ローカル路線バス乗り継ぎ旅で大人気の太川陽介(たがわようすけ)さん。
過酷な旅が多いだけにギャラも高く年収もかなりの額となっている事でしょう。
プロデュースした商品が通販番組で人気になるなど絶好調。
ところが実際は仕事が無くなる不安に苛まれているんだとか。
調布にあると言われる自宅や蛭子能収さんとの仲も気になるところです。
太川陽介のプロフィール
本名:坪倉育生(つぼくらいくお)
生年月日:1959年(昭和34年)1月13日
身長:171cm
出身地:京都府京丹後市
最終学歴:日本学園高等学校卒業
所属事務所:サンミュージックプロダクション
太川陽介の年収は?
若かりし頃はアイドル歌手として人気を博した太川陽介さん。
数々のドラマに出演するなど俳優としても活躍しています。
ですが、最近の太川陽介さんと言えば何と言っても「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」ですよね。
2007年10月の初回放送時は単発放送の予定だったそうです。
ところがあまりの人気の高さにレギュラー企画に。
2016年には劇場版が制作された事が大きな話題となりました。
こうして太川陽介さんを代表する番組の1つとなった同番組。
拘束時間が長く、道中が非常に過酷な事もありギャラは約40万円と言われています。
ただ、体力と気力の衰えに加えて「出来る事はやり切った」という思いから2017年1月に番組を卒業。
その後はナレーターという形で乗り継ぎ旅に関わる事となりました。
ですが番組の趣旨は同じでも出演者が変われば別の番組。
太川陽介さん不在の番組に物足りなさを感じた人は少なくなかったはず。
そうした視聴者の思いが届いたのでしょう。
2019年に太川陽介さんが乗り継ぎ旅に復帰が発表されました。
復帰に際してギャラが2倍近くアップしたという情報も。
この情報が本当であれば太川陽介さんのギャラは約80万円という事に。
乗り継ぎ旅の放送は大体、月に1回なので年間だと約12回。
つまり、この番組のギャラだけで1000万円近い年収を稼いでいる事になります。
ただ、太川陽介さんの活動はこの番組だけではありません。
ドラマやバラエティー番組、コンサートなど精力的な活躍。
それに加えて書籍や楽曲、映像作品等の印税も入ってきます。
これら全てを含めると年収1500万円は確実と言えるでしょう。
太川陽介の自宅があるのは調布
2023年時点で31年以上も調布で暮らしている太川陽介さん。
まだ独身だった頃に自ら設計して自宅を建築したそうです。
殆どの人にとって一生で最も高い買い物となるのが自宅。
結婚し子供が生まれたタイミングで自宅の購入を決断するという人が多いはず。
ですが太川陽介さんが自宅を建てたのは独身時代。
非常に珍しいケースと言えますよね。
ちなみに自宅を建てた当時、結婚の予定は全くなし。
それでも将来の家族を想像しながら自宅の設計をしたそうです。
将来の明るく楽しい日々を思い浮かべ設計した事でしょう。
ですが、実際に家族が増えると改善が必要な個所がチラホラ。
そのため少しずつリフォームをしながら、住みやすい自宅に改良しているようです。
「一生のうちに家を3回建てる」、「3度目で完璧な家ができる」と考えているという太川陽介さん。
きっと繰り返されるリフォームも想定内。
ただ、何度もリフォームを出来るのもそれなりの稼ぎがあるから。
いまも第一線で仕事を頑張り続けるのはより良い自宅にするためなのかもしれません。
太川陽介は仕事不遇の時代と再ブレイク
1976年に歌手として芸能界にデビューした太川陽介さん。
その翌年にリリースした3曲目の「Lui-Lui」が大ヒット。
同年、数々の新人賞を獲得するなど大ブレイク。
1979年からは「レッツゴーヤング」の司会を務めるなど時代を代表するアイドルとなりました。
ところが移り変わりが激しく次々に新たなスターが誕生する芸能界。
太川陽介さんも人気が低迷し、不遇の時代を過ごす事となってしまいます。
アイドル歌手としては先が無いと判断したのでしょう。
活動の中心を歌手からタレント、俳優にシフト。
その後は地道ながら着実に活動を続けた事で芸能界の地位を確立。
そしてローカル路線バス乗り継ぎ旅で再ブレイク。
若年層にもファン層を拡大する事に繋がりました。
再ブレイクのきっかけとなった同番組。
ですが、太川陽介さんにとっては決して良い思い出ばかりではなかったようです。
特に辛かったのが乗り換えのバスが見つからない時。
この時、仕事も目標も無かった不遇の時代がフラッシュバックしてしまうんだとか
収録中にこんな辛い思いをしていたなんて想像だにしなかったですよね。
ただ、不遇の時代があったからどんな仕事にも真摯に取り組むようになったはず。
この辛い経験が無ければ今の太川陽介さんがいなかったと言っても過言ではないかもしれません。
プロデュースする商品が通販で大人気
芸能人の人気のバロメーターの1つと言えるのが商品のプロデュース。
人気タレントがプロデュースした商品が話題となる事も多いですよね。
太川陽介さんも商品のプロデュースを手掛ける一人。
プロデュースする商品はバッグやマッサージチェアなど多岐に渡っています。
バッグはイタリアミラノのブランドとコラボ。
使いやすさを追求し、普段使いから旅行まで様々なシーンで使えるバッグに仕上がっています。
また、マッサージチェアは太川陽介さんが機能を厳選。
充実した機能で全身をしっかりと揉み解せると好評のようです。
どちらの商品も旅番組で活躍する太川陽介さんならでは。
通販番組で高い人気となっているのも納得ですよね。
きっと「太川陽介さんプロデュースなら」と購入を検討する人も多いはず。
今後、次々と新たな商品のプロデュースを手掛けていくかもしれませんね。
太川陽介と蛭子能収は本当に仲が悪い?
今や芸能界きっての名コンビとなった太川陽介さんと蛭子能収さん。
二人の絶妙な掛け合いも「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の魅力の一つ。
もし違う人とコンビを組んでいたらこれほどの人気番組とはならなかったかもしれません。
その一方で囁かれているのが二人の不仲説。
番組では名コンビの二人ですが、本当は仲が悪いと噂になっているんです。
不仲説が囁かれるきっかけとなったのが乗り継ぎ旅の第12弾。
バスの乗り継ぎを教えてもらうも、すっかり忘れてしまった太川陽介さん。
そこで蛭子能収さんとマドンナとして出演していた加藤紀子さんに聞くも両者ともに覚えておらず。
更に追い打ちをかけたのが蛭子能収さんの「ちゃんとメモしてると思った。信じられない」という発言。
この言葉にさすがの太川陽介さんもブチ切れ。
口論が始まり最終的には「今回最後にしよう。最終回です」と言ってしまいました。
放送では約30秒の長さだった二人の口論。
ですが、実際は約5分も口論が続いたそうです。
普段は温厚な太川陽介さんがこんなに口論を続けるなんて。
この時はよっぽど頭に来ていたのでしょうね。
このシーンが強く印象に残っている人は二人が不仲と思っても仕方ないかもしれません。
ですが、二人が不仲という事実はありません。
蛭子能収さんは太川陽介さんに対して好感を抱き、信頼感さえ持っているんだとか。
一方の太川陽介さんも蛭子能収さんがいない撮影は「寂しい」と語っています。
きっとお互いに心を開いているからこそ本気でぶつかり、時に揉めてしまうのでしょうね。
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コメント
太川陽介は、豆で、足 腰 も、丈夫なのでしょう
お便りを、渡してもらったら、お返事くれて、実印がおしてありました