俵万智、息子の今と名言。沖縄石垣島から宮崎への移住

1987年、歌集『サラダ記念日』で鮮烈なデビューを果たし、現代短歌界に君臨した歌人の俵万智(たわら まち)さん。

今回は俵さんの息子とその名言をご紹介します。

併せて、沖縄石垣島と宮崎への移住の詳細を見ていきましょう。

俵万智のプロフィール

本名:俵万智

生年月日:1962年12月31日

身長:不明

出身地:大阪府四條畷市、福井県越前市

最終学歴:早稲田大学第一文学部日本文学専修

所属事務所:東京コンサーツ

俵万智の息子

まず俵さんの息子の情報を見ていきます。


2003年11月、俵さんは40歳にして息子を出産。

結婚歴はありませんが、子供を育てたい思いがあったのでしょう。

人工授精で子供を産み、シングルマザーとして育てる決意をしたのです。

「バンザイの 姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ 生まれてバンザイ」の歌には、子供を産んだ喜びがあふれていますね。

息子は俵さんのブログやTwitterで「たくみん」と呼ばれているので、たくみという名前の可能性が高いです。

2021年で18歳になるため、大学へ行く場合は受験生ですね。

通っている高校は不明ですが、賢い子のようなので、進学校で学んでいる可能性は高いでしょう。

俵万智の息子の名言

次に俵さんの息子の名言をご紹介します。

母親の文才を継いだためか、非常にウィットに富んだ発言が話題の息子さん。

宿題に取り組んでいる最中、度々「疲れた」と投げ出す彼に俵さんは、「遊びは疲れないのに」と皮肉を言いました。

すると「集中は疲れる。でも夢中は疲れない」と返事したそうです。

小説に登場する名言のように、真理を鋭く表現していますね。

また学校で先生から、「前を見なさい」とよそ見を注意されたことについて、「俺が見ている方向が前」と発言。

さらに親戚の男性に対して、「表と裏が違う、コインみたいな人ですね」と言ったそうです。

他にも焼いたアスパラガスを「焼きパラガス」と名付けるなど、ネーミングセンスも抜群。

未成年とは思えない哲学的で表現力豊かな発言に、俵さんも感心している様子がわかります。

文学的才能を宿した、将来有望な少年だったのでしょう。

しかし成人を間近に控え、発言をネットで紹介されることに対して、恥ずかしさや不快感も示し始めているかもしれません。

俵さんとしては面白い名言をまだまだ発信したいのでしょうが、最近は発信を控え目にしているようですね。

息子さんも有名人になり、親子対談が実現することをファンは期待しているかもしれません。

どんな仕事を選ぶにせよ、生まれ持った文学的センスは色々な場面で役立つことでしょう。

俵万智の沖縄石垣島、宮崎への移住について

最後に俵さんの沖縄石垣島、宮崎への移住を見ていきます。

若山牧水賞を受賞した2006年、宮城県仙台市に住み始めました。

仙台市にいる両親の援助を受けながら子育てができるためです。

都内の幼稚園に土がなかったので、息子に土遊びをさせたいという思いがあったといいます。

そんな中、東日本大震災が発生。

俵さんは震災をきっかけに、沖縄県石垣島へ移住しました。

震災直後、着の身着のまま那覇便に乗り、沖縄へ向かったそうです。

「子を連れて 西へ西へと逃げてゆく 愚かな母と 言うならば言え」と当時の気持ちを歌に込めました。

するとSNSでは「自分だけ逃げるのか」とバッシングを受けます。

しかし息子は海で遊ぶうちに元気になっていったそうで、石垣島に暮らそうと決意。

崎枝の集落に暮らし、近所の人たちと助け合いながら子育てに励んだそうです。

その後5年間を石垣島で過ごします。

宮崎県日向市が開催する「牧水・短歌甲子園」の審査員となったことで、2016年からは宮崎市に移住。

同じく審査員で、大学の後輩でもあった大口玲子さんが宮崎市に移住していたことも大きかったそうです。


そのため息子さんは宮崎県の高校に通っているのでしょう。

2021年現在も親子で宮崎での暮らしを楽しんでいるようですね。

ユーモアと文学のセンス抜群な息子さんと、楽しく暮らしているのでしょう。

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