誰もが認める日本ボクシングの最高傑作である井上尚弥(いのうえなおや)さん。
中学から怪物ぶりを発揮し、異例ともいえる高校7冠を達成。
こうした輝かしいばかりの経歴を幼少期に予言していたと話題になっているんです。
異次元の強さである事が分かる逸話の数々もご紹介しましょう。
井上尚弥のプロフィール
愛称:怪物/モンスター(リング上)
本名:井上尚弥
生年月日:1993年4月10日
身長:165cm
出身地:神奈川県
最終学歴:拓殖大学(中退)
所属事務所:ホリプロ
井上尚弥は年収。ファイトマネー&契約金が凄い。事務所はホリプロ、海外の知名度も抜群
井上尚弥の高校7冠は桁が違った
日本ボクシング界において史上最強の呼び声高い井上尚弥さん。
プロデビューから僅か8戦で2階級制覇。
2022年1月時点で22戦22勝19KOとまさに向かうところ敵なし。
バンタム級という軽量級でありながらKO率が約86%というのは驚異的なこと。
そして2020年10月にはアメリカのボクシング専門誌が発表するPFPで2位にランクイン。
これは日本国内だけでなくボクシングの本場、アメリカでも高く評価されている何よりの証拠。
「モンスター」という異名が付けられたのも納得ですよね。
プロボクサーとして見事な結果を残し続ける井上尚弥さん。
高校生の頃にもアマ7冠という素晴らしい成績を残しています。
ちなみにアマチュアボクシングにおける高校生のタイトルはインターハイと国体、選抜の3つ。
このうち選抜は3月に開催される事から3年生は出場できません。
そのため高校3年間で全てのタイトルを獲得した場合は8冠。
実際に過去には8冠を達成したボクサーも存在しています。
ですが井上尚弥さんが高校生の頃に達成したのは7冠。
きっと数字だけ見れば「8冠に劣る」と思う人も多いでしょう。
ただ、この7冠は8冠以上に凄い成績なんです。
井上尚弥さんは高校1年生の時にインターハイ、国体、選抜を制覇。
2年生の時にはインターハイはベスト8に終わったものの国体を連覇し4冠。
そして3年生ではインターハイで優勝。
それに加えてインドネシア大統領杯で金メダルを獲得。
更にアマチュアの最高峰である全日本選手権で優勝した事で7冠となりました。
8冠を達成するのは確かに凄いことに違いありません。
ですが、インターハイや国体、選抜に出場しているのは日本の高校生だけ。
一方、井上尚弥さんは国際大会やアマチュア最高峰の大会でも優勝を果たしています。
日本の高校生だけの大会で優勝するよりも遥かに難しい事は間違いありません。
「強い相手としか戦わない」を信条とする井上尚弥さん。
きっと高校1年生の時に3冠を達成した事で強い相手を求めたのでしょう。
もし高校タイトルだけに絞っていたら8冠を達成出来ていたかもしれません。
プロ入り後の快進撃を見るとそう思えてなりません。
井上尚弥は中学の頃から怪物だった
井上尚弥さんは中学3年生の時に出場した第1回全国U-15大会で見事に優勝。
優秀選手賞も受賞するなど、この頃から既に才能の片鱗を見せています。
そして50m走のタイムは7秒ジャストと高校生並み。
野球部員やサッカー部員よりも足が速かったそうです。
天性のボクシングセンスに加えて抜群の運動神経。
これらを併せ持ち努力までするのだから強いはずですよね。
なお、井上尚弥さんが所属している大橋ジムに初めて出稽古に訪れたのも中学生の頃。
そこで当時、東洋太平洋チャンピオンだった八重樫東さんとスパーリングする機会に恵まれたそうです。
東洋太平洋チャンピオンと中学生の実力差はまさに大人と子供。
普通なら緊張して実力の半分も出せなくても不思議ではありません。
ですが、普通という枠組みに収まらない井上尚弥さん。
スパーリング後に八重樫東さんから「中学生にしては強い」と評価されています。
そしてこの言葉をきっかけに今まで以上にトレーニングに精を出すようになったんだとか。
きっとプロに実力を認められて嬉しかったのでしょう。
一流のボクサーの強さを肌で感じた事で目指すべき強さが明確になったのかもしれません。
井上尚弥の輝かしい経歴とは
プロ入り前の経歴
今や「日本ボクシング史上最高傑作」とも呼ばれる井上尚弥さん。
その輝かしい経歴はプロ入り前から始まっていたんです。
アマチュアボクサーだった父親の影響でボクシングを始めたのが小学1年生の頃。
6年生の時に初めて試合に出場すると中学2年生を圧倒してRSC勝ちを収めています。
子供の頃の2歳差はかなり大きな差ですよね。
そして前述の通り中学校3年生の時に出場した第1回全国U-15大会で優勝し、優秀選手賞も獲得。
同世代の中では頭一つ抜けた存在だった事は間違いありません。
そして高校1年生にして高校3冠を達成。
更にアジアユース選手権では銅メダルも獲得しています。
高校2年生では国体を連覇すると共に世界ユース選手権でベスト16に。
初出場した全日本アマチュア選手権でも準優勝に輝いています。
高校2年生にしてアマチュアで2位なんて凄いですよね。
ただ、常に上を目指す井上尚弥さんにとっては納得いく結果では無かったはず。
そして見事に高校3年生の時に全日本アマチュア選手権で優勝。
その他、インターハイ、インドネシア大統領杯も制しています。
なお、井上尚弥さんのアマチュア時代の戦績は81戦して75勝6敗。
意外な事に6敗もしているんです。
プロに比べると相手を倒す事よりもテクニックを求められるアマチュア。
使用するグローブやルール、ラウンド数など違いは少なくありません。
制限が多いアマチュアの舞台では井上尚弥さんの持つポテンシャルを全て発揮する事は出来なかったのかもしれません。
プロ入り後の経歴
2012年に大橋ジムに入門しプロボクサーへの道を歩み始めた井上尚弥さん。
同年7月11日に行われたプロテストに合格すると3か月後の10月2日にプロデビュー。
デビュー戦にも関わらず終始相手を圧倒し4RでKO勝ち。
それと同時に日本ライトフライ級6位、東洋太平洋ライトフライ級10位にランクイン。
プロ転向から3か月でランクインするのは驚異的なこと。
きっと多くのボクシングファンが後に世界チャンピオンになる事を確信していた事でしょう。
その後も連戦連勝でプロ転向後、4戦目にして日本王座を獲得。
5戦目で東洋太平洋王座を獲得すると6戦目で念願の世界チャンピオンに。
ただ、体が成長していた事もありライトフライ級まで体重を落とすのが困難となっていました。
世界戦でも減量の影響で試合中に足がつっていたそうです。
そのため階級を上げる事を考慮するも「防衛戦を行う事は王者としての責任」とライトフライ級でもう1試合する事を決意。
そして見事に王座を防衛するとライトフライ級の王座を返上。
その後、ライトフライ級から2階級上のスーパーフライ級に転向。
スーパーフライ級に転向後、初戦の対戦相手となったのがオマール・ナルバエスさん。
当時、同級王座を11連続防衛中で14年間も無敗。
アマチュアも含めると150戦を超えるキャリアで1度のダウンもなし。
まさに最強のチャンピオンと言っても過言ないでしょう。
井上尚弥さんが初めて苦戦するのでは、という予想も少なくありませんでした。
ところがいざ蓋を開けてみれば僅か2RでKO。
この1戦で自身の実力を世界中に知らしめた井上尚弥さん。
それ以降はどこまで快進撃を続けるのかが注目されるようになりました。
その期待に応えるかのように勝利を重ね、日本人最速となる16戦目で3階級制覇を達成。
2018年には各団体の世界チャンピオンクラスばかりが出場するWBSSに参戦すると見事に優勝。
もはや同階級で最強の1人である事を疑う人はいないでしょう。
長いボクシングの歴史で見ても5本の指に入るボクサーと言っても過言ではありません。
そんな井上尚弥さんの今の目標は世界ボクシング史上で4人しかいない4団体統一王者。
まぁあくまで今は俺の適正階級はこのバンタム級だから時期が来るまで気長にね、、皆さんも気長にね、、
いずれスーパーバンタム級にあげる予定だからその準備もしながらね、、
バンタム級で4本のベルトは必ず巻く— 井上尚弥 Naoya Inoue (@naoyainoue_410) September 23, 2021
もし4団体を統一すればPFPで1位となる事も夢ではないはず。
名実ともに日本史上最強を証明する日が待ち遠しくてなりませんね。
幼少期に世界一を予言していた?
井上尚弥さんがInstagramに掲載した1枚の写真。
その写真が今、大きな話題となっているんです。
父親と一緒に写真に写る井上尚弥さん。
人差し指を立てた「No.1」を表すかのようなポーズをしています。
後にNo.1になる事を予言していたのでしょうか。
もしくは「既にNo.1」という自信に満ち溢れていたのかもしれません。
そして見事に誰もが認めるNo.1となった井上尚弥さん。
きっとこの写真は今まで以上に思い出深い1枚となった事でしょう。
家族で集まった時に話のネタにされているかもしれませんね。
井上尚弥の強さが良く分かる逸話
これまでリング上で自らの強さを証明してきた井上尚弥さん。
「百聞は一見に如かず」というように強さを知るには試合を見るのが一番。
ただ、その強さゆえに数々の逸話も生まれているんです。
アマチュアの頃に日本1位を圧倒
高校卒業後、大橋ジムに入門した井上尚弥さん。
その後、当時の日本1位だった田口良一さんとスパーリングする機会があったそうです。
スパーリングのオファーをしたのは大橋ジム。
日本1位と拳を交える事で実力を測りたいという思惑があったのでしょう。
田口良一さんもこのオファーを快諾。
きっと「プロの厳しさを教えてやろう」と考えていた事でしょう。
ところがいざ拳を交えてみると井上尚弥さんのあまりの強さに驚愕。
1R目からダウンを奪われ、2Rでもダウン。
そして4Rの予定だったスパーリングが3Rで打ち切られてしまったそうです。
アマチュアでありながら日本1位を圧倒するなんて。
きっとその場にいる誰もが我が目を疑った事でしょう。
プロテストの相手が日本チャンピオン
プロボクサーになるためのテストで行われるのが筆記試験と実技試験。
通常であれば実技試験は受験者同士でのスパーリング。
ところが井上尚弥さんのスパーリング相手は当時の日本チャンピオン。
しかもスパーリングで日本チャンピオンを何度もコーナーに追い詰めるなど圧倒したそうです。
一般の受験者が相手だったらあっという間にKOしていたかもしれません。
そう考えると日本チャンピオンがスパーリング相手というのは適切な判断と言えるでしょう。
ただ、プロテスト生にコーナーに追い詰められたチャンピオンの気持ちを考えると何とも複雑な思いがしてしまいます。
強過ぎてデビュー前から相手が見つからない
圧倒的な強さを見せつけてプロテストに合格した井上尚弥さん。
ジムの中には期待のホープを売り出すために話題作りとして「噛ませ犬」をぶつける事もあります。
ですが井上尚弥さんはジムに入る際に「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない」という契約を交わしています。
そのためジムが声をかけたのは格上の日本人の世界ランカーや日本ランカーばかり。
ところがプロテストの強さが衝撃的だったため全て断られてしまったんだとか。
そしてようやく決まったのが東洋太平洋ランク7位の選手。
日本ランカーよりも遥かに格上の選手だったんです。
ところが井上尚弥さんはこの選手を相手に4RでKO勝ち。
デビュー戦にも関わらず東洋太平洋ランカーを歯牙にもかけない強さ。
ボクシング界に衝撃が走った事は間違いありません。
その証拠に第2戦として契約寸前だった試合もキャンセルとなってしまったそうです。
それだけ井上尚弥さんの強さが衝撃的であり圧倒的だったという事ですね。
ここでご紹介した逸話はごく一部。
井上尚弥さんには紹介しきれないほど様々な逸話が残されています。
今後も更なる逸話を残していくことは間違いありません。
きっとボクシング界の伝説として今後も語り継がれていく事でしょう。
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