深津絵里の父親はエンジニア?書道家の母親はがんで死去。家族にハーフの噂と兄弟

演技派の女優として映画やドラマで活躍してきた深津絵里(ふかつ えり)さん。

2022年には朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で、3人のヒロインのうち1人を演じて話題となりました。

今回は、名女優である深津さんを育てた家族の詳細を見ていきましょう。

父親がエンジニアという噂、書道家だった母親はがんで亡くなったという情報を確認します。

さらに家族にハーフの人がいるという噂と兄弟の情報をまとめます。

深津絵里のプロフィール


愛称:ふかっちゃん

本名:深津絵里

生年月日:1973年1月11日

身長:156cm

出身地:大分県大分市

最終学歴:堀越高等学校

所属事務所:アミューズ

深津絵里の父親はエンジニアか不明

深津さんの父親がエンジニアという噂が流れていますが、本当なのでしょうか。

父親は一般人で、名前、生年月日、経歴などの情報はわかっていません。

エンジニアとして途上国のインフラ整備に従事していたという噂がありましたが、正確な情報か不明です。

ただ何度も海外に出張していたことは事実のため、忙しく各国を飛び回っていたアクティブな人のようでした。

深津さんが生まれたときも仕事で忙しかったものの、合間を縫って「絵里」という名前を考えてくれたそうです。

インタビューで深津さんが語っていた情報によると、自身は顔、性格、趣味のいずれも父親に似ているとのこと。

「父が同世代の人だったら、きっと友人になっている」と話していました。

昔から仲良し父娘だったことがうかがえますね。

深津絵里の母親は書道家の深津諭美子

深津さんの母親は、有名な書道家だった深津諭美子さんです。

娘が有名女優のため、注目されないよう本名を隠し「諭黄(ユンホン)」という雅号を使って活動していました。

「深津絵里の七光り」と呼ばれたら不愉快ですからね。

諭美子さんは元々、服飾デザイナーを目指しており、福岡県福岡市でブティックを開業していたそうです。

しかし経営はうまくいかず、書道家だった父親の影響を受けて、同じ道を進むことに決めました。

歯ブラシやホウキなどの道具で文字を書く「漢字アート」と呼ばれる手法で注目されます。

なかなか斬新なアーティストさんですよね。

2009年には娘の深津さんからの後押しもあり、本名「深津諭美子」を公表し、個展を開きました。

5年後の2014年には学者や政治家、文化人などの功績をたたえる「東久邇宮文化褒賞」を受賞しています。

優れた書道家として第一線で活躍していたのですね。

深津絵里の母親は肺がんで死去

しかし「東久邇宮文化褒賞」の受賞から1年後、諭美子さんは67歳で亡くなってしまいました。

前年から肺がんを患っていたことを公表しており、亡くなるまではつらい闘病生活を送っていたそうです。

肺がんの発見後、すぐに手術を受けたものの、がんは全身に転移してしまいました。

しかし諭美子さんは「がんのために入退院をくり返すより、書道家として人生をまっとうしたい」と語り、治療を拒否します。

娘の深津さんは入院をすすめたものの、母の強い意志に触れて、本人の好きなようにさせることを決めたのでしょう。

深津さんは13歳で芸能界デビューしたとき、母から芸能界入りを強く反対されていました。


それでも強い意志を抱いて、母の反対を押し切り、自分が目指す道を突き進んだのです。

深津さんは同じ表現者として、治療を拒否してまで表現活動にこだわる母の気持ちがよくわかったに違いありません。

諭美子さんは闘病中、同じようにがんで苦しむ人々を励ます文章をブログに投稿していました。

最期の瞬間まで悲観せず、前向きに生き続けていたことがうかがえます。

深津絵里の家族は日本人でハーフはいない

深津さん本人、もしくは家族にハーフの人がいると噂が流れているようです。

確認したところ、公表されている情報を見る限り、深津家にハーフはいませんでした。

なぜハーフに関する噂が流れたのでしょうか。

おそらく深津さんは英語が得意とされているため、親戚に外国人がいると思い込まれてしまったのかもしれません。

脚本家の三谷幸喜さんは、深津さんの英語の発音を「完璧」と称賛していました。

以下は三谷作品の1つである映画『ザ・マジックアワー』で、深津さんが英語の曲“I’m Forever Blowing Bubbles”を歌っているシーン。

美しい発音を確認できますよ。

ネイティブレベルの英語力はないかもしれませんが、発音の勉強にしっかり取り組んできたようですね。

ハーフではなかったものの、外国語や海外に関する情報を積極的に学んでいるのでしょう。

深津絵里に兄弟はおらず一人っ子

深津さんの家族は両親と自身の3人だけで、兄弟はいませんでした。

一人っ子だったため、好きなときに好きなものを使って遊んでいたそうです。

孤独ではあったものの、自由な生活を謳歌していたようですね。


ただ『寺内貫太郎一家』をはじめとする家族もののドラマを観て、大家族に憧れたこともありました。

一人っ子は自由に生活しやすかったものの、にぎやかな家族の生活を羨ましがっていたこともあったのです。

だからこそ映画やドラマの現場では、にぎやかな仲間たちに囲まれる時間を楽しんでいるのかもしれませんね。

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