桜井和寿、実家は練馬の工務店。生い立ちや姉・父について。家族は嫁と3人の子供

Mr.Children(ミスターチルドレン)のボーカルとして、圧倒的人気を誇っている桜井和寿(さくらいかずとし)さん。

実家は練馬の工務店で、生い立ちについてのエピソードもあります。

姉や父、また結婚後の家族についても情報が盛りだくさん。

一つずつ、詳しく見ていきましょう。

桜井和寿のプロフィール

本名:櫻井和寿(さくらいかずとし)

生年月日:1970年(昭和45年)3月8日

身長:172cm

出身地:東京都練馬区

最終学歴:関東高等学校(現:聖徳学園高等学校)卒業

所属事務所:エンジン

桜井和寿の実家は練馬の工務店

桜井和寿さんの実家は、練馬区貫井にある「株式会社櫻井工務店」でした。

父親が経営しており、生活にゆとりがある暮らしをしていたそうです。

2023年現在は、4階建てのマンションの1階部分が櫻井工務店になっているといいます。

既に父親は他界しており、会社の代表者名も苗字の違う方になっていました。


後継ぎがいなかったため、経営を譲渡したのでしょう。

桜井和寿さんは、小学校の卒業文集で「将来は大工になる」と書いていました。

きっと、父親の後を継ぐことを夢見ていたのでしょう。

実際に、バンド活動をしていた時でも「売れなかったら大工になる」という考えを持っていたようです。

大工だった父親は得意分野を活かして、桜井和寿さんの夢を叶えるアシストをしていました。

中学時代にギターにのめり込んだ桜井和寿さん。

暇さえあれば弾いていると、気になるのが「騒音問題」。

そこで父親は、苦情が来ないように環境を整えてくれました。

工務店を経営しているので、防音設備工事をするのはお手のもの。

部屋が防音になったことで、桜井和寿さんは心ゆくまでギターの練習が出来ました。

「何か一つ誇れるものを身につけよう」と言う考えで子育てをしていたお父さん。

ギターに夢中になっていた息子を、目を細めて見守っていたことでしょう。

桜井和寿の生い立ち

桜井和寿さんの生い立ちについて、見ていきます。

子供の頃、勉強はあまりできる方ではなかったそうです。

そのような場合、親が「もっと勉強しなさい」などと小言を言いがちですよね。

しかし桜井和寿さんの両親は、勉強ができなくても責めなかったといいます。

その代わり、「何か一つ自信を持てるようなものを身につけよう!」という教えを貫きました。

小学生の頃、桜井和寿さんはまだ音楽に目覚めていませんでした。

夢中になっていたのは、スポーツ。

少年野球チームに所属し、白球を追いかけていたのです。

運動が好きだったのか、空手も習っていました。

体だけでなく精神も鍛えられる、とても良い習い事ですね。

実は小学生の頃の桜井和寿さんは、「音楽は女がするものだ」と思い込んでいたのだとか。

音楽の授業でさえ、歌うことを頑なに拒否していたのだそうです。

中学に入ると、不良グループに足を踏み入れてしまいました。

「少し悪くてかっこ良さそうな世界」に憧れたのかもしれません。

しかし、そのグループでは万引きなどを強要されていたそうです。

万引きが嫌で仕方がなかった桜井和寿さんは、思い切った行動に出ます。

「万引きをした」と交番に出頭して、グループから脱退する道を選びました。

その後、中学時代は落語研究会に所属。

一休寿という高座名をもらって、落語を楽しんだようです。

不良グループから落語の道へ、大きな方向転換でしたね。


同時期に、音楽との出会いもありました。

桜井和寿さんの友達の兄が、ギターを持っていたそうです。

「ギターってカッコいいな」と思った時に、自分の姉もギターを持っていたことを思い出しました。

それからは、ギターにどっぷりとはまっていった桜井和寿さん。

高校も、軽音楽部のある学校を探したほど音楽中心の生活になりました。

進学した関東高校では、もちろん軽音楽部に入部。

そこでMr.Childrenのメンバーとなる、ギターの田原さんやベースの中川さんと出会いました。

高校生の時のバンド名はBeatnik。

ボーカルは桜井和寿さんで、キーボードを担当したのは当時の彼女だったそうです。

高校時代から意識が非常に高く、やるからにはプロを目指していたのだとか。

エコーズのコピーもしていましたが、基本はオリジナル曲を作って演奏していました。

オリジナル曲をレコード会社に送るなど、努力を惜しまなかったのです。

高校時代から才能があったようで、レコード会社からは「ソロでデビューしないか」と桜井和寿さんだけにお誘いが。

しかし、Beatnikでデビューしたいという思いがあったためにソロデビューの話を断ったそうです。

これをきっかけに、バンドの結束力が一層強まったことは言うまでもありません。

インディーズ時代も、ファンクラブの会報を作るなど精力的に活動してきました。

当時の会報誌は有名になってからも、高値で取引されているほど人気があるそうですよ。

桜井和寿の姉は2歳年上で父はガンで他界

ここでは、桜井和寿さんの姉と父について見ていきましょう。

2歳年上の姉が結果的にバンド結成を後押し

友達の兄が持っていたことで、憧れ始めたギター。

姉が持っていたフォークギターを借りて、練習し始めたのは中学2年生の頃でした。

最初に練習したのは、ロックではなくフォークソング。

桜井和寿さんは、「禁じられた遊び」を何度も何度も練習していたそうです。

2歳年上の姉は弟思いだったので、「天才!」と褒めちぎったといいます。

身内にも励まされ、自身もギターの魅力にどっぷりと浸かりひたすら練習を重ねました。

その時実は、桜井和寿さんの姉は「下手だなぁ」と心の中では思っていたそうです。

本心を伝えていたら、現在(2023)のMr.Childrenは存在しなかったかもしれません。

桜井和寿さんは、心優しい姉がいて伸び伸びと成長できたのですね。。

父親は工務店を経営していた

桜井和寿さんの両親は再婚同士だったと言われています。

父親には、前妻との間に息子が1人いたそうです。

つまり桜井和寿さんには腹違いの兄がいたことになります。

しかし、若くしてガンで亡くなってしまいました。

その時の思いを込めて作った歌が1999年にリリースされた「終わりなき旅」。

闘病していた時の様子も描かれているのだそう。

桜井和寿さんが兄と一緒に住んでいたという情報はありませんが、交流はあったのでしょう。

そして、父親も同じくガンにかかってしまいました。


闘病の甲斐も無く、2008年5月に60歳でこの世を去っています。

その時桜井和寿さんは既に38歳。

父親は、息子がミスチルのボーカルとしてもソロでも大活躍をしていたのを見届けることができました。

桜井和寿さんは、父親への思いを込めて2008年に「花の匂い」という歌を発表。

歌詞を見てみると、父への愛情が手に取るように分かり涙が浮かびます。

桜井和寿の家族は元ギリギリガールズの嫁と3人の子供だが実はバツイチ

桜井和寿さんは、結婚を2回しています。

桜井和寿さんの前妻は、Mr.Childrenが所属するトイズファクトリーの社員でした。

Mr.Childrenを販売促進するプロモーターとして、バリバリ働いていた時に恋仲になったようです。

そして1994年にできちゃった婚で入籍。

娘が1人生まれましたが、すぐに夫婦は不仲になったようです。

家庭内でも仕事の話になってしまうことを、桜井和寿さんが嫌ったのだそう。

そして合コンで知り合ったギリギリガールズの吉野美佳(よしのみか)さんと、1997年頃から不倫関係に。

この不倫問題は週刊誌にスクープされて、連日報道されました。

結局2000年5月に前妻との離婚が成立した翌月に、吉野美佳さんと再婚。

あまりにも早すぎる再婚で、またマスコミに騒がれる事態に陥りました。

責任を取って、Mr.Childrenはしばらく活動自粛となったのです。

他のメンバーにとっては、溜まったものではなかったでしょう。


桜井和寿さんは「悪いのは全部自分だ」と頭を丸刈りにして、インタビューに答えていました。

2023年現在、桜井和寿さんと吉野美佳さんとの間には3人の子供がいます。

10億円をかけて建設されたと言われている豪邸に、家族仲良く暮らしているということです。

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