大江健三郎の息子、次男は桜麻。娘と妻について。長男と家族の物語

日本文学史上、川端康成さんに次ぐ26年ぶり二人目のノーベル文学賞受賞者となった大江健三郎(おおえけんざぶろう)さん。

作品世界に多大な影響を与えた長男の光さんはよく知られていますが、今回は次男をはじめ、娘、妻に注目します。

障害をもつ光さんを受けとめて育んだ家族の物語にも迫ります。

大江健三郎の息子(次男)は大江桜麻

大江健三郎さんは1935年1月31日、愛媛県喜多郡の旧大瀬村で誕生しました。

山あいにある自然豊かなこの村は、のちの作品にもたびたびモデルとして登場しています。


小説家としての才能は東京大学在学中から開花し、デビュー作となった『奇妙な仕事』は新聞の文芸時評で絶賛されて執筆依頼が殺到。

『飼育』により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。

1967年には、大江文学ファンのあいだでも人気の高い『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞を受賞。

1994年にノーベル文学賞を受賞した際は、「生きている私が受賞したのです」という印象的なコメントを残した大江健三郎さん。

日本文学は高い水準にあること、また井伏鱒二さん、安部公房さん、大岡昇平さんが存命していれば彼らが受賞したであろうこと、そして彼らの仕事なくして自分の受賞はなかったことなどを述べ、尊敬する先行文学者に敬意を表しました。

大江健三郎さんは長男の光さんをモチーフにした作品を何作も発表しているため、光さんは読者の間ではよく知られた存在です。

長男誕生の6年後になる1969年には次男の桜麻(さくらお)さんが生まれました。

父と一緒にたびたびメディアに登場していた作曲家の光さんと違い、桜麻さんについては情報がほとんどありません。

東京大学の大学院に在籍していたようですが、すでに50代になっている2020年現在の状況は不明でした。

大江健三郎の娘と妻について

1967年に誕生した長女の菜摘子さんについても、生年と名前以外はわかりませんでした。

2020年に53歳を迎えることから、家庭をもっている可能性が高いと思います。

妻のゆかりさんは映画監督・伊丹万作さんの長女として1935年2月18日に京都市で誕生。

伊丹十三さんの2歳年下の妹にあたります。

大江健三郎さんと伊丹十三さんは愛媛県立松山東高等学校の同級生で仲のよい友人だったそうですから、おそらくゆかりさんとも高校時代に出会っていたのでしょう。

大江健三郎さんは1959年に東京大学を卒業し、この年成城に転居。

翌1960年にゆかりさんと結婚しています。

大江光を育んだ家族

学生作家として文壇にデビューし、戦後日本文学界の新しい風として期待を寄せられた大江健三郎さんでしたが、やがて創作に行き詰まりを感じるようになりました。


そんな頃、長男の光さんが知的障害をもって誕生します。

1964年の『個人的な体験』は、わが子の死を願う父親がさまざまな苦悩と葛藤の末に現実を受け入れ、ともに生きていく覚悟をするまでを描いた意欲作。

その人道主義的な内容が高く評価されて、『万延元年のフットボール』とともにノーベル賞への大きな道筋をつけました。

作家として行き詰まりを感じていた自分に力を与え、ノーベル賞をもたらしてくれたのは光さんであることを折に触れて明言してきた大江健三郎さん。

音楽の才能に目覚め、音楽を通して成長していく光さんと、それを見守る家族の姿も、これまでテレビで幾度となく紹介されてきました。

作業所へ通う光さんに付き添っていたのは桜麻さんであり、エッセイ『恢復する家族(かいふくするかぞく)』のあたたかい画はゆかりさんによるものです。

同書では、光さんの苦しみを受けとめて手を携えて生きることで家族もまた癒されていくようすが綴られています。

戦後日本の閉塞感を見つめ続け、現代人の生き方を追求してきた大江健三郎さん。

そのような小説家にとって、障害をもつ子供が生まれるというのはまさに「個人的な体験」であり、その後の文学の方向性を決定づけるものだったに違いありません。


もし光さんが生まれていなければ、別のテーマで創作に取り組んでいたかもしれないと思うと不思議な気持ちがします。

何が作家の内なる才能を刺激して、文学に昇華させていくのかは予測のつくものではないとあらためて感じます。

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