白洲次郎の死因は肺炎。晩年と遺言の戒名不要について。吃音でも英語はペラペラ

白洲 次郎(しらす じろう)さんは吉田茂さんの懐刀としてアメリカの占領軍や国内の抵抗勢力と闘い、日本の戦後復興に多大なる貢献をした人物として有名です。

今回は白洲さんの死因や晩年、遺言や吃音について見ていきましょう。

白洲次郎のプロフィール

本名:白洲 次郎(しらす じろう)

出身地:東京都

生年月日:1902年2月17日

没年月日:1985年11月28日(83歳没)

最終学歴:ケンブリッジ大学卒業

主な役職:貿易庁長官 / 東北電力会長

白洲次郎の死因は急性肺炎だった

まずは白洲次郎さんの死因について見ていくことにしましょう。

白洲さんは1985年11月28日に東京都都内の病院で急性肺炎により83歳で亡くなっていますが、直前まで妻の正子さんと京都・伊賀旅行を楽しむほど元気だったそうです。


入院した当時の症状は肺炎ではなく体調不良(胃潰瘍と内臓疾患)だったそうなので、入院をしている間に肺炎を発症して亡くなったと考えられるでしょう。

ただ、内臓疾患もかなり悪化していたという情報も見受けられることから、多忙な日々や長年に渡る飲酒によって体がボロボロになっていたのかもしれません。

ちなみに、妻の正子さんも1998年12月26日に同じ肺炎により88歳で亡くなっています。

晩年の白洲次郎はゴルフ場を経営

白洲次郎さんは吉田茂さんの片腕としてGHQ(アメリカ占領軍)を相手に活躍したイメージが強いですが、人生の多くを官僚や政治家ではなく実業家として過ごしています。

元々、実家は「白洲商店」という事業を営んでおり、白洲さんも英国系貿易会社「セール・フレーザー」や日本食糧工業(後の日本水産)に勤めたという商社マンでした。

昔の日本は海外に対する正しい認識が著しく欠けていたことから、外国と数多く接した経験を持つ白洲さんが起用されたことは偶然ではなく必然だったと言えるでしょう。

吉田茂さんが退陣して以降は政治と縁を切って実業界へ戻り、晩年は「軽井沢ゴルフ倶楽部」の理事長に就任して「PLAY FAST」という当時の日本では経営スタイルを実践しています。

この軽井沢ゴルフ倶楽部は1922年夏に開業し、成沢地区南ヶ丘(軽井沢町)に移転した1932年当時の会員は皇族や徳川家、近衛家など華族(旧大名家)や公家が大半という超名門でした。

白洲さんは14歳の頃からゴルフを嗜(たしな)んでいたという筋金入りで、芝の手入れや従業員の待遇だけでなく、上流階級が多い会員に対しても断固たる態度で臨んだそうです。

現職の総理大臣であっても倶楽部の会員でなければ歓迎するどころか追い返し、会員であっても警備担当の同伴は許さなかったというエピソードも残っていました。

かなりの肝っ玉が無ければできない対応と言えますが、吉田茂さんや占領軍と渡り合ったことを考えれば貴族を”あしらう”ことなど簡単だったのかもしれませんね。

白洲次郎の遺言「戒名不要」は守られた?

有名人や資産家の「遺言 (いごん)」は遺産分配や今後について記述されることが多いですが、白洲次郎さんの遺言は単純明快かつ大胆な内容だったそうです。

白洲さんの遺言書に記されていたのは”葬式無用”と”戒名不要”という二つの項目だけでした。

シンプルな遺言は自分の意志を相手にしっかりと分かりやすく伝えるという白洲さんの性格を明確に表しており、遺族も忠実に守って盛大な葬儀や戒名は付けていません。

近年の日本で”葬式無用”や”戒名不要”という考え方が広まっていることを踏まえると、白洲さんの考え方がいかに合理的かつ先進的だったかを伺わせる遺言だったと言えるでしょう。

ただ、白洲さんは無宗教だったそうなので仏教式で送られることを嫌がったのかもしれません。

白洲次郎の吃音は日本語限定だった?

最後に白洲次郎さんが吃音だったという驚きの話をいきましょう。

白洲さんと言えば色々なドラマでアメリカ人を相手に堂々たる議論をしているシーンを多く目にしますが、意外にも雄弁な姿とは正反対とも言える”吃音症”を患っていました。

実は吃音症だったという有名人は世界中に数多くおり、イギリスの首相を務めたチャーチルさんや同国王のジョージ6世、映画「ダイハード」のブルース・ウィルスさんらが有名です。

吃音症は興奮した時に出やすいという傾向があるそうですが、それでもアメリカ軍との交渉が円滑に進んだ理由は「英語の方が話しやすい」という驚くべきものでした。

このエピソードについては孫の信哉(しんや)さんが明かしているので間違いないでしょう。

英語の方が話しやすい・・なんてカッコイイ台詞を一度は言ってみたいものですが、これは白洲さんがイギリスで青年期を過ごしたという経歴が影響しているのかもしれませんね。


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