となりました。

多くのレギュラー番組がある事がその人気の証明と言えるでしょう。

持前のキャラクターはもちろん、頭の回転の速さもメディアで重宝される要因。

自分に求められている事が瞬時に察知できる。


これが出来るから様々な番組で引っ張りだことなっているだと思われます。

なお、兄の石原伸晃さん曰く「良純がうちの家系で一番IQが高い」。

この発言も石原良純さんの頭の回転の速さを裏付けていると言えますよね。

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