吉田茂の葉巻・メガネ・帽子のブランドまとめ。ベンツ&ロールスロイスが愛車

昭和史に名を残す元内閣総理大臣で、昭和の政界でも特に洗練された趣味の持ち主だった吉田茂(よしだ しげる)。

イギリス首相にちなみ「和製チャーチル」と呼ばれた理由は、葉巻を愛飲していたためでした。

特にお気に入りの葉巻は何だったのか見ていき、また愛用していたメガネと帽子のブランドをチェックします。

併せて、愛車だったメルセデス・ベンツとロールスロイスの詳細を確認しましょう。

吉田茂のプロフィール

本名:吉田茂

生年月日:1878年9月22日

死没:1967年10月20日

身長:推定160cm前後

出身地:東京神田駿河台(現在の東京都千代田区)

最終学歴:東京帝国大学法科大学政治科卒業(現在の東京大学)

吉田茂が愛した葉巻はヘンリー・クレイ

「吉田茂と言えば葉巻」というイメージが、多くの人の頭にあるかと思います。

太い葉巻を機嫌良さそうにくゆらせる姿は、イギリスのウィンストン・チャーチル元首相の姿に重なりますね。

吉田の娘で、麻生太郎元首相の母である麻生和子さんの著作『父 吉田茂』に、特に愛した葉巻の銘柄について書かれていました。

同書によると、お気に入りの葉巻は「ヘンリー・クレイ」だったそうです。


吉田はイギリス大使時代、フランスのエクスレバンに滞在していたことがあります。

宿泊先のホテルで、葉巻をくゆらせる紳士とすれ違いました。

吉田は紳士の葉巻の芳香に気付き、同行していた和子さんに、「銘柄を聞いて来い」と言ったそうです。

仕方なく和子さんは紳士の元へ歩いて行き、「何という銘柄でございますか」と訊ねました。

紳士は「これはヘンリー・クレイです」と答え、「あなたのお父上の良いご趣味に敬意を表します」と言葉を掛けました。

通人同士の洗練されたやり取りは見事ですね。

ちなみに吉田が葉巻に火をつける際は、必ずイギリスのマッチ「ブライアン・アンド・メイ」を使っていたそうです。

葉巻だけでなく、マッチにもこだわった、本物の通人だったのですね。

吉田茂は増永のメガネを愛用

吉田の代名詞とも言えるアイテムがメガネです。

福井県鯖江市で1905年に創業された老舗ブランド「増永(MASUNAGA)」の高級メガネを愛用していました。

大量生産ではなく、職人1人ひとりが心を込めて作り上げることにこだわっているブランドです。

鼻に挟んで使用する「鼻メガネ」を掛けていた吉田。

きっと挟み心地やデザインに強いこだわりを持って、増永にオーダーメイドしていたのでしょうね。

吉田茂が愛用した帽子はステットソン

メガネに加えて、帽子も吉田を特徴づけるアイテムでした。

特に愛したブランドはアメリカの「ステットソン(STETSON)」です。

1865年にジョン・バタソン・ステットソンが創業した有名ブランドで、映画スターや政治家などが愛用しました。

日本人では吉田の他にも、昭和天皇が同社の帽子を好んでかぶっていたそうです。

均整の取れた中折れハットは、おしゃれな外見と耐久性を備えた高品質な商品でした。

ただ中折れハットをかぶる男性は徐々に減少していきます。

ステットソンは時代の流れに合わせて、帽子だけではなく、アパレルやホームウェアなどに方向を転換しました。

現代においては、クラシカルな帽子が再流行しているようで、ジョニー・デップさんもよくステットソンの帽子をかぶっていますね。

ステットソンは新たなビジネスを始めながらも、伝統的な帽子作りも継続しているのです。

渋いファッションとして注目を集めている帽子をかぶり、吉田のように風格ある男性を目指してみてはいかがでしょうか。

メルセデス・ベンツは「300 SEラング」

ドイツが誇る高級車であるメルセデス・ベンツ。

1961年、最高峰のメルセデス・ベンツとされる「300 SEラング」が登場します。

このモデルの日本第1号車は、吉田に納車されたものでした。

首相在任当時の吉田が西ドイツを訪問し、アデナウアー首相に「メルセデス・ベンツを購入する」と約束したそうです。

しかし輸入制限によってなかなか購入できません。

1961年に一般用自動車の入札制度がスタートしたものの、元首相という立場上、吉田は購入を迷っていました。

そこでヤナセの梁瀬二郎社長が力を尽くし、1963年に入荷した「300 SEラング」を整備。

吉田の誕生日9月22日に納車を成功させました。

吉田は当日中にアデナウアー首相へ、電報で購入を知らせたそうです。

ヤナセは2008年に「昭和の名宰相、吉田茂が愛したメルセデス・ベンツ」展を開催し、実物を展示しました。

日独首脳の交流を深める上で大きな役割を果たした「300 SEラング」。

吉田も梁瀬社長も亡くなったとはいえ、名車は末永く変わらずに輝き続けて欲しいですね。

イギリス大使時代にロールスロイスを購入

吉田はメルセデス・ベンツに加え、ロールスロイスも愛していました。

イギリス大使時代の1937年に、「ロールスロイス25 30HPスポーツサルーン」を購入したと記録されています。

一度イギリスに返した後、メンテナンスを受けてから、再び日本へ戻されました。

吉田が亡くなった後も、女婿である麻生太賀吉さんが愛用していたそうです。

譲渡された後は埼玉県加須市にある「ワク井ミュージアム」に収蔵されました。

クラシックカーの修理と販売を行う「株式会社 ワク井商会」が、土日に無料で展示を行っている博物館です。

吉田のロールスロイスに加え、吉田の側近・白洲次郎や名優・森繫久彌さんの愛車まで展示されています。

クラシックカーファンはもちろん、偉人の愛車を生で見たい人はぜひ足を運んでみてください。

吉田が愛したアイテムに関する情報を集めるだけでも、昭和の男のダンディズムを感じられて楽しい気分になれますね。


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