宮澤喜一の自宅は原宿、宮澤エマとたまごっちを購入。英語力は抜群、東大の学歴重視

第78代内閣総理大臣として名を残す宮澤喜一(みやざわ きいち)。

戦後初の陸上自衛隊海外派遣を果たすなど、政界の重鎮として長く君臨しました。

自宅は一等地の原宿にあったそうですが、今も存在しているのか確認しましょう。

また孫で人気女優の宮澤エマさんが幼い頃、祖父とたまごっちを買いに出かけたエピソードを確認。

併せて、宮澤の高い英語力、東大出身の学歴を重視していたという情報に迫ります。

宮澤喜一のプロフィール

本名:宮澤喜一

生年月日:1919年10月8日

死没:2007年6月28日

身長:160cm

出身地:東京府東京市(現在の東京都)

最終学歴:東京帝国大学法学部政治学科(現在の東京大学)

宮澤喜一の自宅は原宿

宮澤の自宅は、東京都渋谷区の一等地・原宿の神宮前6丁目にある立派な一軒家です。

2022年現在も自宅は現存していますから、変わらず宮澤家の人々が暮らしているのではないでしょうか。

永六輔さん、筒井康隆さんもこの近辺に出没していたため、原宿エリアに暮らしていた可能性が高いです。


アンテナショップが多く、有名人たちやおしゃれな若者たちがショッピングを楽しんでいる街。

宮澤の孫である女優の宮澤エマさんは、この華やかな街で育ちました。

祖父の宮澤は多忙なため、一緒に遊んだ記憶はほとんどないといいます。

外で祖父を見かけて駆け寄ろうとしても、私服警官であるSPから警戒されてしまったそうですよ。

政府の要人の家庭に生まれたエマさんは、一般人には想像もつかないほど特殊な生活を送ってきたのですね。

孫の宮澤エマにたまごっちを買うため外出

2021年10月6日に放送された日本テレビ系の「1周回って知らない話+今夜くらべてみました合体! 芸能界の『気になる』3時間SP」。

同番組に出演したエマさんは、祖父と外出した唯一の思い出について語りました。

7歳の誕生日、エマさんは当時大ブームだったおもちゃの「たまごっち」が欲しいと宮澤に言ったそうです。

宮澤は「買いに行こう」と言い出して、SPを引き連れ、原宿のおもちゃ屋に向かいました。

原宿を歩いていると、人々がよけて、宮澤に道を譲ったそうです。

エマさんはこのとき初めて、祖父の偉大さを肌で感じました。

おもちゃ屋に到着すると、たまごっちを買いたい大勢のお客さんが長蛇の列を作っていました。


すると宮澤は「たまごっちください!」と店員さんに向かって大声で叫んだのです。

店員さんは権力に屈しない姿勢を示すためか「並んでください」と応答。

結局その日はたまごっちを買えませんでした。

しかし後日、エマさんは大物政治家である祖父の影響力の大きさを知ることになります。

原宿での買い物風景がメディアに報じられた結果、発売元のバンダイからたまごっちが直接送られてきたのです。

もしかすると宮澤は、エマさんに「自分の偉大さ」を知らしめるべく、お店に出かけようと思い立ったのかもしれませんね。

宮澤喜一の英語力は抜群

エマさんの父は、元駐日代理大使のアメリカ人クリストファー・ラフルアーさんです。

エマさんは父の仕事の都合によりアメリカで育ち、カリフォルニア州のオクシデンタル大学に進学して宗教学を学びました。

当然ですが英語力は高く、バイリンガル女優として活躍しています。

祖父の宮澤も「政界随一」と言われたほどの、高い英語力の持ち主でした。

しかし孫娘とは異なり、留学や英語教育とは無縁だったため、国内での独学で英語力を磨いたそうです。

東京大学に在学中、渡米したものの英語がまったく使えず、危機感を抱いたことで勉強を本格化させました。

英語が敵性語だった戦時中も、手に入った洋書や英字新聞を読んで勉強したといいます。

戦後は大蔵官僚として、戦勝国であるアメリカと英語で交渉する日々を送りました。


食堂やロビーで休憩中は、いつも英字新聞や英字誌を読んでインプットに励んでいたそうです。

宮澤の高い英語はクリントン元大統領も絶賛したほどハイクオリティでした。

海外のニュース番組では、司会者から日本の外交を批判されても、流暢な英語を駆使して即座に論理的な回答を示しています。

通訳者を介さずに英語圏の要人と会話し、ときに通訳者の誤訳を訂正することさえあったそうです。

ただ一部の人は、宮澤が英字新聞をこれみよがし見せているように感じ、煙たがっていたといいます。

どうやら高い英語力と学歴を鼻にかけることが多かったようですよ。

宮澤喜一は東大の学歴を重視

最終学歴が中学校とされてきた田中角栄は、エリートの宮澤を「英語屋」と皮肉り、嫌っていたといいます。

宮澤は自身の母校で、日本トップの大学である東京大学しか、まっとうな学歴ではないと考えていたそうです。

初対面の相手には必ず出身大学を訊ね、相手が「東大です」と答えると笑顔になりました。

次に出身学部を訊ね、自身と同じ法学部出身であることを知ったとき、初めて打ち解けて話していたそうです。

この態度によって宮澤は、東京大学出身、特に法学部出身者しか信用しなかったと言われています。

東京大学以外の大学出身者のことは露骨に見下していたという証言もありました。

反宮澤派が誇張した噂かもしれませんが、エリート意識が強い人だったことは多くの人が証言しており、事実のようです。


相手が東大出身であることを重視し、英字新聞を持ち歩いていたとすれば、学歴のない角栄から嫌われていたのは当然。

ただ仕事の傍ら、独学で英語のスキルを磨き上げた宮澤の姿勢は、私たちも見習うべきかもしれませんね。

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