長年俳優として活動してきた原田大二郎(はらだ だいじろう)さん。
連続射殺犯の永山則夫を描いた1970年公開の映画『裸の十九才』で主演デビューし、テレビではバラエティ番組でも活躍しました。
最近はメディアで見かけませんが、現在も俳優として活動しているのでしょうか。
原田さん、現在の活動に加え、息子さんの難病、妻の英文学者についてチェックします。
併せて、原田さんの病気、選挙出馬の情報に迫ります。
原田大二郎のプロフィール
本名:原田大二郎
生年月日:1944年4月5日
身長:179cm
出身地:山口県山口市
最終学歴:明治大学法学部
所属事務所:ロビンフッド・アーチスツ、アネモイエンタテインメント
原田大二郎は現在も舞台で活動
まず原田さん、現在の活動について見ていきます。
劇場入りは明日からですが、ちょいとだけ前倒し作業。
遅くなりましたが恒例のドドーン!
作業の噂を聞きつけて大御所も来ちゃったドーン!
中身が少年のこの御大、この先一切怪我させないのが全員の任務…#桟敷童子 #骨ノ憂鬱 #すみだパークスタジオ #原田大二郎 pic.twitter.com/CTWPGqaquq— もりちえ (@morichie7) May 11, 2019
劇団文学座で演技を学び、映画やドラマで活動してきた原田さん。
1980年代後半から「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出演し、親しみやすいキャラクターがお茶の間で人気を博しました。
声優としても2004年のジブリ映画『ハウルの動く城』に登場する犬「ヒン」役で注目されます。
最近は目立つ役柄を演じる機会は少ないものの、サスペンスや時代劇で脇を固めてきました。
2013年からは小野寺昭さんの後任として、舞台劇『めぐみへの誓い』への出演を続けています。
同作は2021年に、野伏翔監督により映画化されました。
原田さんは舞台および映画で、北朝鮮による拉致被害者・横田めぐみさんの父・滋さん役を演じています。
拉致された娘さんの帰国を求めて、生涯活動し続けたことで有名な人です。
映画「めぐみへの誓い」完成披露試写会が無事終了いたしました。
監督が挙げられた映画のテーマが、家族の絆と絶望の中で希望を持って生きること。
拉致被害者、特定失踪者のご帰国を願っています。
📷横田滋さん役の原田大二郎さん。そして夜想会の北煬子さんと卜部真由美さん。 pic.twitter.com/k4lKgbsYw8
— 半井小絵 (@SaeNakarai) August 24, 2020
演じるにあたり滋さん本人と会い、話をする機会がありました。
滋さんは「めぐみを帰せ」という気持ちの塊のような人だったため、強い想いをそのまま演じてきたそうです。
拉致問題についてまったく知識がない人もいるため、同作は被害者の悲しみと苦しみを多くの人に広める意義がありますね。
2020年に滋さんは、めぐみさんと再会することなく世を去ります。
翌年、同作についてインタビューを受けた原田さんは「滋さんの魂を僕らの中で燃やし続けるべき」と語りました。
そのうえで「僕は命がある限り、叫び続ける」と決意を表明しています。
拉致被害者を救済するため生涯を捧げた滋さんを演じるため、原田さんも役者としてこの舞台に生涯を捧げる覚悟をしたのでしょう。
原田大二郎の息子・原田虎太郎は難病
1974年に原田さんは、一人息子の虎太郎さんをもうけました。
虎太郎さんは出産時の事故および難病「ヒルシュスプルング病」によって、発育が遅れてしまいます。
「ヒルシュスプルング病」は大腸の一部もしくは全体、さらに小腸までの範囲にあるはずの神経節細胞が欠如する病気。
これによって消化管の動きが鈍くなり、重い便秘症や腸閉塞になってしまう場合があります。
虎太郎さんは障害が原因で、小中高の長い学校生活の中でいじめを受けていました。
高校ではあと1か月で卒業できるタイミングで、不登校になってしまったそうです。
原田さんは父として、息子に普通の教育を受けさせたかったため、無理やり学校へ行かせていました。
結果的に20年もの間、親子関係に溝が生じてしまったのです。
いじめを受けながら無理やり学校に行き続ければ、心に深い傷を負ってしまうに決まっています。
ただ昔は不登校生が集まるサポート校や民間団体が定着していませんでした。
原田さんに限らず、嫌がるお子さんを無理に学校へ行かせてしまった親御さんは、きっと多いはずです。
ようやく原田親子のわだかまりが解けたのは、2014年にバラエティ番組「ナイナイアンサー」へ親子で出演したときのこと。
原田さんが虎太郎さんに、無理やり学校へ行かせたことを謝罪した結果、和解できました。
長年の確執を解消できたのですから、失った分も含めて、今後は親子での時間を楽しんで欲しいですね。
妻は英文学者の原田規梭子
原田さんの妻は、同い年の英文学者である原田規梭子さんです。
シェイクスピアを研究し、東洋学園大学では5代目の学長を務めました。
学び始めるのは、何歳になっても遅すぎることはない― 原田規梭子学長が家庭と仕事の両立や人生のターニングポイントを語った大学院セミナー第3回「女性がキャリアを積むということ」の模様→https://t.co/ffMKbq0V3S pic.twitter.com/kveUhWbuL6
— 東洋学園大学 (@toyogakuen_univ) January 5, 2017
2人は明治大学在学中、英語部で出会いました。
5大学による英語劇コンテストの舞台で共演。
明治大学はギリシャ悲劇『メディア』を上演し、ヒロインのメディアを規梭子さん、その夫役を原田さんが演じます。
劇は高く評価されてコンテストで優勝し、規梭子さんは女優賞を受賞しました。
夫婦役を演じたことをきっかけに、原田さんは規梭子さんに惚れて猛アタックします。
「タイプじゃない」と断られ続けても諦めず、毎日手紙を書き、同じ授業を受けるほどの一途さを見せました。
規梭子さんは彼の情熱に根負けしたのか、結果的に結婚します。
原田さんは明治大学を卒業後俳優となりますが、規梭子さんは演劇の研究をする道を選びました。
明治大学大学院文学研究科に入り、シェイクスピアを中心にイギリスの演劇について学び始めます。
大学院を修了後は高校教師になる予定でしたが、希望していた高校から「女性教員はいらない」と言われ、途方に暮れました。
すると原田さんからアドバイスされ、東洋女子短期大学の学長に手紙を書き、直接助手として雇ってもらうことになります。
同大学英文科の講師となり、初めて教壇に立ったとき、メディアを演じたときと同じ興奮を覚えたそうです。
「教えることが天職」と感じ、以降は長い教員生活を送ることになります。
東洋女子短期大学が東洋学園大学と統合されると副学長に就任し、2014年からは学長を務めました。
英文学者・教員として、忙しくも充実した日々を送ってきたことがわかりましたね。
原田大二郎は病気ではない
原田さんについてネットで調べていると「病気」という関連キーワードが表示されます。
何らかの病気を患ったのか確認しましたが、特に情報は見当たりませんでした。
息子の虎太郎さんが難病を患っていたため、「病気」というキーワードが結び付いたに違いありません。
原田さん自身は元気に俳優業を続けている様子ですから、心配する必要はなさそうですね。
原田大二郎は選挙で落選
原田さんは2010年7月、突如、参議院議員選挙に出馬しました。
俳優業を停止させ、山口県選挙区で民主党公認、国民新党推薦の候補者となります。
しかし落選したため、再び芸能界に復帰しました。
拉致問題を扱った舞台に出演するほど社会問題に関心が強い人ですから、直接国の政治に関わってみたかったのかもしれません。
落選後に再チャレンジしなかったのは「一度だけ挑戦してみる。落選したら、天職である俳優に戻る」と決めていたためでしょうね。
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