松井秀喜の家族。両親、兄弟の関係と幼少期。星稜高校や中学時代の成績について

松井 秀喜(まつい ひでき)さんは現役時代から両親や兄弟に感謝をする場面が数多く見られましたが、球界の「ゴジラ」を支え続けた家族はどんな人たちなのか気になりますよね。

今回は松井さんの両親や兄弟、高校時代や中学時代などを見ていくことにしましょう。

松井秀喜のプロフィール

本名:松井 秀喜 (まつい ひでき)

出身地:石川県能美郡根上町 (現・能美市)

生年月日:1974年6月12日

投球・打席:右投左打

ポジション:外野手

所属球団(選手歴):読売ジャイアンツ (1993~2002) / ヤンキース (2003~09・2012) / エンゼルス (2010) / アスレチックス (2011) / レイズ (2012)

松井秀喜の父親は宗教家や歌手として活動

松井秀喜さんの父親は昌雄(まさお)さんといいますが、スポーツ番組などへの出演によって「ゴジパパ」という愛称が付けられているのでご存知の方も多いことでしょう。

プロ野球選手の父親はあまり表に出て来ることはありませんが、同じようにメディアに多数出演していたイチロー選手の父・鈴木宣之(チチロー)さんとは親交があるそうです。


昌雄さんは小松製作所に21年ほど勤務したというサラリーマンでしたが、後に義母の”みよ”さんが司教をしていた「瑠璃(るり)教会」の二代目司教に就任して宗教家になりました。

ちなみに、昌雄さんは”西尾家”から”松井家”へ養子として入っています。

宗教家といっても知名度を活かして過剰な布教や勧誘をしている訳ではなく、先代の頃からの信者との語らいやボランティア活動などを積極的に行なっているそうです。

また、演歌歌手としてデビューをしたという経歴も持っており、2003年に発売した香西かおりさんとのデュエット曲「ゆきずり物語」はオリコンの演歌部門で初登場1位を獲得。

歌の才能を秀喜さんが受け継いでいたとしたら中々のモノかもしれませんね。

この項目では秀喜さんの父・昌雄さんについて見てきましたが、会社員や宗教家、演歌歌手などの顔を持っている多才ぶりが光る人物だったことが判明しました。

松井秀喜は母親の特製カレーで育った

次は松井秀喜さんの母親についてチェックしていきますが、前項で紹介した父親の昌雄さんとは違って詳しい個人情報は少なめと言われています。

母親は”さえ子”さんという名前が判明している程度で、職歴などは明らかになっていません。

さえ子さんの母親は「瑠璃教会」の初代司教なので手伝っていたことも考えられますし、秀喜さんの「松井秀喜ベースボールミュージアム」に携わっていた可能性もあるでしょう。

秀喜さんはさえ子さんの特製カレーが大好物だと公言しており、自身のベースボールミュージアムで販売していた「松井家秘伝のカレー」は大変な人気になっていました。

特製カレーはニンニクを大量に入れたスタミナ満点のレシピですが、ニンニク抜きの「練習中」というバージョンもあるので年代性別を問わず味わえる仕上がりと言えるでしょう。

最後にひとつ付け加えておきますと、さえ子さんは金沢商業高校の同窓会「金商菫台(きんしょうきんだい)」で講演をした際に”9回生”とあったので同校のOGと判明しています。

松井秀喜は幼少期から兄弟とライバルだった

ここでは松井秀喜さんの兄弟についてチェックしていくことにしましょう。

秀喜さんには兄が1人いるらしく、名前は利喜(としき)さんというそうです。

野球をしていた利喜さんの姿に憧れて秀喜さんもプレーをするようになり、豪快なバッティング能力を見た兄が「相手がかわいそうだから左で打て」と言ったことから左打ちに転向。

一方の秀喜さんは利喜さんと4歳差があって運動能力が追い付かないことが悔しかったらしく、幼少期には「兄を超えてやる」というライバル心を秘かに抱いたそうです。

後に野球選手として秀喜さんが有名になると今度は利喜さんがライバル心を持つようになり、弟には負けていられないという思いをバネにして一級建築士に合格しました。

ちなみに、記念館「松井秀喜ベースボールミュージアム」の設計をしたのは利喜さんです。

兄弟がお互いに切磋琢磨することでそれぞれの道で成功を修めたのは素晴らしいことですね。

秀喜さんは自分の存在が兄の負担になっていないか心配していたそうですが、光を増す弟の存在があったからこそ兄も難しい資格試験に合格することができたのでしょう。

松井秀喜の中学時代や星稜高校の成績

松井秀喜さんは球史に残る名スラッガーだけあって学生時代から野球の成績が抜群ですが、能美市立根上中学では捕手や投手をしていたという意外な経歴も持っていました。

中学の頃には身長170cmと体重95kgという恵まれた体格になっており、3年生の時には130メートルを超えるホームランを放つなど規格外の選手として注目を集めていたそうです。


さすがに練習試合などを含めた詳細な成績は残っていませんが、打率は約6割、3試合連続でホームランを打ったという伝説が残っているほどの活躍ぶりでした。

高校は名門「星稜高校」の野球部に引き抜かれる形で入学したものの、あまりに太っていたことで入部を保留させられたというのは嘘のようで本当のエピソードです。

入部間もなく「4番・サード」として堂々とスタメンに名を連ね、夏の甲子園にも出場を果たしましたが初戦の「日本大学鶴ヶ丘高校戦」では”3打数ノーヒット”でチームも敗退。

高校2年の夏の甲子園では3回戦の「竜ヶ崎第一高校戦」で初本塁打を記録し、チームも勝利を重ねてベスト4に進出するという素晴らしい成績を残しています。

高校3年の時には初めて春のセンバツに出場し、ラッキーゾーンが撤去された甲子園で2打席連続を含む3本塁打を叩き出してプロのスカウトに猛アピールをしました。

まさに高校球児だった松井さんにとって素晴らしい春でしたが、同年夏の甲子園の「明徳義塾高校戦」では5連続敬遠という前代未聞の悲劇に遭遇しています。

恐ろしいほど勝利への執念を見せた明徳義塾高校が(3対2)で勝利し、松井さんは最後の試合で一度もバットを振ることなく甲子園を去りました。

この作戦については敬遠を批判する声が大きかったそうですが、指揮官だった明徳義塾高校の馬淵監督が「1人だけプロが混じっていた」と述べているのが全てかもしれません。


松井さんは高校通算で打率(.450)と60本塁打という見事な成績を残し、同年のドラフト会議で読売ジャイアンツが抽選の末に交渉権を獲得して入団するという運びになりました。

ちなみに、松井さんは「柵越えしたものがホームラン」というこだわりを強く持っており、ランニングホームランを除外しているあたりが並の人物ではない証と言えるでしょう。

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