高橋由伸、ヤクルトのルーキー入団破談の理由。慶応大学の記録&桐蔭学園高校や中学の成績

高橋 由伸(たかはし よしのぶ)さんは大物ルーキーとして入団先が注目されました。

ヤクルトへ入団すると言われていたものの、突如として逆指名先を変更しています。

今回は高橋さんのドラフト騒動や学生時代の成績などをリサーチして行きましょう。

高橋由伸のプロフィール

本名:高橋 由伸(たかはし よしのぶ)

身長:180cm

出身地:千葉県千葉市

生年月日:1975年4月3日

所属球団:読売ジャイアンツ(1998~2015) ※選手歴

高橋由伸がヤクルトからジャイアンツ志望に変わった理由

まずは高橋由伸さんの入団希望がヤクルトからジャイアンツに変わった背景を見て行きます。

慶應大学の主力として活躍した能力だけでなく、野球選手らしからぬ爽やかなルックス面でも人気があった高橋さんの入団先は早くから注目を集めていました。

プロ12球団の中で中日・日本ハム・広島を除く9球団が獲得に乗り出し、特に高橋さんの出身地と重なる千葉ロッテは署名運動を繰り広げるほどの力の入れようだったそうです。


ただ、高橋さんは早い時期に入団先をヤクルト・ジャイアンツ・西武に絞り、中でも大学時代の思い出が残る明治神宮球場がホームのヤクルト入団が濃厚と言われていました。

逆指名をする1997年11月4日のスポーツ紙も「ヤクルト入りが決定的」と報じていましたが、記者会見で高橋さんが口にした球団はヤクルトではなくジャイアンツだったのです。

まさに急転直下の逆指名に一番驚いたのはジャイアンツの首脳陣だったと言われるほどで、すでに入団が決まったと報告を受けていたヤクルト野村克也監督も驚いていました。

逆指名先が急に変わった理由は会見前日に開かれた家族会議にあったと言われており、不動産会社を経営していた父親がジャイアンツ入りをするように主張したそうです。

実は会社が所有する土地(約60億円)が焦げ付いていたらしく、スカウトが”読売グループが面倒を見る”と確約したことで父はやむを得ず「家のために行ってくれ」と高橋さんを説得。

ヤクルトも西武もさすがに60億円もの負担はできなかったことから白旗を上げ、結果として笑顔がまったく見られない不思議な逆指名会見が行われることになったのです。

これは裏金と言われるものには当たらないとされており、読売グループが父親の会社に仕事を発注して「12億円ずつ5年間の分割払い」という内容なので不法行為にも該当しません。

しかしながら、この時の恩義は高橋さんの心の中に良くも悪くも深く刻まれてしまい、ジャイアンツの監督就任による現役引退を拒否できなかった理由とも言われています。

文字にすると少しネガティブな単語が並びましたが、大学生ながら60億円の価値があると認められたことはプロとして最高に近い評価と言っても過言ではないでしょうね。

高橋由伸は慶応大学で多くの記録を達成

次は高橋由伸さんが大学時代に打ち立てた記録を見て行きましょう。

憧れだった慶應大学に入学した高橋さんはこれまで以上に野球の才能を開花させ、1年生の春季リーグ戦では開幕から5番(サード)として出場してルーキー新記録の3本塁打を達成。

3年時(1996年)の春季リーグ戦では三冠王を獲得し、敬遠に苦しめられながらも4年時の秋季リーグで田淵幸一さんの持つ東京六大学リーグの本塁打記録を更新(23本)しました。

高橋さんが打ち立てた通算最多本塁打(23本)は2021年現在も1位の記録として刻まれています。

また、怪我が多かったプロ野球人生とは違って4年間全試合フルイニング出場を達成しており、積み上げた安打数は119本で歴代5位という輝かしい記録も残していました。

他にも日米大学野球では日本代表の4番として3試合連続本塁打を放ち、社会人混合のインターコンチネンタルカップでも4番として”国際大会151連勝中”だったキューバを撃破。

この試合で日本チームの先発を務めたのは後にチームメイトになる上原浩治さんでした。

二岡智宏さんを含めたスリーショットは貴重であり、どこか懐かしくもあります。

高橋さんは最後の慶早戦に際して「この時間が続いてほしい」と願ったと言われていますが、これは慶應大学での日々がいかに素晴らしかったかを表すひと言でしょうね。

高橋由伸の高校や中学について

最後に高橋由伸さんの高校や中学についてチェックしておきます。

時系列的に中学から見て行きますが、高橋さんの通っていた中学はあまり知られていません。


学校名について気になったので調べると、千葉市の市民栄誉賞を紹介するホームページに「高橋由伸 (生浜中学校出身)」とあったので千葉市立生浜中学校で間違いないでしょう。

中学時代はポニーリーグ「千葉ジャガーズ」のエースで4番として全国優勝(2年連続)したことは知られていたものの、中学校の名前が掲載されることが少なかったので紹介しました。

めざましい活躍によって多くの野球強豪校からスカウトされましたが、高橋さんは慶應義塾大学へ入学するために勉強と野球の両立ができる桐蔭学園高校(神奈川県)を選択。

中学校まではエースとして活躍をしましたが、桐蔭学園では早々にバッティングを活かすために外野手に転向し、1年時(1991年)夏に甲子園へ出場して3回戦進出をしています。

2年時も甲子園に出場しましたが、開会式直後の開幕試合(対沖縄尚学高)で敗れてしまい、3年時は神奈川県予選で敗退しているので甲子園の優勝経験はありませんでした。

高校生の時にもドラフト候補として数球団から接触があったものの、自身の念願でもある慶應大学へ入学するために断ったという驚きのエピソードもあったそうです。


もっとも、高橋さんがプロ入りを真剣に考えだしたのは大学2年生の頃と言われているので、大学を選んだ決断は”驚き”というよりも自然なものだったのかもしれません。

桐蔭学園を選んで慶應大学(法学部政治学科)に指定校推薦で入学できただけでなく、高校球児の憧れの地ある甲子園に2回も出場できたのは稀にみる幸運と言えるでしょうね。

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