工藤公康、妻の食事と支え。再婚の噂なぜ。結婚式の気遣い&病気説とは

「名選手、名監督にあらず」の定説を覆す名選手で名監督の工藤公康(くどうきみやす)さん。

ここまでの逸材となれた大きな要因は妻の食事だったんです。

ただ、再婚したという聞き捨てならない情報も。

話題となった結婚式での心配りや妻の病気の噂についても見ていきましょう。

工藤公康のプロフィール

生年月日:1963年5月5日

出身地:愛知県名古屋市昭和区

身長:176cm

血液型:O型

最終学歴:名古屋電気高校

工藤公康を名選手に作り上げた妻の食事とは

47歳まで現役を続け、通算で224勝を挙げた工藤公康さん。

4球団を渡り歩き、3球団を日本一に導いた事から付いた異名が「優勝請負人」。

1度の優勝も経験できない選手も少なくない中、工藤公康さんは14度のリーグ制覇と11度の日本一を経験しています。

ただ、これほどの選手になれたのは間違いなく妻のおかげなんです。

入団して4年目、1985年に先発投手の地位を勝ち取ると34試合で8勝3敗のまずまずの成績。

1986年は22試合で11勝5敗、1987年は27試合で15勝4敗で最多勝率と最優秀防御率を獲得するなど成績は上り調子。

ですが、名選手となるにつれて増えてくるのが夜のお誘い。

当時は時間があれば飲み歩いて何本もボトルを空に。

夜が明けてから家に帰り、昼まで寝て球場に向かうという生活をしていたそうです。

このような生活が身体に良いわけがありませんよね。

1988年は24試合で10勝10敗、1989年は33試合で4勝8敗、1990年は13試合で9勝2敗と明らかに影響を与えてしまいます。

成績不振が続いた事から「あいつは終わった」と言われる事もあったんだとか。

そんな工藤公康さんを救ったのが妻の雅子さんでした。

二人は1990年のシーズンオフに結婚。


栄養士の資格を持っていた雅子さんが結婚後にまず取り組んだのが食生活の改善。

お酒の飲みすぎで肝臓に負担がかかっていた事もありシジミの味噌汁や酢の物。

お肉を食べるときは内蔵への負担を減らすためパイナップルなど消化を助ける食材を取り入れるなどアイデア満載。

このように身体を第一に考えたおかずが15品も並んでいたんだとか。

毎日、栄養バランスの取れた食事を取る事で疲れが取れやすい体質に変化。

食生活の変化に伴い生活習慣も変化し、夜に飲み歩く事もなくなったそうです。

妻の雅子さんに「身体を治す食事は私が頑張る」、「あなたはトレーニング方法などを学びなさい」と言われた事で医学や運動生理学、体のメンテナンスを学ぶように。

すると1991年は25試合に登板して自己最高となる16勝(3敗)を記録。

チームを日本一に導き、自身も最高勝率のタイトルに最優秀バッテリー賞、日本シリーズの優秀選手賞を獲得。

その後もコンスタントに好成績を残し続けています。

もし、雅子さんと結婚していなければ工藤公康さんの選手生命は短命となっていたでしょう。

そして「優勝請負人」と呼ばれる事もなく、監督に就任する事も無かったかもしれません。

そう考えると雅子さんの存在はプロ野球界にとっても非常に大きなものであると言えますね。

工藤公康が再婚したという情報が

まさに良妻賢母という言葉がぴったりな工藤公康さんの妻。

アスリートの妻の鑑と言っても決して過言ではありません。

ところが工藤公康さんには「再婚」という噂があるんです。

こんな素晴らしい妻と離婚して再婚したのでしょうか。

もしそれが本当であれば何とも愚かな行為と言わざるを得ませんが、いくら調べてみても工藤公康さんが再婚したという情報は見つからず。

一体なぜ、再婚という噂が出たのか不思議でなりません。

1989年のシーズンオフにふたりは結婚していますが、当時の工藤公康さんは生活が飲み過ぎが原因で肝機能障害になっており、現役どころか命すら危ういと診断されています。

そこで栄養士だった雅子さんの熱心なサポートによって体調はみるみるうちに改善し、その結果として工藤公康さんは20年近くも現役選手を続けることができました。

そんな雅子さんと離婚した事実は一切なく、現在も離婚(再婚)どころか工藤公康さんは感謝していて頭が上がらないとまで言われています。

プロゴルファーの長女・遥加さんのインスタグラムに登場してファンに親しまれる存在です。

考えられる可能性としては2023年時点で単身赴任していること。

工藤公康さんの離婚疑惑が流れた原因として「別居」が挙げられていましたが、ソフトバンクホークスの監督をしているのでシーズン中の別居は仕方ないことでしょう。

工藤さんの自宅があるのは神奈川県横浜市。

ですが、福岡ソフトバンクホークスの監督に就任した事で単身赴任となりました。

家族と離れて暮らしている事から不仲と思い、再婚を噂しているのかもしれません。

また、工藤公康さんは現役の頃に同じマンションの別室を借りていた事がありました。

実際は体のメンテナンスを行う専用部屋だったのですが、別居と勘違いした人もいたのでしょうか。

根も葉もない噂が広まるなんて本当に迷惑な話ですよね。

なお、工藤公康さんは2021年のシーズン終了後に監督退任が決定。

きっと暫くは家族と共に穏やかな日々を過ごす事でしょう。

結婚式での気配りが話題に

1990年のシーズンオフに雅子さんと結婚した工藤公康さん。

結婚式を挙げたのは1991年のシーズンオフでした。

当時、所属していた西武ライオンズは日本一に。

その記念で訪れたオーストラリアで結婚式を挙げています。

優勝記念旅行での挙式という事で大々的に行ったと思いきや取材陣はシャットアウト。

式場の内部に入る事は出来ず、外に出てきた二人を祝福するのみでした。

ただ、これで終わらせないのが工藤公康さん夫婦。

取材陣がホテルの部屋に戻るとテーブルの上にワインとお礼の手紙が置かれていたんだとか。

そして手紙には夫婦の連名でお礼の言葉が書かれていたそうです。

スターになっても細やかな気配りが出来るのは本当に凄いこと。

煽てられても天狗になる事なく、常に感謝の気持ちを持っているから出来る事です。


だからこそ工藤公康さんは今でも多くの人々に慕われているのでしょう。

まだまだ野球界には欠かせない存在である事は間違いありませんね。

工藤公康の妻が病気に?

結婚してから今まで工藤公康さんを支え続ける妻の雅子さん。

選手、そして監督となっても野球に専念できるのは素晴らしい妻がいるから。

もはや「影のMVP」と言っても過言ではないでしょう。

そんな工藤公康さんの妻が病気という情報があるようです。

もし命にかかわるような重い病気であれば気が気でないはず。

野球どころではありませんよね。

ところが病気だったのは妻ではなく工藤公康さんの方。

それも命にかかわるような状態だったんです。

前述の通り、若かりし頃にお酒を飲み歩いていた工藤公康さん。

あまりの酒量の多さと乱れた生活習慣で肝臓が肥大。

肋骨の間からはみ出しそうな状態だったそうです。


もちろん肝臓の数値も悪化しており、医師からは「このままだと死ぬ」と通告されたんだとか。

このような状態にあった工藤公康さんを見事に回復させた妻。

選手生命だけでなく本当の命の恩人と言えますね。

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