高橋由伸は天才?前田智徳と比較。引退理由は怪我にあらず。無冠の帝王、メジャー断念の理由

高橋 由伸(たかはし よしのぶ)さんは走攻守に優れた日本を代表する名選手です。

その打撃センスは天才と言われ、前田智徳さんとの比較も話題になっていました。

今回は高橋さんと前田さんの天才対決や無冠に終わった理由などを見て行きます。

高橋由伸のプロフィール

本名:高橋 由伸(たかはし よしのぶ)

身長:180cm

出身地:千葉県千葉市

生年月日:1975年4月3日

所属球団:読売ジャイアンツ(1998~2015) ※選手歴

高橋由伸と前田智徳はどちらが天才なのか

まずは高橋由伸さんと前田智徳さんのどちらが天才かについて見て行きます。

ふたりとも球界を代表するスラッガーとして非常に有名で、左右に打ち分ける技術だけでなく長打力もあり、ここ一番という時の勝負強さもかなりのレベルにありました。


その一方で本人たちは事あるごとに「自分は天才ではない」と発言しており、前田さんは川上憲伸さんとの対談の中で改めて「断じて天才ではない」と断言しています。

前田さんによればプロ野球選手で天才だけで活躍している人はおらず、誰もが常人には考えられないような練習の積み重ねによって素晴らしいプレーを披露できているそうです。

少し見方を変えると、プロ野球選手になることが出来る人は全員が天才と言えるでしょうね。

高橋さんも自身の才能について多くを語ることはありませんでしたが、少なくとも天才と思っている素振りは見られなかったので前田さんの考えと同じなのかもしれません。

また、実際の成績で比較している意見も多いので通算成績の数字から少し見てみましょう。

※高橋由伸(18年) 1,819試合 / 打率.291(6,028-1,753) / 本塁打321 / 打点986 / OPS.869

※前田智徳(23年) 2,188試合 / 打率.302(7,008-2,119) / 本塁打295 / 打点1,112 / OPS.842

高橋さんは本塁打や長打率で勝り、前田さんは打率や打点で勝っていることが見て取れますが、これは実働年数やチーム状況などが複雑に関わるので簡単に決めることは難しいです。

当時のジャイアンツ戦はテレビ中継が多かったこともあって対戦チームもエース級を並べることが多く、ホーム球場の広さなどの環境も成績に影響を与えるので優劣は付けられません。

ただ、ふたりとも怪我に泣かされた野球人生だったので「悲運の天才」という表現が一番シックリ来るかもしれませんが、本人からするとコメントしづらいと言ったところでしょうか。

一連の流れを見る限り、アスリートに対して天才と言うのは適切では無いのかもしれませんね。

引退は怪我が理由では無かった

次は高橋由伸さんの怪我や引退について見て行きましょう。

高橋さんは高校時代から腰痛を患っており、プロ入り2年目には鎖骨を骨折、他にもフェンス際でのジャンピングキャッチによる足の負傷や肉離れなど満身創痍の野球人生でした。

特に印象的なのは守備をしている時の怪我が多いことで、外野フェンスに激突したり他の選手との衝突、ダイビングキャッチなどガッツあふれるプレーが怪我に繋がっています。

晩年は腰痛や足の肉離れ、右手中指を脱臼などに苦しみましたが代打の切り札としてチームに大きく貢献し、現役最後の年である2015年には代打の打率(.395)を記録。

2016年シーズンも現役を続行するつもりでいた高橋さんですが、当時の監督だった原辰徳さんが勇退を表明したことで球団から後任の監督になるように要請されて引退しました。

ファンや同僚からするとまさに急転直下と言える現役引退&監督就任で驚かれましたが、もしかすると一番驚いているのは当の高橋さん本人かもしれません。

仮に怪我がなく万全の状態ならば球団も半ば強制的な監督就任を迫ることは無かったことも考えられるので、それも踏まえて怪我に泣かされた野球人生だったと言えるでしょう。

これだけの選手でありながらフル出場をしたのは入団4年目の2001年のみだったことからも、高橋さんは怪我が多く満足の行くシーズンが少なかったことが伺えます。

ただ、この悲運のヒーローという点は高橋さんの根強い人気のひとつと言えるかもしれません。

高橋由伸が無冠の帝王に終わった理由

ここでは高橋由伸さんが主要なタイトルを獲得できなかった理由を見て行きます。

高橋さんほどの選手であれば何らかのタイトルを獲得していそうですが、実際にはゴールデングラブ賞が7回、ベストナインが2回で打撃部門の表彰はほとんどありません。

おそらく最もタイトルに近かったのは2007年の本塁打王で、タイトルに輝いた村田修一さんが36本で高橋さんは35本というわずか1本の差で栄冠を逃す結果となりました。

当時のセ・リーグでは首位打者は(.340)前後、打点王は100を超える戦いがほとんとで、高橋さんは先ほどの本塁打を除くとタイトル争いに加わることは多くなかったのです。

ただ、2009年シーズンの首位打者に輝いたラミレス選手の打率は(.322)であり、これは高橋さんのキャリアハイである2003年の打率(.323)とほとんど変わりません。

もちろんシーズンの流れや対戦相手のレベルが違うことは承知の上ですが、あくまで数字だけを見ると歯車さえ合えば高橋さんが首位打者に輝いても不思議では無いでしょう。


また、球界の番長として知られた清原和博さんや最初の項目で触れた前田智徳さんも無冠の帝王なので、タイトルを獲得できるかどうかは「運」の要素も少なからずあります。

しかしながら、無冠に終わった上記の3名は引退後も憧れや尊敬を集めていることを見ると、プロ野球選手にとって人気はタイトル以上に価値があるものと言えるかもしれません。

メジャーに挑戦しなかった意外な理由

最後に高橋由伸さんがメジャーに行かなかった理由について見ておきましょう。

平成の中盤頃からプロ野球選手のメジャー移籍が多くなり、現在(2023)も日本人選手が活躍をしています。

走攻守がそろった高橋さんにもメジャー移籍の噂がありましたが、意外なことにメジャーに強い関心はなく移籍を考えたことは無かったと明らかにしていました。

その理由について高橋さんは「僕は中途半端だったから」と笑いながら話し、パワーやスピードも際立ったものが無かったので移籍しても埋もれると語っています。

同僚だった松井秀喜さんがメジャーに行っても最高で31本塁打に終わったことからしても、日本での成績を基準にして考えると中途半端との分析は正しいと言えるでしょう。


また、試合数や長距離の移動が多いことも健康に難がある高橋さんにとってはネックで、様々なことを総合的に分析してメジャー志向を意図的に消したのかもしれません。

アスリートであれば最高の舞台に挑戦したいと思うのが当然ですが、クレバーな高橋さんは自らの状態を冷静に分析して「身の程を知れ」ということわざを実践したと言えます。

この判断については賛否が分かれますが、結果的には正しい選択だったのではないでしょうか。

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コメント

  1. 由伸さんはジュニア時代から天才過ぎて、そのまま成長して巨人入り重責が凄すぎ。もう少し自由があればきっとダイリーグで活躍できたはず。もったいなーい