吉田茂の妻は雪子、芸者こりんを後妻に。息子は大学教授&娘は麻生太郎の母

吉田 茂(よしだ しげる)さんは豪快かつ繊細な手綱さばきで日本をリードした政治家ですが、妻や子供を前にした夫としての顔はどの様なものだったのでしょうか。

今回は吉田さんの妻や子供など家庭について迫っていくことにします。

吉田茂のプロフィール

本名:吉田 茂(よしだ しげる)

出身地:東京都

生年月日:1878年9月22日

没年月日:1967年10月20日(89歳没)

最終学歴:東京帝国大学法科大学(政治科)卒業

主な役職:内閣総理大臣(第45・48~51代)

吉田茂の最初の妻は雪子

まずは吉田茂さんと雪子さんの関係について見ていきましょう。

雪子さんは明治維新の功労者である大久保利通さんを祖父に持つ格別の家柄であり、父親も外務大臣や内務大臣を歴任した牧野伸顕さん(※大久保家から牧野家へ養子)です。


さすがに昔のことなので当時の姿が分かる鮮明な写真は多くありませんが、確認されているものを見る限り”日本人離れした顔立ち”であることが分かりました。

詳しい事情を知らなければハーフと紹介されても驚かない顔立ちや服装をしています。

もっとも、祖父の大久保さんも彫りが深く少し日本人離れした顔立ちをしていたので、雪子さんは父親よりも祖父の血を強く受け継いだのかもしれませんね。

吉田さんと雪子さんが結婚をしたのは1909年のことで、きっかけはお見合いだったそうです。

若手の外務官僚と大臣経験者の長女がお見合いをするのは前代未聞ですが、これは同じ外務畑の先輩でもある牧野さんが吉田さんの才能と将来性を見抜いた故の縁談でした。

結婚後は二男三女を授かるなど幸せを絵に描いたような家庭を築いたものの、1941年5月に雪子さんの乳癌が発覚して同じ年の10月7日に52歳という若さで亡くなっています。

雪子さんの人生は吉田さんを支え続けたものでしたが、娘の和子さんによると最期の言葉は「幸せでした」とのことなので充実感に満ちた一生と言えるのではないでしょうか。

吉田茂は芸者の「こりん」を後妻として迎えた

昔から「英雄、色を好む」という言葉がある通り大業を成す男性には女好きが多いらしく、吉田茂さんも妻の雪子さんが亡くなって間もなく後妻を迎えています。

後妻の名前は坂本喜代(きよ)さんといい、芸者や「花柳流」の名取をしている女性でした。

今回のテーマでもある”こりん”は本名ではなく芸者時代に使っていた”芸名”だったのです。

詳しい素性や経歴は明らかになっていませんでしたが、2003年9月に99歳で亡くなったという情報があるので生まれたのは1904年頃と推測することができるでしょう。

きちんとした名前がありながら”こりん”が話題になったのは2020年2月に放送された「アメリカに負けなかった男 ~バカヤロー総理吉田茂~」(テレビ東京)の影響と考えられます。

“こりん”さんは鮮明な画像が無いので松嶋菜々子さんに似ているかどうかは分かりませんが、吉田さんが夢中になるほどの女性なので美しい人だった可能性は高いでしょうね。

ちなみに、ふたりは昭和の初め頃に知り合って愛人(妾:めかけ)という関係になったそうです。

今の世であれば大変なスキャンダルとして大きく報じられるところですが、昔は”それなり”の人物が妻以外に愛人を作ることは特に珍しいことではありませんでした。

ただ、前妻が亡くなった後の再婚とは言っても総理夫人としては微妙な立場だったので、ファーストレディーの役割は”こりん”さんではなく娘の和子さんが務めています。

その点から言えば、喜代(こりん)さんは私人・吉田茂のパートナーだったと言えるでしょう。

吉田茂の息子や娘はどうなった?

最後に吉田茂さんの息子さんや娘さんについて見ておきましょう。

茂さんは雪子さんとの間に二男三女(後妻との間には無し)を授かっています。

1912年に生まれた長男の健一さんは文芸評論家や清泉女子大学の教授として活動しましたが、父親との関係は後妻を迎えたことが影響して良好では無かったと言われていました。

健一さんは母親に似たのか1977年8月3日に65歳という若さで亡くなっています。


次男の正男さんは1917年に誕生し、東北大学(工学部)を経て石川島播磨重工業に入社。

同窓会の会報によると英語力は外国人と喧嘩ができるほどらしく、学術論文や会社の文書を翻訳するなど父親譲りの語学力を生かして仕事をしていたそうです。

長女の桜子さんは外交官の吉田寛さんと結婚をしましたが、嫁いでから9年後の1940年に夫が亡くなって以降は消息が明らかになっていません。

次女の江子(きみこ?)さんは生後18ヶ月という若さで亡くなったそうです。

三女の和子さんは茂さんの子供の中でもっとも知られていますが、ファーストレディーの姿よりも第92代内閣総理大臣・麻生太郎さんの母親としてご存知の方が多いかもしれません。

和子さんは政治家の資質を一番受け継いでいたと言われるほどの人物だったので、女性が政治家になりやすい時代であれば政治家になっていた可能性も十分に考えられます。

茂さんほどの政治家でありながら直系の後継者が居ないことを疑問に思っていましたが、今回の調査で再婚を巡る確執や学問の道に進みたいなどの事情があったことが分かりました。

しかし、仮に政治家の道に進んだとしても父親と比較され続ける一生を送ることになるので、それぞれ違う道に興味を持ったことは良い選択だったと言えるでしょう。


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