松本零士、2度の裁判で敗訴。子供はいない。妻は漫画家、父親は戦闘機乗り&死因は心不全

『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』などの名作SF漫画の作者である松本零士(まつもと れいじ)さん。

2023年に訃報が流れましたが、晩年もさまざまな創作活動をしていました。

今回は、松本さん2度の裁判エピソードを紹介します。

子供や妻、父親といった家族の情報や、死因についても一緒に見ていきましょう。

松本零士のプロフィール

本名:松本晟(まつもと あきら)

生年月日:1938年1月25日

没年月日:2023年2月13日(85歳没)

身長:非公表

出身地:福岡県久留米市

最終学歴:福岡県立小倉南高等学校

松本零士は2度の裁判で敗訴

松本さんに対して、これまで2度の裁判が行われていることをご存じでしょうか。

宇宙戦艦ヤマト裁判

1度目は、1999年に『宇宙戦艦ヤマト』の著作者を巡って行われた裁判です。

結果的には、作品の企画・原案を手掛けた西崎義展さんの勝訴に終わりました。


2003年に法廷外和解し、松本さんと西崎さんが共同著作者となりましたが、権利を有するのは西崎さんの方です。

松本さんは、西崎さんの同意なく『宇宙戦艦ヤマト』の新作を作ることを許されていませんでした。

銀河鉄道999裁判

2度目の裁判は、2006年に行われた『銀河鉄道999』を巡る裁判。

歌手の槇原敬之さんが、有名デュオ「CHEMISTRY」に提供した『約束の場所』という曲があります。

この曲の歌詞「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」が、『銀河鉄道999』の台詞「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」に似ていたのです。

松本さんは自作からの盗用だとして、槇原さんに2,200万円の損害賠償を求めて訴訟を起こしました。

東京地裁は「盗作の事実は認められない」との判決を下し、松本さんの発言が槇原さんの名誉棄損にあたるとしました。

結果的に松本さんは、槇原さんに対して220万円の支払いを命じられてしまうのです。

その後は互いの控訴を経て、2009年に和解が成立したとされています。

槇原さんが松本さんから謝罪され、受け入れたそうです。

裁判の情報からは、松本さんが著作権や類似表現に対して、かなりシビアな人だったことがうかがえますね。

松本零士に子供はいない

1961年に松本さんは、同じく漫画家の牧美也子さんと結婚しました。

美也子さんは1935年7月29日生まれで、松本さんより3歳年上です。

長年寄り添ってきましたが、2人に子供はいません。


牧さんは高校を卒業後、銀行員や実家の卸問屋の手伝いとして働いた後、漫画家となりました。

1957年に『母恋いワルツ』でデビューし、少女漫画雑誌「りぼん」や「マーガレット」などで活躍。

タカラの着せ替え人形「初代リカちゃん」のイラストを担当した実績もあります。

2人とも漫画家として多忙だったため、子供を作らないことにしたのではないでしょうか。

子供の代わりに、猫の「ミーくん」に愛情を注いできたようですよ。

松本零士の妻は漫画家の牧美也子

牧さんの代表作には『マキの口笛』『源氏物語』『悪女聖書』などがあります。

『悪女聖書』はテレビドラマ化されており、牧さんは夫に負けないほどの活躍を見せてきました。

しかも初期の頃は、松本さんがなかなか売れず、牧さんの方が稼ぎ頭だったそうですよ。

少女漫画およびレディースコミックの漫画家としては大御所として認識されています。

夫婦が出会ったのは、漫画界の巨匠・手塚治虫さんの自宅だったそうです。


牧さんの美貌には手塚さんも驚いていたといいます。

巨匠の家で出会ったビッグカップルは、お互いに支え合いながら、長きにわたり第一線で活躍を続けてきたのですね。

松本零士の父親は戦闘機乗り

松本さんの実家の家族にも優れた人材がいました。

父親は元陸軍将校で、ベテラン戦闘機乗りでもありました。

太平洋戦争では兵庫県の明石にある航空機工場で、試験飛行に取り組んでいたそうです。

自宅には、現代では戦争ものの映画やドラマでしか見かけない、飛行眼鏡、飛行帽、拳銃などがありました。

さらに父親は映画が好きで、自宅には趣味で使っていた手回し映写機も。

幼少期に松本さんは父親の映写機を触っていたため、わずか5歳でフィルムの仕組みを理解したそうです。

そのスキルはのちにアニメ制作で役立ちました。

父親は敗戦後にマレー半島で、2年半もの間、幽閉されています。

過酷な幽閉生活から解放され帰還したものの、元軍人は公職追放されたため、仕事がありませんでした。

さらに戦艦『武蔵』が撃沈されたときには多くの部下を亡くしており、戦後は遺族に頭を下げていたそうです。

松本さんは苦しみを抱える父親の姿を見て、高校卒業後に上京して自分が家計を支えようとしました。

漫画賞の賞金を父親に渡すという親孝行もしています。


大学に行くお金はないから東京で働くことを伝えると、父親は応援してくれたそうです。

松本さんは「家族を支えたい」という強い気持ちを原動力に、漫画界を突き進んできたのですね。

松本零士の死因は急性心不全

松本さんの訃報が流れたのは、2023年2月20日でした。

同年2月13日、急性心不全のため都内の病院で亡くなっていたことが発表されています。

訃報を知った松本さんのファンは、ショックを受けたことでしょう。

SNSでも別れを惜しむ声が多く見られました。

数ある名作のタイトルも、あちこちで話題になっていましたね。

松本作品のファンにとって、2023年は改めて作品を見直す機会になったのかもしれません。

また、「名前は知っているけれど」という人なら、訃報をきっかけに初めて触れた可能性もあります。

松本さんが生み出した作品たちは、これからも多くの人に感動を与え続けるのでしょう。

2019年の病気は心不全ではなかった

亡くなる前の松本さんといえば、2019年のイタリアでの出来事を思い出す人も多かったのではないでしょうか。


同年11月15日、イベント出席のためトリノにいた松本さんは、突然の体調不良で現地の病院に運ばれました。

しばらく入院して回復すると、12月5日には帰国できたのですが、当時は多くの人が心配していたはず。

高齢ということもあり、入院のニュースから訃報の想像をしてしまい、祈るような気持で続報を待っていた人もいたことでしょう。

こうした出来事があったとなると、2023年の訃報を知り、2019年からの病気が死因と考えるのもわかりますね。

とはいえ、2019年に発表された病気は、脳卒中や肺炎。

心不全で入院していた事実はありません。

詳しいことはわかりませんが、やはり2019年の病気は、いったん回復していたのではないでしょうか。

2023年の心不全は、また別に発症したものなのかもしれませんね。

正六位が話題

亡くなった後の2023年6月2日は、正六位(しょうろくい)に叙されたことも大きな話題になりました。

生前の仕事が高く評価されたわけですから、本当にすごいことですね。


ただ、松本さんの功績があまりにもすごすぎたからか、「ちょっと低いのでは」という声も見かけました。

ごく一部の限られた人しか選ばれない正六位だというのに、それでも足りないと言われてしまうのは驚きです。

松本さんは、それくらい偉大な漫画家ということですね。

関連記事
松本零士の自宅は大泉学園。ブーム終焉で年収は?敦賀の人気スポット、ゆかりの北九州

牧美也子の若い頃と現在(2023)。結婚相手は松本零士、リカちゃん&色鉛筆缶のイラストが話題

西崎義展、本田美奈子との関係。息子は養子&松本零士との裁判。逸話まとめ

ちばてつやの娘&息子について。弟たちも漫画業界で活躍。嫁と家族は漫画家

宮川泰の息子は宮川彬良、孫は3人。現在(2023)は故人。若い頃の裏話&死因は心不全

田島令子に旦那や結婚なし、子供もいない。独身理由は女子高?現在(2023)の病気なし

野沢雅子の子供、娘で格闘家の噂。結婚した夫も声優。姪に孫悟空で電話

コメント