ドイツの口承伝承による昔話の研究者として有名な小澤俊夫(おざわ としお)さん。
大学のほか、全国各地で市民向けの講座「昔ばなし大学」を開き、昔話に関する正しい知識を広めてきました。
顔に病気、もしくは火傷の後遺症らしきものがありますが、幼少期の体験が影響していることをお伝えします。
さらに息子でミュージシャンの小沢健二さんの近況を紹介したうえで、偉大なドイツ文学者である小澤さんの経歴をまとめます。
小澤俊夫のプロフィール
声に出して読まれた瞬間、昔話は土地の記憶や原風景を、その音とともに目の前に映し出す。長年、口承で伝えられてきた物語を研究してきた小澤俊夫さんによるエッセイと小さなお話集。親子鼎談「子どもとことば」も収録。『昔話の扉をひらこう』(暮しの手帖社) pic.twitter.com/9Q6kwl8FDs
— Title(タイトル) (@Title_books) January 24, 2022
本名:小澤俊夫
生年月日:1930年4月16日
身長:不明
出身地:満州(現在の中国)
最終学歴:東北大学大学院文学研究科修士課程
小澤俊夫の顔の後遺症は病気ではなく火傷
小澤さんは歯科医師の父・小澤開作の次男として生まれました。
兄は彫刻家の小澤克己さん、弟は世界的指揮者である小澤征爾さんです。
昨日、小澤俊夫さんに昔話大学講演会に呼んでいただいて、話をしました。小澤3兄弟が来てくださって、小澤征爾さんが来てくださいました。会場から発言して下さって嬉しかったです。 pic.twitter.com/QE8DIac7QM
— 福島みずほ (@mizuhofukushima) May 25, 2016
父の開作は中国東北部の長春で小澤歯科医院を開業。
日本人の統治下におかれていた朝鮮人や中国人も、分け隔てなく診察する歯科医として評判になります。
しかし日本によって中国に満州国が建国されると、開作は歯科医院を畳んで、関東軍に協力し始めました。
奉天に移住した後は、軍の仕事により家へ帰れない日々が続きます。
妻のさくらは子育てで忙しく、余裕がありませんでした。
そんな中で、1歳だった小澤さんは、大火傷を負ってしまうのです。
小澤さんの顔には火傷の後遺症が残りました。
なんらかの病気が後遺症の原因と考えた人もいるようですが、ほろ蚊帳に火がついて、燃えカスが顔に移ったというのが真相です。
さくらは自分の不注意で息子に火傷の後遺症を負わせてしまったことに、長い間苦しんでいたようです。
小澤さんは母に配慮して、後遺症の理由を聞かないようにしていました。
幼少期には顔に残った火傷の跡が原因となり、いじめを受けていたそうです。
ようやくさくらが真相を明かしたのは、90歳のときでした。
小沢健二のお父さん、小沢俊夫さんは子供の頃の事故で顔に火傷を負ってるんだよね…
お母さんは責任を感じたろう…
俊夫さんも、お母さんが90の頃に1度だけ、何があったか聞いた、って。
きっと子供の頃から聞きたかったろうに。
なんて強くて優しいんだろう。#ファミリーヒストリー— 重量級ソルティねえさん (@jyuryokyu) August 12, 2019
せわしない日々を送った末に、母子は心に重い傷を負うことになってしまったのです。
息子はミュージシャンの小沢健二
幼少期のつらい体験にもめげず、小澤さんは立派に成長して、ドイツ文学者となりました。
私生活では心理学者の小沢牧子さんと結婚し、息子の小沢健二さんをもうけています。
健二さんはシングル『天気読み』や『今夜はブギー・バック』で知られるミュージシャンです。
1995年と1996年に連続でNHK紅白歌合戦にも出場した実績があります。
小沢健二「それはちょっと」を聴く。うーん、1995年なんですねえ。自分の周りがリア充だらけで、自分だけが完全に埋没していた20代の想い出がよみがえる。ある種、深い残酷感を味わった曲だった。決して嫌な過去ではないけれど。#小沢健二 #それはちょっと pic.twitter.com/w3CtSGkTcZ
— Utaro/青沼ペトロ (@twittutaro) January 29, 2022
インテリでエリートの両親に育てられたため、幼少期から非常に頭が良かったに違いありません。
実は東京大学文科Ⅲ類を卒業している、かなりの秀才なのです。
東大在学中からアマチュアバンド「ロリポップ・ソニック」で活動し、1989年にプロデビュー。
バンド名を「フリッパーズ・ギター」に変更して、複数のオリジナルアルバムを発売しました。
1991年にバンドが解散するとソロに転身し、2年後にはシングル『天気読み』、アルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』をリリースします。
洗練された雰囲気から「渋谷系」と呼ばれ、人気歌手となりました。
2019年には13年ぶりにアルバム『So kakkoii 宇宙』をリリースしており、今なお現役のミュージシャンとして活動しています。
CDの盤面の色は昔から、なんと百何十色の決まった色の中から選ぶことしかできない。色のコントロールはできず、少数の色から3つまで選ぶだけ。だから色に既視感がある。
So kakkoiiは色を使わず、透明インクだけ3回塗って厚くして、彫刻みたいにした。透明インクは流動体以来、隠れたテーマです。 pic.twitter.com/G3clihnos5
— Ozawa Kenji 小沢健二 (@iamOzawaKenji) November 16, 2019
小澤さんの家系からは、文化芸術方面で活躍するすばらしい人材が多数輩出されていたのですね。
小澤俊夫の経歴まとめ
1930年に中国の長春に生まれた小澤さん。
満州に父を残し、母のさくらさん、兄の克己さん、弟の征爾さんとともに日本へ帰りました。
東京府立第二中学校(現在の東京都立立川高校)在学中、勤労動員を経験しています。
1956年に東北大学大学院の文学研究科修士課程を修了すると、東北薬科大学(現在の東北医科薬科大学)で講師となりました。
その後、日本女子大学では助教授を経て、教授となっています。
ドイツの昔話であるグリム童話の研究や紹介をして、さらに日本の昔話についても分析。
結果的にはあらゆる昔話に精通した、昔話・民話界の権威となりました。
1992年からは全国各地で市民向けの講座「昔ばなし大学」を開講します。
「実は、白雪姫は3回殺されている。1回目はヒモ、2回目は櫛、3回目はリンゴ」などの豆知識を披露してきました。
元々のストーリーが脚色されてきた多くの昔話について、本来の姿を伝える活動に邁進してきたのです。
1998年には「小澤昔ばなし研究所」を設立し、書籍の出版にも尽力し始めます。
季刊誌「子どもと昔話」、本来のストーリーに基づいた昔話集「子どもに贈る昔ばなし」シリーズなどを出版してきました。
小澤昔ばなし研究所発行の季刊誌「子どもと昔話」82号に、みんなで再話した「かえるの恩返し」が掲載されました。忙しくて勉強会に参加する時間が少なくて、おんぶにだっこだったけど、とっても嬉しいです。みんな、ありがとう! pic.twitter.com/ZH3laCZUse
— 川澄 敬子 (@menotakasade) January 16, 2020
2007年にヨーロッパ・メルヒェン賞、2011年にドイツ・ヘッセン州文化交流功労賞に輝いています。
昔話の研究に加え、日本とドイツの交流の発展にも貢献してきた点が高く評価されてきました。
幼少期に負った火傷と、いじめによる心の傷にひるむことなく、昔話への情熱を燃やし続けてきた文学者なのです。
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