篠塚和典(利夫)の天才的な打撃と守備。トレード、結婚&離婚の噂。名前改名の理由

篠塚 和典(しのづか かずのり)さんは首位打者に二度も輝いた巧打者です。

天才的なのは打撃だけでなく、守備もかなりのレベルと言われていました。

今回は篠塚さんの天才ぶりやトレード、結婚について迫って行きましょう。

篠塚和典(利夫)のプロフィール

本名:篠塚 利夫 (しのづか としお)

身長:176cm

血液型:A型

出身地:千葉県銚子市

生年月日:1957年7月16日

所属球団:読売ジャイアンツ(1976~94) ※選手時代

主なタイトル:首位打者(1984年・1987年)

打つだけでなく守備も天才的だった篠塚

まずは篠塚和典さんの天才ぶりを改めて振り返ることから始めましょう。

篠塚さんのバッティングは巧いだけでなく美しさも兼ね備えており、あのイチローさんも「篠塚モデル」のバットを使うなど意識していたのは有名な話です。


バットコントロールの見事さは芸術品と言えるレベルとして知られ、Youtubeで守備やバッティングを教えている時に何度も「柔らかさ」や「流れ」という言葉が出ていました。

確かに篠塚さんの流し打ちは美しいほどしなやかで、守備もフワッとした印象を受けます。

これは天性の物というより意識的に取り組んでいるらしく、打撃も守備も体にゆとりを持たせることで瞬時のアクシデントに対応できると論理的に説明していました。

また、わざと体勢を崩して打つ練習をすることもあったそうですが、これによって急に難しいボールが来た場合にも冷静かつ、いつも通りに打ち返すことができるそうです。

もっとも、並の選手であれば変な癖がついて本来のバッティングに影響が出かねませんが、まったく問題なく自身の技術に取り込んでいるセンスは天才的と言えるでしょう。

守備もダイビングキャッチなど派手な動きはあまり無かったものの、バッターの立ち位置やキャッチャーの構えから打球を予測して待ち構えているという巧さを持っています。

本当に巧い人は”いつの間にかそこにいる”ような人を指しますので、篠塚さんは捕球力だけでなく打者心理を読んで守備位置を変えるセンスもまた天才的と言えるでしょう。

現役時代は腰痛に悩まされるなど健康面に不安がありましたが、もしも体が万全でフル出場できていたとしたら日本の野球史が大きく変わっていたかもしれませんね。

※主なタイトル (首位打者2回 / ベストナイン5回 / ゴールデングラブ賞4回)

篠塚和典をトレードに出す計画があった?

次は篠塚和典さんをトレードに出す予定だったという驚きの噂を見て行きます。

1986年のシーズンが少し不振だったことで6年間続いていた打率3割が途絶えてしまい、早くもシーズンオフにロッテの主砲だった落合博満さんとのトレード説がにわかに浮上。

その年の落合さんは123試合に出場して2年連続の三冠王(打率.360 / 本塁打50 / 打点116)に輝いており、ジャイアンツに限らずどこの球団であっても来て欲しい選手でした。

実は前年(1985年)のオフもジャイアンツはロッテに対して落合さんのトレードを打診をしていたらしく、その時は「原以外なら誰でも出す」とまで言ったそうです。

名前の挙がった篠塚さんは”巨人を出るのなら辞める”と宣言したことで注目を集め、ジャイアンツが揉めているうちに中日が牛島和彦さんらを出すことでトレードをまとめました。

また、騒動に奮起した篠塚さんは翌年に2度目の首位打者を獲得する活躍を見せています。

結果としてトレードは合意に至りませんでしたが、ロッテ側が求めた選手はジャイアンツの柱である原辰徳さんや中畑清さんだったので御破算は無理もないことでしょう。

そんな過去がありながら、1991年に篠塚さんは出場が減った不満から「必要無いならトレードに出してくれ」と主張し、球団から罰金処分を受けたのは何とも皮肉な話ですね。

結婚や離婚の回数について

ここでは篠塚和典さんの結婚や離婚など私生活の部分をチェックして行きましょう。

野球ファンの間やネット上では篠塚さんが”遊び人”というイメージがあるそうです。

あまりプライベートを明かしていないので結婚や離婚の回数は少し曖昧(あいまい)ですが、1981年に婚約破棄、1982年に別の女性と結婚して翌年には離婚をしたと言われていました。

それでは収まらず、1984年に女優・折原啓子さんの娘である嘉津子さんと再婚。

また、俳優の三上博史さんと折原さんは甥と叔母なので篠塚さんとも親戚になります。

1989年5月8日に長男の宜政(よりまさ)さんを授かっており、嘉津子さんとは2023年現在も結婚生活が続いている様子なので、結婚歴は(結婚2回と離婚1回)ということになるでしょう。

ちなみに、篠塚さんのブログを読むと結婚記念日が10月15日であることが読み解けます。

昔は色々とありましたが、嘉津子さんと結ばれてからは落ち着いた生活を取り戻していました。

篠塚利夫から和典に改名した意外な理由

最後に篠塚和典さんが改名をした理由について見ておきましょう。

1992年6月29日まで本名の篠塚利夫でプレーしていましたが、同年6月30日からは和典という登録名に変更したことはファンの間でも大きな話題になりました。

改名した理由は1990年以降、持病である腰痛の悪化によって出場機会が激減していたこともあり、一種のゲン担ぎのような意味合いもあって変える決断をしたそうです。

篠塚さんに改名を勧めた人物は「知り合いの内気功の先生」と「お寺の住職」というふたりが挙がっていますが、最近の流れでは内気功の先生説が有力になっていました。

改名を勧めた人から利夫という名前が腰を悪くしていると指摘され、藁(わら)をもつかむ気持ちだった篠塚さんはすぐに改名しましたが腰痛は治ることなく2年後に引退。

科学的に考えれば当然の結果ですが、それだけ腰痛に悩んでいた表れなのかもしれません。

実は篠塚さんに限らず野球選手には改名する人が多いらしく、ミスター赤ヘルの山本浩司さんは「山本浩二」に、阪神の矢野輝弘さんも「矢野燿大」に改めています。


他にも本名ではなくニックネームで選手登録する人も多く、イチローさんやパンチ(佐藤)さん、山本昌(本名は昌広)さんなどバラエティーに富んでいるのも面白さのひとつでしょう。

ただ、改名の裏には様々な悩みがあったことも併せて記憶に留めておいて頂ければ幸いです。

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