小林 繁(こばやし しげる)さんは「悲劇のヒーロー」という愛称で有名な選手です。
野球だけでなく私生活も波乱に満ちており、家庭や女性関係も噂になっていました。
今回は小林さんの妻や子供、明石家さんまさんとの意外な関係を見ていきましょう。
小林繁のプロフィール
本名:小林 繁 (こばやし しげる)
身長:178cm
出身地:鳥取県東伯郡赤碕町 (現・琴浦町)
生年月日:1952年11月14日
没年月日:2010年1月17日 (57歳没)
所属球団:読売ジャイアンツ (1973~78) / 阪神タイガース (1979~83)
小林繁の妻、3度の結婚と2人の子供
まずは小林繁さんの妻や前妻、子供についてチェックしていきます。
小林さんは人生で2度の離婚、3度の結婚を経験していると言われており、波乱に満ちた人生の最期を看取ったのは26歳も年下の静子さんという女性でした。
結婚をしたのは2008年頃のことで、静子さんとの交際は約7年にも及んだそうです。
交際を始めた頃の小林さんは事業の失敗などで多大な負債を抱えるという状況でしたが、静子さんはどん底の時でも懸命に支え続けてくれた立派なパートナーでした。
2009年に北海道日本ハムファイターズの2軍投手コーチに就任し、翌2010年には1軍投手コーチへの昇格が決まっていましたが、年が明けて間もない1月17日に亡くなっています。
ふたりの結婚生活は2年弱という短いもので、ようやく人生が上向いてきたというタイミングでの旅立ちは静子さんのみならず小林さんにとっても無念だったことでしょう。
ちなみに、小林さんには静子さん以外の女性と2度の結婚歴があり、1974年1月に大丸時代の同僚だった博子さんと、1992年には12歳下で料理研究家だった久美子さんと結婚しています。
子供は最初の妻である博子さんとの間に第一子で長男の優介さん、長女の悠記(ゆうき)さんを授かっているそうですが、離婚をしてからの動静については分かっていません。
ただ、離婚の際に「子供は小林姓」と「いつでも会える」ことを条件にしたそうなので、夫婦関係は破綻をしたとしても親子関係は良好であったと願うばかりです。
小林繁と中森明菜の熱愛報道
次は小林繁さんと中森明菜さんの熱愛報道について見ていきましょう。
ふたりの関係が週刊誌で報じられたのは最初の妻・博子さんと離婚(1980年)してからのことで、接点はよく分かりませんが何らかの繋がりがあったそうです。
もっとも、博子さんとの離婚も小林さんの浮気が原因だったと言われていることから、メディア側もスキャンダルや芸能人との熱愛を予想して張り付いていたのかもしれません。
小林さんと噂になった芸能人は中森さんだけではなく、藤圭子(宇多田ヒカルさんの母親)さんや小柳ルミ子さんなど人気のあった女性有名人と数多く噂になっていました。
いずれの噂も信憑性が高かったかと言えば少し微妙ですが、ある意味で当時の小林さんが芸能界の大物と交際しても不思議では無いほどの人気ぶりだったことが伺えます。
この手の話は真実かどうかよりも、昭和の芸能史の1ページとして楽しむ方が良いでしょうね。
小林繁と江川卓を和解させたのは時間の経過だった
ここでは小林繁さんと江川卓さんの和解について見ていきます。
江川さんは球史に残る「空白の一日」によって阪神タイガースから読売ジャイアンツへトレードされていますが、その交換(トレード)相手になったのが小林さんでした。
入団に際して江川さんは「絶対に金銭トレードにして欲しい」と条件を付けたものの、あろうことかジャイアンツの人気投手だった小林さんとの交換で入団することになったのです。
この経緯から両者の関係は球界のタブーと言われていましたが、2007年10月11日より放映された酒造メーカー「黄桜株式会社」のCMを制作する過程で正式に和解をしていました。
もっとも、江川さんが小林さんをトレードに出すように指名したわけでもなく、球団同士が決めたことなので選手同士の関係が悪くなったのは気の毒としか言えません。
小林さんも理屈では分かっていたものの収まりがつかず、約28年という長い時間が過ぎました。
ふたりともが現役を引退して「いい大人」になり、いわゆる「江川事件」が自分の中でも落ち着いたという”時間の経過”が引き裂かれた間を取り持ったと言えるでしょう。
改めて振り返ると、小林さんと江川さんの両方が被害者だったという悲しい騒動でした。
昔の明石家さんまは小林繁のモノマネをしていた
最後に小林繁さんと明石家さんまさんの意外な関係を見ておきましょう。
昭和・平成・令和とお笑い界のトップを走り続けるさんまさんですが、上京する前の関西時代は有名人の声帯模写(モノマネ)をして人気を集めていたそうです。
兄弟子の明石家小禄(ころく)さんの勧めで顔が似ている小林さんのマネをするようになり、移籍した阪神タイガースでの大活躍(1979年22勝・1980年15勝)もあって話題になりました。
さんまさん自身は顔が似ていることだけでなく、移籍に関する「江川事件」の背景を知っていたので小林さんを応援する意味合いが含まれていたと言われています。
ちなみに、さんまさんは読売ジャイアンツのモノマネもしていたそうですが、ウケが良い小林さんのモノマネを中心に素早く切り替えたのはさすがと言えるでしょう。
さんまさんは上京後に「オレたちひょうきん族」などのコントやトーク中心の芸風に変えているので、若い人が昔のモノマネ時代を知らないのは当然かもしれませんね。
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