現役時代に日米の名門球団でプレイした松井秀喜(まついひでき)さん。
残した成績だけでなく数々の伝説からもその凄さが分かります。
長い現役生活で一番の思い出となっているのが長嶋茂雄さんとの素振りなんだとか。
人並外れた打球速度と飛距離も稀代のホームランバッターの証拠と言えるでしょう。
松井秀喜のプロフィール
生年月日:1974年6月12日
身長:186cm
血液型:O型
出身地:石川県能美郡根上町
最終学歴:星稜高校卒業
松井秀喜の凄さが分かる伝説の数々
小学生から規格外だった
松井秀喜さんが初めて野球に触れたのは小学1年生の頃。
体格が大きかった事から本来は小学3年生以上が入団できる野球チームに特別に入団させてもらえたそうです。
ですが、まだ幼かった事から監督の指示を理解できず退団。
それから数年、野球から離れるも野球をする3歳年上の兄に触発され、小学5年生の時に再び野球チームに入団。
この時からプロ野球選手を夢見るようになったんだとか。
持前の運動神経に加えて体格に恵まれていた事もあって当時から桁外れの存在。
それは3歳年上の兄やその友人でも太刀打ちできないほど。
利き腕の右打ちでは勝負にならないため、半ば強制的に左打ちへ変更させられてしまいます。
また、野球の他にも小学3年生から始めた柔道では石川県3位の実力。
国体強化選手にも選ばれ、野球よりも注目されていたんだとか。
その後、進学した中学校に柔道部が無かった事から野球に専念する事に。
もし野球では無く柔道を続けていればオリンピックで金メダルも夢では無かったかもしれません。
伝説の5打席連続敬遠
星稜高校に進学すると1年生にも関わらず4番バッターに。
この時から既に「恐怖の1年生4番打者」と野球関係者の間では有名な存在だったそうです。
高校2年生の時には帝京高校に6打席で4度敬遠をされた事も。
それだけ松井秀喜さんを恐れていたという事なのでしょう。
そして高校3年生の時に出場した甲子園。
2回戦で対戦した明徳義塾高校が行った5打席連続敬遠により敗戦してしまいます。
明徳義塾高校の監督曰く「高校生の中にプロが混じっていた」。
一人だけ明らかに違う選手がいれば敬遠策はやむを得ない事かもしれません。
ですが高校野球の本質は勝負に勝つ事ではなく正々堂々と戦う事。
そのため勝負に徹したこの作戦には賛否両論。
高野連が緊急で記者会見を開くなど社会問題に発展する事となりました。
日本から選りすぐりの選手ばかりが集う甲子園。
そんな中でも松井秀喜さんが規格外だからこそ起きた問題と言えるでしょう。
野球の成績だけでなく人間的にも素晴らしい名選手
もはやプロ入り後の活躍は言うまでもないでしょう。
プロ入り後は本塁打王に首位打者、打点王など数々のタイトルを獲得。
メジャーに移籍後もワールドシリーズのMVPや月間MVPを受賞。
これらの成績を認められて受賞した賞の他に正力松太郎賞や国民栄誉賞など野球界への貢献や人柄を評価されて受賞した賞も少なくありません。
また、日本を代表するアスリートとして2021年に行われた東京オリンピックの開会式では聖火ランナーも務めています。
そして2023年時点での肩書は「ヤンキースGM特別アドバイザー」。
マイナーリーグの全カテゴリを巡回。
打撃指導に加えて上のカテゴリで活躍できる選手を見出すという役を行っているそうです。
野球に限らず一般社会においても若手の育成は非常に重要なこと。
しかもメジャーの名門であるヤンキースでその役を担うという事は責任も大きいですが非常に名誉なことでもあります。
そのような役職を任されるという事は全幅の信頼を寄せられている何よりの証拠。
成績だけでなく人柄も評価されて抜擢された事は間違いないでしょう。
今や日米の野球界でレジェンドとなった松井秀喜さん。
これからどんな活躍をしていくのか楽しみでなりませんね。
長嶋茂雄との素振りが一番の思い出
同時に国民栄誉賞を受賞するなど「師弟関係」として知られる松井秀喜さんと長嶋茂雄さん。
4球団が競合したドラフト会議で交渉権を引き当てたのも長嶋茂雄さん。
実はこの年のドラフト会議でフロント陣が1位指名に推していたのは別の選手でした。
ですが、長嶋茂雄さんの強い希望により松井秀喜さんを1位指名に変更したそうです。
その後は日本球界を代表する選手に育てるため「1000日計画」を立案。
球場であれば練習場で、遠征先のホテルであれば自分の部屋で毎日、素振りをチェック。
チェックするのはフォームやバットの起動だけでなくスイングの音。
スイングの音で素振りの良し悪しを判断する事が出来たんだとか。
この二人の関係は松井秀喜さんがメジャーリーグに行っても変わらず。
当時は今のように簡単にオンラインでやり取りが出来る時代ではありません。
そのため電話越しにスイングの音を聞いてもらい、アドバイスを受けていたんだとか。
これは素振りの音だけで状態を判断可能な関係性だったから出来たこと。
もし、長嶋茂雄さんのアドバイスが無ければメジャーリーグで活躍する事は難しかったかもしれません。
こうした日々は松井秀喜さんの中でも忘れる事が出来ない記憶となっているようです。
その証拠に引退会見で一番思い出に残っている事を聞かれ「長嶋監督と二人で素振りした時間」と答えています。
まさに二人三脚で一流打者への道を歩んだ松井秀喜さんと長嶋茂雄さん。
入団時期や監督就任のタイミングなどが何か一つでもずれていれば今の松井秀喜さんは無かったかもしれません。
恐らく日本球界も今とは全く違ったものとなっていた事でしょう。
松井秀喜は打球速度も桁外れ
プロ野球選手の平均的な打球速度は140〜150kmと言われています。
そんな中、松井秀喜さんは2007年に177.6km/hの打球速度を記録。
これは時速に変換すると約285km。
平均的な速度と比べると桁外れの記録ですよね。
なお、177.6km/hはこの年の打球速度でメジャー12位という好記録。
数字からもメジャーリーグでもトップクラスの長距離砲だった事が分かります。。
また、この記録は大谷翔平さんに抜かれるまで日本人トップの記録でした。
今や「史上最強の野球選手」と言われる大谷翔平さん。
そんな選手に抜かれるまでトップの数字を記録。
やはり屈強な選手が集うメジャーリーグでホームランバッターとして活躍するのは並大抵の選手では難しい。
改めてそう感じさせられてしまいます。
ちなみに松井秀喜さんが現役最後に打った本塁打の打球速度は183km/h。
DHに専念すればまだ現役を続けられたように思えてなりません。
飛距離もワールドクラスだった
飛距離は打球速度にほぼ比例すると言われています。
時には打球の角度や風向きなどの影響を受ける事もあるでしょう。
ですが、速度が速い方が遠くまで飛ぶのは頷ける結果ですよね。
桁外れの打球速度を記録した松井秀喜さん。
飛距離も並大抵ではありません。
軟式と硬式の違いはあれど中学生にして130mの飛距離を記録。
そして高校生の頃は140mも飛ばした事があるそうです。
プロ入り後も東京ドームの看板直撃弾は2023年時点で最多となる9本。
過去には東京ドームの天井の隙間にボールが入ってしまい落ちてこなかったことも。
これだけ打球を飛ばしたのは後にも先にも松井秀喜さんと大谷翔平さんだけ。
ただ、松井秀喜さんの方が大谷翔平さんよりも一回り小さい体格。
それにも関わらず飛距離では引けを取らない。
いかに規格外の飛距離だったか良く分かりますよね。
20年間の現役生活で記録にも記憶にも残るホームランを残してきた松井秀喜さん。
きっと本当のホームランバッターとはこういう選手の事を言うのでしょうね。
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