真屋順子の夫と息子、家族について。若い頃が美人&萩本欽一ファミリー。死因と大病

「欽どこ」でお母さん役として人気を博した、女優の真屋順子(まやじゅんこ)さん。

実際の家庭はどのようだったのでしょうか。

今回は真屋順子さんの若い頃や、家族について見ていきましょう。

また萩本欽一さんとの番組共演についてや、死因にも触れていきます。

真屋順子のプロフィール

本名:高津詔子(たかつしょうこ)

生年月日:1942年(昭和17年)1月8日

死亡年月日2017年(平成29年)12月28日

身長:156cm

出身地:韓国・釜山市

最終学歴:大分県立日田高等学校中退

真屋順子の夫や息子など家族について

真屋順子さんの夫は、俳優の高津住男(たかつすみお)さんでした。

高津住男さんは、1961年に芸能界にデビュー。

大人気テレビシリーズの「カレー屋ケンちゃん」ではお父さん役で人気になり、それからも活躍。

1969年に真屋順子さんと結婚しました。

高津さんは、6歳になる長男を連れての再婚だったそうです。

真矢順子さんは、義理の息子になった健一郎(けんいちろう)くんをきちんと育てようと必死に努力。

小学校では、健一郎さんは「みなしご」といじめられていたそうです。

それを知った真屋順子さんは、参観日でない時も学校を訪問し続けました。

すると、自然にいじめはなくなったそうです。

小学校2年生まで、真屋さんのことを「詔子おねえちゃん」と呼んでいた健一郎さん。


しかしある時から「お母さん」と呼ぶようになり、その瞬間真矢順子さんは泣いて喜んだそうです。

一生懸命子どもと向き合っていたことが、わかりますね。

また健一郎さんが20代の頃、劇団員の女性と結婚寸前まで行ったことがありました。

その時に真屋順子さんが結婚を反対して、ダメになったようです。

愛情を込めて実の子のように育てた健一郎さんが巣立つことが、耐えられなかったことが理由だったといいます。

それで婚期を逃した健一郎さんは、50歳すぎて結婚。

真矢順子さんにとって待望だったであろう初孫も、2017年の6月にやっと誕生したのです。

しかしその頃は真屋順子さんの認知機能はかなり弱まっていたようです。

入院中の真屋さんに孫の写真等を見せると、その度に「かわいい。会いたいわ」と言っていましたがすぐに忘れてしまっていたそう。

本当は会わせたかったけれど、生まれたばかりの赤ちゃんを病院に連れて行くのをためらっているうちに真屋順子さんは帰らぬ人に。

夫の高津住男さん、真屋順子さんを看病しているときに肝臓癌が見つかったそうです。

2009年に発覚した時には手遅れの状態で、最後の舞台に出演してからわずか3日後の2010年7月に亡くなりました。

真屋順子の若い頃

若かった頃の真屋順子さんは、知的な印象の綺麗な女優でした。

1977年から1978年に大人気だったドラマ「赤い絆」では、トップアイドルだった山口百恵(やまぐちももえ)さんの敵役に。

演技が上手な真屋順子さんは、「ハマり役」と称されるほどでした。

しかし敵役のイメージが強くなって、山口百恵さんのファンからバッシングを受けてしまったそうです。

俳優がいつも役柄の性格そのままであるはずがないのに、混同されてしまうとは。

心労は相当なものだったのではないでしょうか。

真屋順子と萩本欽一

「欽ちゃんのどこまでやるの」で、萩本欽一さんが妻役を書類選考していた時のこと。

すっぴんの写真を送ってきた真屋順子さんを一目で気に入り、即決したそうです。

しかし実はすっぴんではなく、薄化粧を施していたといいます。

「赤い絆」の役柄で、真屋さんが辛い思いをしていたことを知った萩本欽一さん。

「それなら、日本一の良いお母さんにしてあげよう!」と言っていたそうです。

「欽どこ」の妻役は、想像以上に大変だった真屋順子さん。

実は萩本欽一さんには台本が設定されていなかったため、番組内のセリフは真屋さんもアドリブにせざるを得ませんでした。

毎回アドリブしたものがお茶の間に流れるというのは、芸人ならともかく女優にとって大変だったことでしょう。

そのため真矢順子さんは非常に辛くて、時には胃も悪くしたほどだったそう。

後に萩本欽一さんは、「『欽どこ』の成功は真屋順子さんの笑顔にある」と感謝していたといいます。

真屋順子の死因

真屋順子さんは、2000年12月に出ていた舞台上で脳出血になり倒れてしまいました。

リハビリも懸命に行いましたが、左半身に麻痺が残ったのです。

しかし夫の高津住男さんの懸命な看護と励ましによって、車椅子ではありましたが舞台に復帰することができました。

それから合計して、2回の心不全と5回の脳梗塞を起こします。

また、腹部動脈瘤も見つかってしまい、4時間に及ぶ手術を乗り越えました。

さすがにこれだけ大病を患ってしまったので、真屋順子さんは晩年には寝たきりの状態になってしまいます。

鎮痛剤を打ってもまだ痛みがあったようで、泣きながら「早く殺して」と訴えたほど辛い闘病生活だったそうです。

そして全身が衰弱していき、2017年12月28日にこの世を去りました。

2018年2月にはお別れの会が行われて、欽どこファミリー29名が集結。

とても和やかに、笑顔で真屋順子さんの「家族葬」ができたそうです。


温かい笑顔そのままの、優しい人柄で共演者からも愛されていた真屋順子さん。

いつまでも、人々の心に残ることでしょう。

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