力強く魅力的な歌声が特徴だった黛ジュン(まゆずみ じゅん)さん。
『恋のハレルヤ』をはじめ大ヒット曲を飛ばしましたが、最近はどのように過ごしているのでしょう。
今回は黛さんの現在を確認します。
さらに結婚の詳細、兄・三木たかしさんとのエピソード、政治家との不倫、イタコによる破談騒動について見ていきます。
黛ジュンのプロフィール
本名:渡邊順子
生年月日:1948年5月26日
身長:160cm
出身地:東京都調布市
最終学歴:品川区立冨士見台中学校
所属事務所:オフィス・マユズミ
黛ジュンの現在
まず黛さんの現在についてです。
2023年現在、黛さんは本格的な芸能活動をしていないようです。
昨日に引き続きお会いできました!
レコード大賞受賞歌手の『黛ジュン』さん。
お綺麗なんだけどそれだけじゃなく
もうね、オーラが凄いっす。それでいてめちゃくちゃ優しい。
昨日受け取ってくれたソロアルバムも聴いてくれたそうで、、光栄です!
ゆうき pic.twitter.com/2gSkRPE7m6
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2018年に「徹子の部屋」へ出演したのを最後に、表舞台から遠ざかりました。
黛ジュン in 徹子の部屋
兄弟の事、作曲してる事、美容、食事、歌の衣装、歌を休んでいる事、自宅公開、行きつけの焼き鳥屋、EXILEのATSUSHI…と30分に今の黛ジュンの全てが詰まっていた。
美容体操でうつむいた所は髪型や服も手伝って60年代のジュンちゃんそのまま。(画像)#黛ジュン #徹子の部屋 pic.twitter.com/pwCEHD8gO1— 松 𝓂𝒶𝓉𝓈𝓊 (@matsu_878) August 7, 2018
同番組には青いミニスカート姿で出演。
現在70歳の黛ジュンがミニスカート姿で登場! 歌手人生や三木たかしさんとのエピソードなど語る 「徹子の部屋」 https://t.co/j9Cd1ecxxz #黛ジュン #黒柳徹子 #徹子の部屋 pic.twitter.com/Pq851vmBif
— music.jpニュース (@musicjpnews_mti) June 17, 2018
ステージへ出る際に、希望通りの衣裳を着るため、体型の維持に励んでいたそうです。
ただその後、彼女がステージに出たという情報はありません。
若さと美しさをキープしながらも、事実上の引退を果たしたようです。
一説では、マンションのオーナーとして、家賃収入で悠々自適な生活を送っているとのこと。
若い頃に多忙だった分、優雅な余生を送ることにしたのでしょう。
ただ体力があるうちは、今後も何らかのイベントに出演する可能性は高そうですね。
黛ジュンの結婚歴
黛さんには2度の結婚歴があります。
初婚相手は、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」でベース担当だった江藤勲さん。
確かなベース技術を武器に、さまざまなアーティストのレコーディングに参加した、スタジオミュージシャンでした。
2人は1970年に結婚したものの、わずか3年で離婚。
原因は江藤さんによる家庭内暴力とされています。
いったん引退した黛さんは、離婚後に復帰し、歌手活動を再開しました。
そしてドラマーの石田秀雄さんと再婚しますが、1994年に再び離婚。
原因は夫より妻の収入が多い、いわば「格差婚」だったためです。
黛さんは歌手としての華やかな経歴とは裏腹に、家庭ではうまく幸せをつかめなかったようでした。
兄・三木たかしとの強い絆
黛さんの兄は、著名な作曲家だった三木たかしさんです。
黛ジュン「天使の誘惑」(1968)
いま聴くと"ハワイアン・ロック"なのはジャケットだけですね。この曲でレコード大賞受賞していました。
作曲家の三木たかし先生は実のお兄さんなんですね。 pic.twitter.com/cJvsHyvb3d— アナログミュージックバー attic(アティック) (@attic_analog) August 5, 2020
売れっ子作詞家だったなかにし礼さんに見出され、作曲家デビューを果たしました。
1968年に妹へ提供した『夕月』は、オリコンチャート最高位2位を記録する大ヒット曲となります。
1977年には石川さゆりさんの代表曲となる『津軽海峡 冬景色』を作曲し、日本レコード大賞を受賞。
1988年にはアニメ『それいけ! アンパンマン』に、テーマ曲『アンパンマンのマーチ』と『勇気りんりん』を提供。
1994年には『夜桜お七』を作曲しました。
坂本冬美さんが歌った同曲はロングヒットを記録し、日本レコード大賞の作曲賞に輝きます。
演歌やアニメ主題歌など、幅広く作曲した三木さん。
晩年には下咽頭がんにより声帯を手術し、声を失うという悲劇にも見舞われました。
しかし2009年には「NHK歌謡コンサート」で黛さんと兄妹出演し、見事なギター演奏を披露。
自身が作曲した『さくらの花よ 泣きなさい』を演奏し、黛さんが歌唱を担当しました。
このときの演奏が、三木さんにとって最後のテレビ出演となります。
彼は同年、かねてから患っていた下咽頭がんにより、64歳で亡くなりました。
黛さんは、東京の増上寺で営まれた通夜に、遺族代表として参列。
「兄に褒められるために歌ってきた。この先、どうやって歌えばいいかわからない」と語りました。
基本的に歌を厳しく指導することがなかったという三木さんは、妹と石川さゆりさんにだけは厳しく接していたそうです。
2人のことを心から応援していたからこそ、誰よりも厳しく鍛え上げようとしたのでしょう。
強いきずなで結ばれた兄妹は、長きにわたって二人三脚で歩んできたといえますね。
黛さんは兄の死もきっかけとなり、目立った活動をしなくなったのかもしれません。
黛ジュンは政治家と交際?
黛さんは芸能界の中でも、とくにスキャンダルの多い歌手でした。
とくに話題を呼んだのが、大物政治家との交際です。
1984年に黛さんは、政治家が主催したパーティーで歌を披露しました。
その後は彼の事務所に呼び出され、高級指輪をいくつも渡されたそうです。
指輪はいわば「愛人契約」の証でした。
彼には他にも3人の愛人がいたそうですが、黛さんは交際を開始。
しかしあるとき、パリでディナー前のメイクをしていた際、鏡に映った彼の目つきが不快だったため別れることにしました。
大物政治家が誰だったかは不明です。
ただ80年代当時に莫大な富を築いていた、女性遍歴の豊富そうな政治家といえば、数人に絞れるかもしれませんね。
想像を膨らませることしかできませんが、まるでドラマのような2人の交際模様は、今後も注目され続けるでしょう。
青森県のイタコ破談騒動
黛さんが正式に結婚したのは2回のみ。
しかし恋多き女だった彼女は、合計4回も婚約しています。
1977年にはタイ人歌手と婚約しますが、彼が既婚者だったため破局。
その後、最後の婚約発表を行ったのは2001年。
相手は作詞家の里村龍一さんでした。
しかし婚約会見から1か月後、彼は黛さんの浮気を疑い、結局婚約は破談となります。
浮気を疑ったきっかけは、青森県のイタコによるお告げだったそうです。
このスキャンダルは「イタコ破談」と呼ばれました。
ただ黛さんの奔放な交際歴を知る人なら、イタコでなくとも彼に忠告できそうなものですね。
結果的に彼女は2023年現在まで独身です。
さすがに4度の婚約を経て、自身としても疲れてしまい、落ち着いて独身生活を送ることにしたのでしょう。
だとすれば彼女にとって最愛の男性は、公私共に伴走してくれた、兄の三木さんだったのかもしれませんね。
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