松井秀喜の英語力はジーター絶賛も通訳がいた理由とは。ピアノ腕前、努力する才能について

松井 秀喜(まつい ひでき)さんはメジャーリーグへの移籍によってアメリカ滞在歴が長くなっています。

そんな中、コミュニケーションに必要な英語力については色々な声があるそうです。

今回は松井さんの英語力や通訳を雇い続けた理由、ピアノの腕前などを見ていきましょう。

松井秀喜のプロフィール

本名:松井 秀喜 (まつい ひでき)

出身地:石川県能美郡根上町 (現・能美市)

生年月日:1974年6月12日

投球・打席:右投左打

ポジション:外野手

所属球団(選手歴):読売ジャイアンツ (1993~2002) / ヤンキース (2003~09・2012) / エンゼルス (2010) / アスレチックス (2011) / レイズ (2012)

松井秀喜の英語力はジーターのお墨付き

世界を舞台にして闘うアスリートはプレーだけでなく頭脳や言語力も抜群と言われており、松井秀喜さんもアメリカでの生活が長いことから英語力も高いと話題になっています。

松井さんはメディアの前で英語力を披露することはほとんどありませんが、在籍していた「ニューヨーク・ヤンキース」で同僚だったジーターさんは英語力を高く評価していました。


メジャー移籍してから1年程度で同僚やメディア関係者との日常会話は問題なくできるようになり、記者会見でもジーターさんと親しげにやりとりをしている様子が確認できます。

英語力については同僚のサバシアさんも”いい英語を話すよ”とコメントをしているので、日常会話や試合での意思疎通をするのに十分なレベルだったことは間違いないでしょう。

勉強方法については明らかになっていないものの、松井さんがニューヨークへ向かう際に中学2年の英語の教科書(ニューホライズン)を実家から送ってもらった話は有名ですね。

もっとも、これが本当かネタなのかは分かりませんが、実際にはネイティブな人、つまり同僚選手やメディア関係者と会話をすることで英語力を磨いたと明かしています。

松井さんに限らず勉強する意欲があれば生活をしていく中で語学力が向上し、教科書の英語よりも実用的な”会話力”を身につけることができるのかもしれません。

いずれにしても、英語がペラペラになった裏には相当な苦労があったのは間違いないでしょう。

松井秀喜が通訳を使い続けた理由

前の項目で紹介した通り松井秀喜さんには日常会話や意思疎通ができるほどの英語力が備わっていますが、現役を引退するまで専属の通訳を使っていました。

松井さんの専属通訳は”ロヘリオ・カーロン”さんという1学年上の男性で、高校を卒業するまで日本で生活をしていたことから日本語も堪能という経歴の持ち主です。

ふたりは互いに尊敬し合い、アスリートと専属通訳の関係は10シーズンにも及びました。

松井さんは早いうちにコミュニケーションをとるのに問題ない英語力を身につけましたが、それでも雇用を続けた理由は松井さんからの絶大な信頼があったとされています。

また、支え続けてくれたカーロンさんに対する感謝もあったらしく、2009年のワールドシリーズで松井さんがMVPに輝いた時には「世界一の通訳」として知られることになりました。

他にも松井さんは自身が英語で発信すると「カーロンの仕事がなくなるから」とジョークにしており、このことからも他のコンビとは一味違う関係の深さを伺うことができます。

カーロンさんと雇用を継続した背景にはリスペクトが込められていたことが分かりましたが、アスリートにとって通訳は海外で一緒に闘うパートナーと言えるのかもしれませんね。

ちなみに、2021年までカーロンさんはレッズに移籍した秋山翔吾さんの通訳をしていました。

松井秀喜はピアノの腕前も一流?

ここでは松井秀喜さんの隠れた特技であるピアノの腕前について見ていきましょう。

どちらかと言えば体育会系で文化系と縁がなさそうに見えますが、3歳の頃から習い始めたピアノの腕前は見事なもので小学校4年生の時には兄と「マイ・ウェイ」を連弾したほどです。

小さい頃の松井さんはクラシック音楽(モーツァルト)を愛聴していたらしく、周囲から「根上のモーツァルト」と称されたという噂が残っているほどの芸術家肌でした。

野球選手になってからもクラシック音楽を聞き続けていたそうですが、さすがに鍵盤から遠くなったことあって昔のようにピアノを弾くことは出来なくなったそうです。

ただ、現役を引退して時間ができたのでピアノの練習を再開したかもしれませんね。

松井秀喜は努力の才能で頂点に

小さい頃からピアノや柔道など色々な分野で能力を発揮した松井秀喜さんですが、持っている能力の中で最も秀でているのは「努力の才能」で間違いないでしょう。

読売ジャイアンツの監督だった長嶋茂雄さんからも「一番練習した選手」と言われ、一緒に過ごした9年間で1日も練習を怠らなかった唯一の選手と評価していました。

松井さんが他の人よりも努力をするようになったきっかけは、父・昌雄さんから贈られた「努力できることが才能である」という言葉が大きかったそうです。

小さい頃からの練習だけでなく、プロになってからも苦手としていた石井一久さんや遠山奬志さんを打ち崩すために日々の努力を惜しまなかったという一面もありました。

また、移籍した「ニューヨーク・ヤンキース」でジーターさんと仲良くなりましたが、これは互いに努力に努力を重ねてきたという野球観の一致によるものと言われています。

ふたりとも天性の才能に恵まれたと思われがちですが、成功したレジェンドたちには想像もできない血のにじむような努力の日々があったことを忘れてはいけません。

天性の才能を大きなくくりで見ると、スポーツに限らず様々な分野で成功を収めた人たちに共通する才能は「努力」と言っても過言では無いのでしょうね。

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