長きにわたって、俳優・歌手として活躍してきた美輪明宏(みわ あきひろ)さん。
シャンソン喫茶「銀巴里」で、神話に登場するような美青年歌手としてデビューしたことがきっかけで、芸能界に入りました。
日本人とは思えないほどハッキリとした顔立ちから、ハーフという噂が流れたこともあります。
今回は美輪さんのハーフ説の真相に迫りつつ、母との死別、兄弟や家族を支えた壮絶な生い立ちを見ていきます。
美輪明宏のプロフィール
幼名:丸山臣吾
本名:丸山明宏
生年月日:1935年5月15日
身長:161cm
出身地:長崎県長崎市
最終学歴:国立音楽大学附属高校中退
所属事務所:オフィスミワ
美輪明宏はハーフではない
若い頃の美輪さんの姿を見ると、大きな瞳と通った鼻筋を持つ、美しい青年だったことがわかります。
まるで西洋人のような顔をした二枚目ですね。
モロの声の美輪明宏さん、若い頃の写真が美形すぎてビビった。
かっこいいと表現するべきか、綺麗と言うべきか、兎に角美しすぎる
#もののけ姫 pic.twitter.com/6s0UAEybcA— ゆづき ハニワ&ハニプレ (@HoneyWorks8208) August 13, 2021
若い頃の美輪明宏さん
リアルJOJOww
イケメンすぎるやろ😍#ジョジョの奇妙な冒険 pic.twitter.com/8fzibp9Lx5— コウイチ大喜利修行中 (@hibiki1428) January 23, 2022
ハーフのような顔立ちだったことがわかりますが、実際にはハーフではありませんでした。
父・丸山作一さん、母・ヌメさんはともに生粋の日本人です。
両親ともに美男美女だったため、美輪さんは日本人離れした美しい青年に育ちました。
神秘的な顔を武器に、デビュー当初は国籍・性別・年齢がすべて不明というスタンスを取っていました。
またメイクを施した姿はさらに彫りの深さが強調されるため、異国の王族のような風貌に見えていたはずです。
シャンソン歌手時代の美輪さんを贔屓にしていた三島由紀夫は「天上界の美」と表現して、その美しさを称賛しました。
美輪明宏さんの若い頃もとんでもないから見てほしい pic.twitter.com/kEQYOG0ck1
— はらわた紳士🎌 (@harawatazinja) February 10, 2020
西洋絵画から抜け出して来たかのような美しさですから、「ハーフではない」と言われても納得できない人もいるかもしれませんね。
実は、美輪さんはハーフでこそなかったものの、外国人の血が混ざっている可能性はゼロではありませんでした。
故郷の長崎県は、海外との交流を禁じていた江戸時代から、出島などを通じて異国とつながっていた土地。
そのため長崎県の人々の中には、遠い先祖が外国人と人知れず血縁関係になっていた可能性もあるのです。
したがって美輪さんの血にも、外国人の血が混ざっていたのかもしれません。
彫りの深い西洋人の血が色濃く出た結果、奇跡とも呼べるほどの美青年に成長した可能性はありそうですね。
美輪明宏は母と幼少期に死別
美輪さんはわずか2歳のときに、母のヌメさんと死別しています。
ヌメさんは元看護婦で、大阪の日赤病院の看護婦長を務めた優秀な女性でした。
しかし若くして亡くなってしまい、美輪さんは父の後妻から育てられます。
後妻は食料品店の娘だった女性で、非常に優しく接してくれたそうです。
しかし美輪さんが9歳のときに、後妻も早世してしまいます。
その後やって来た父の3番目の妻は失踪してしまい、結果的に美輪さんは3度も母を失った傷を心に負ってしまうのです。
美輪明宏、兄弟&家族をサポートした壮絶な生い立ち
美輪さんには、後妻が残した異母兄弟も含めると、自分を入れて10人もの兄弟がいました。
実家は長崎県長崎市内にあった「丸山遊郭」と呼ばれる遊郭街で、カフェを経営する裕福な家でした。
しかし戦争によりカフェ経営は困難となり、父は金融業に転身します。
1945年8月9日には長崎県への原爆投下によって、貸付先が次々と破産し、返金を受けられなくなってしまいました。
一家も被爆して、貧しい生活を送ることになるのです。
美輪さんは10人兄弟と父を支えるため、一生懸命に家族の面倒を見るようになります。
母との別れ、自身の被爆という壮絶な経験をしながらも、決してへこたれることはありませんでした。
やがて歌手を夢見て上京し、15歳で国立音楽高校(現在の国立音楽大学附属高校)に進学します。
しかしあるとき、帰省した際に父と大喧嘩してしまい、家族とは絶縁することになりました。
仕送りを止められた結果、高校を中退し、進駐軍のキャンプで歌を歌いながら生活費を稼ぐようになります、
必死に働いてもお金が足りず、駅で野宿することもありました。
転機となったのは、日本初のシャンソン喫茶「銀巴里」の専属歌手になったこと。
12月29日(木)はシャンソンの日
1990年銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』が、営業40年…惜しまれながら閉店しました。美輪明宏、淡谷のり子、高英男…軍歌を歌う事を拒んだり、男性でありながら化粧をしたり、独自のスタイル、個性を貫いた、戦争を知っている方々 pic.twitter.com/9Afmls3b5R
— ちぃ (@blendykotya) December 28, 2016
1957年にシャンソン「メケ・メケ」を日本語でカバーしたところ、美しい容姿も相まって一躍注目の的となります。
レース地のワイシャツを身に付け、美青年歌手として人気と知名度を獲得するのです。
芸能界での華々しい活動からは想像もできないほど、悲惨な幼少期を送った美輪さん。
しかし不幸を不幸と思わず、強い意志を持って行動し続けた結果、壮絶な経験をバネに飛躍することができたのです。
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