中上健次の死因はがん。娘は中上紀、天才の逸話。自称ノーベル賞候補

中上健次(なかがみ けんじ)は芥川賞を受賞した『岬』や傑作『枯木灘』で知られる小説家です。

今回はまず、46歳の若さで没した伝説的小説家の死因を確認します。

また同じく小説家の娘・中上紀(なかがみ のり)さんについて紹介。

併せて、中上という天才小説家の偉大さが分かる逸話、ノーベル賞候補と自称していたという情報を確認します。

中上健次のプロフィール

本名:中上健次

生年月日:1946年8月2日

死没:1992年8月12日

身長:不明

出身地:和歌山県新宮市

最終学歴:和歌山県立新宮高等学校

中上健次の死因は腎臓がん

まず中上の死因を確認します。

中上は1992年、年始から血尿が出たため、和歌山県の日比病院に入院しました。

入院中の同年8月12日に、腎臓癌によって46歳で亡くなります。


腎臓は血液を濾過することで尿を作る臓器です。

中高年の場合、腎臓にがんができやすく、血尿や腹部の違和感に気付いた場合は発見できるとされています。

ただ本来は症状が出にくいため、発見したときには手遅れである場合も多い病気です。

中上の場合は有名小説家として多忙な日々を送っていたため、多少の不調はやり過ごしていた可能性が高いですね。

血尿が出たときには、すでに末期だったのかもしれません。

長生きしていれば、まだまだ多くの名作を生み出していたはず。

早世が惜しまれる小説家でした。

中上健次の娘は小説家の中上紀

中上の娘である中上紀さんもまた、父と同じく小説家として活動しています。

1971年に東京都国分寺市で生まれ、高校、大学時代はカリフォルニアとハワイで暮らしました。

ハワイ大学芸術学部で東洋美術を学んだ後、アジア各国やアメリカ、父の故郷・熊野の往復旅行を行います。

1999年に『彼女のプレンカ』ですばる文学賞を受賞。

小説やエッセイ、紀行などを書きながら、国内外を旅し続けてきました。

また「高尾山・熊野を愛する百人の会」のメンバーとしても活動。

小学校時代に半年間、熊野で生活したことがあるそうです。

巡礼の聖地であり、癒しの場所でもある熊野の自然を守るために邁進してきました。

父の故郷を守る活動をしつつ、中上関連のイベントで父に関する証言を行い、偉大な父の気配を感じながら過ごしている様子です。

日本大学と武蔵野大学では非常勤講師も担当しています。

文筆業をメインに、精力的に活動していることが分かりましたね。

中上健次、天才小説家の逸話

中上は被差別部落があった熊野出身であり、自身について「初めてアジアの被差別民で、文学言語を獲得した」と語っていました。

部落差別をテーマとした代表作『千年の愉楽』では、紀州南端を舞台に深遠な世界を描き上げました。

単に差別をそのまま描いたのではなく、神話を思わせるような、現実と死が入り混じる世界観を見事に表現したのです。

現実的なテーマに、神話的要素も組み込みながら、深遠な物語を紡いだ手腕はまさに天才的でした。

ただ天才小説家ではあるものの、決してエリート教育を受けたわけではありません。

1965年に早稲田大学を受験する目的で上京しましたが、浪人生活を送った末に大学には行きませんでした。

仕送りを受け続けたまま、ジャズ喫茶に入りびたり、新宿で放浪生活を送ります。

同時期に同人誌『文藝首都』の会員として小説を書き始めました。


また新左翼運動に傾倒し、学生になりすまして佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止する羽田闘争に参加。

翌年には評論家の柄谷行人から、エリック・ホッファーをすすめられて影響を受けます。

ホッファーは学校教育を受けず、肉体労働をしながら独学で社会哲学者となった知識人です。

中上はホッファーに影響され、羽田空港の貨物を積み下ろす仕事をしながら、読書と小説の執筆に邁進しました。

そして1973年に『十九歳の地図』が芥川賞候補となり、3年後に『岬』で芥川賞を受賞。

戦後生まれとして初めて芥川賞作家となりました。

大学で勉強した人にも書けないような、深遠なテーマの小説を書き続けた中上。

天才小説家と言えばそれまでですが、放浪を経て人知れず苦労を重ねていたことが分かりましたね。

中上健次は自称ノーベル賞候補

中上はノーベル文学賞に近い小説家とされてきました。

ただ実際に候補となっていたかは不明で、あくまで自称「ノーベル賞候補」だったようです。

自身をノーベル賞候補と考えていた根拠は、
「初めてアジアの被差別民として、文学言語を獲得している」
「優れた翻訳作品が出ている」
などでした。

確かにアジア圏の被差別部落に暮らす人々の声を代弁し、世界に示した功績は大きかったはずです。

中上が活躍していた時期は、川端康成が受賞した後であり、日本人受賞者が出る可能性は高まっていました。

谷崎潤一郎や三島由紀夫といった有力候補はいずれも受賞を待たずに亡くなっていました。


もう少し長生きしていれば、大江健三郎さんよりも先に中上が受賞していた可能性は十分ありますね。

若くして重厚な作品を描き上げた天才が、どのような形でさらに円熟していったのか見届けたかったものです。

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