「平成のサザエさん」と呼ばれて大ヒットしたアニメ『ちびまる子ちゃん』の原作者であり、エッセイの名手としても知られたさくらももこさん。
その早すぎる死を日本中が悼みましたが、今回は生前のさまざまなエピソードをお送りしたいと思います。
じつはデビュー前から意識していたという漫画家の矢沢あいさん、子供の頃から大ファンだった山口百恵さん。
エッセイに登場する「水虫にお茶っ葉」の水虫治療法、桑田佳祐さんとの共作によるテーマ曲の誕生秘話についてまとめました。
さくらももこのプロフィール
愛称:ももちゃん
本名:非公表(旧姓:三浦)
生年月日:1965年5月8日
死没:2018年8月15日
身長:159cm
出身地:静岡県清水市(現在の静岡市清水区)
最終学歴:静岡英和女学院短期大学国文学科(現在の静岡英和学院大学短期大学部)
さくらももこのエピソード:矢沢あいが登場するエッセイ漫画がせつない
2018年8月、さくらももこさんが53歳という若さで死去したニュースは日本中に衝撃が走りました。
多くの追悼報道の中で、さくらさんが以前から矢沢あいさんを意識していたという記事に目をとめた人は多かったことでしょう。
矢沢あいさんは1967年3月生まれで1学年下。
漫画家デビューはさくらさんが1984年、矢沢さんが翌年です。
90年代前半、『りぼん』にはさくらさんの『ちびまる子ちゃん』と矢沢さんの『天使なんかじゃない』が同時連載されており、『りぼん』の黄金時代を牽引していました。
同じ人気漫画家とはいえ、作風も方向性もまったく異なる二人。
「ヘタウマ」ともいえる、シンプルなタッチで描くさくらさんに対して、いかにも少女漫画らしい可愛い画風の矢沢さん。
さくらももこさんは高校2年生の頃から漫画家をめざして『りぼん』に投稿していました。
自伝的作品『漫画版ひとりずもう』には、投稿時代の挫折、迷い、その先にさした希望などがリリカルに描かれています。
矢沢あいさんのエピソードもそのひとつ。
作風こそ違えど、彼女も同じ夢を追いながら『りぼん』への投稿を重ねていたのです。
亡くなったさくらももこさんがデビュー前、りぼんへ漫画投稿してた頃、後に同期となる矢沢あいさんもりぼんへ投稿してて、お互い「矢沢あい(orさくらももこ)また入賞してる」と思って見てたというエピソード好き。そしてデビュー後、作風が両極の2人が、りぼんで大人気になるとはほんと漫画みたい。 pic.twitter.com/drYgkDCt2g
— てんげるまん🌀tengelmam (@fcbliebe1900) August 27, 2018
「あ、矢沢あい、また入賞してる」「うまいなあ、これくらい画力がないと少女漫画はだめなんだ…」「あーあ、なりたかったな…漫画家になりたかったな…」
厳しい現実に打ちのめされたさくらさんですが、そのつぶやきに嫉妬心は感じられず、矢沢さんへのあこがれやリスペクトがひしひしと伝わります。
矢沢あいさんは、のちの成功への気づきももたらしてくれたようです。
恋愛ものの少女漫画ではとてもかなわないと思ったさくらさんは方向転換。
少女時代から作文が得意だったこともあり、笑いのある楽しいエッセイ漫画に作風をシフトしたのです。
これが『ちびまる子ちゃん』につながっていくわけですね。
2009年6月から『NANA』を病気休載中の矢沢あいさん。
【矢沢先生からみなさまへ】
「お待たせしてしまいすみません! 皆さんからの応援の声が、いつも励みになっています。本当にありがとう。翠達の笑顔が、皆さんの励みになりますように。」
矢沢あい pic.twitter.com/PeOQI3kZVi— 天使なんかじゃない公式 (@tennai_official) August 6, 2019
体調が心配ですが、再開を信じて待ちましょう。
さくらももこのエピソード:子供の頃から山口百恵愛が炸裂!
さくらももこさんは小学生時代から山口百恵さんの大ファンでした。
そのことは漫画、エッセイ、アニメでも描かれています。
山口百恵さんは昭和のスーパーアイドルですから、年代的にはぴったりですね。
よく知られているのは小学生の時に地元清水市(現在の静岡市)で開かれたコンサートに行って感激したエピソード。
コンサート当日、ステージで歌う百恵ちゃんに感動し、終演後にプレゼントをわたして握手までしてもらい、夢見心地のまる子。
後年、共通の知人を介して百恵さんと親しくなったさくらさんは、百恵さんが紹介してくれた病院で初めての出産をしたそうです。
さらに、三浦邸におじゃました時は百恵さんが『横須賀ストーリー』を歌ってくれて、感激のあまり泣いたというエピソードも。
山口百恵さんと三浦友和さんが目の前にいるとなれば、「あのゴールデンコンビが今ここに!」と思うのもファンなら当然のことでしょう。
さくらももこのエピソード:水虫にお茶っ葉?奇跡の水虫治療法とは
ちまたでは「オッサンの病気」というイメージがある水虫ですが、さくらももこさんは16歳の時、この厄介な病魔にとりつかれました。
エッセイ『もものかんづめ』には「奇跡の水虫治療」という話が登場します。
「臭足のヒロシ」というあだ名をもつ父親に「おう、水虫女、大変だな」とからかわれながらも、市販薬を試したり、軽石でこすったり、漂白剤を入れたお湯に足をつけてみたりと、涙ぐましい努力を重ねるさくらさん。
「臭足のヒロシ」は、家族の中に自分以上の嫌われ者が現れたことがうれしくてたまらないのです。
さくらさんは地元の名産品を使った民間療法で水虫を見事根治。
それは児童向けの本で偶然見つけた、水虫にお茶っ葉という治療法でした。
毎晩、熱いお湯でふやかしたお茶っ葉で患部を覆って寝ていたら治ってしまったそうです。
お茶の抗菌作用のおかげでしょうか。
水虫にお茶っ葉が有効なら、お茶で足湯も効きめがありそうですね。
12月になったね✨
クラスのみんなとクリスマスツリーの飾りつけをしたよ🎄
クリスマスが楽しみだなぁ💖#ちびまる子ちゃん #12月 #クリスマス pic.twitter.com/0KVDiPlL5Z— ちびまる子ちゃん【公式】 (@tweet_maruko) December 1, 2021
さくらももこのエピソード:桑田佳祐が明かしたテーマ曲の誕生秘話
2012年4月から5年半、アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマは桑田佳祐さんが歌う『100万年の幸せ!!』でした。
さくらももこさんが桑田さんに手紙を書いて作曲を依頼した楽曲です。
桑田さんによると、手紙にはタイトルと歌詞が書かれており、しかもAメロ、Bメロ、サビの部分が完璧にできあがっていたとのこと。
「歌詞指定かよ!」と思いつつ、桑田さんは作曲を引き受けることに。
2018年11月16日に青山葬儀所で行われた「さくらももこさん ありがとうの会」には、吉本ばななさん、ビートたけしさん、TARAKOさんら、ゆかりのある人々が参列。
桑田佳祐さんは献歌として『100万年の幸せ!!』を歌い、惜別の思いを届けました。
普通の女の子の飾らない日常を描いて国民的な支持を獲得したさくらももこさん。
少女漫画の王道とは違う漫画家人生だったかもしれませんが、オリジナルな花を咲かせ、夢を叶えた女性の一人でした。
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