野沢直子、実家は金持ち&父の職業は会社経営者。兄弟は弟と妹、叔父や祖父も有名人

タレントの野沢直子(のざわなおこ)さんは、実はお嬢様育ち。

実家は金持ちで、父の職業は会社をいくつか立ち上げた経営者なのだとか。

さらに、兄弟や叔父に祖父まで著名人だらけだといいます。


それでは、野沢直子さんの華麗なる家族について見ていくことにしましょう。

野沢直子のプロフィール

本名:ナオコ・オークレアー

生年月日:1963年(昭和38年)3月29日

身長:158cm

出身地:東京都

最終学歴:東京農業大学第一高等学校卒業

所属事務所:吉本興業

野沢直子の実家は父が事業を起こしまくって大変だった

高校生だった時に、所(ところ)ジョージさん司会のテレビ東京系バラエティ番組「ドバドバ大爆弾」に出演した野沢直子さん。

お笑いタレントがその才能に惚れ込み、1983年にデビューしました。

野沢直子さんといえば、元気で面白くハチャメチャなイメージ。

庶民のイメージが強いですが、実は実家が金持ちだったことがわかりました。

野沢直子の父の職業は会社創業者で破天荒な人生

野沢直子さんには、行動力がある父親がいました。

会社をいくつも立ち上げた、野沢直哉(のざわなおや)さんです。

そう聞くと、「幼い頃からお嬢様育ちだったのでは」と思ってしまいますね。

しかし実際は、借金だらけで苦しい生活をしていたといいます。

ギャンブラー気質だった父は、事業で失敗を繰り返していたそうです。

口癖は、「いつか一発当ててやる」でした。

朝鮮人参のスタミナドリンクを製造していた頃は、幼かった野沢直子さんも試飲させられていたのだとか。

子供にスタミナドリンクを飲ませるのは、なかなか抵抗感がありそうです。

しかし、生活がかかっていたので父親は必死だったのでしょう。

結局、朝鮮人参のスタミナドリンクも失敗に終わりました。

またある時は、ハゼの天ぷらをのせた「ハゼ丼」をフランチャイズ展開してみたそうです。


これは、1972年から1973年にかけて放送されたアニメ「はぜどん」と名前をかけたといいます。

残念ながら、「ハゼ丼」もうまくいきませんでした。

結婚に関しても、4回も経験した野沢直子さんの父親。

2015年に81歳で他界しましたが、豪快な人生を送ったようです。

野沢直子の父は趣味の競馬でついに事業成功

野沢直子さんの父親は、新しい事業を何度も立ち上げては失敗を繰り返していました。

ところが、趣味の延長で始めたビジネスが大成功を収めることになります。

競馬が大好きだった、野沢直子さんの父親。

どの馬が勝つかを予想することに、長けていたようです。

競馬関連で会員を集めて、競馬予想を教えるというシステムを考案。

友和企画という会社を立ち上げました。

この事業が遂に大成功を収め、名前を「株式会社ユーワ(ユーワライディング)」に変更。

新宿に自社ビルまで建つほど会社は成長しました。

自分の競走馬を、100頭も持てるようになったそうですよ。

妹は隠し子、弟はクリエイティブディレクター

野沢直子さんの親族は、有名人が何人かいるとのこと。

兄弟や叔父、祖父を見ていきましょう。

野沢直子の妹はタイと日本のハーフで隠し子だった

野沢直子さんは3人きょうだいです。

しかし、それぞれ母親が違うといいます。

仕事だからという名目で、家を留守にしがちだった父親。

本当は、別の女性のところに行っていたのでした。

競馬の事業が大当たりした頃、父親はこっそりタイ人留学生のナパポンさんと交際。

妊娠が発覚し、ナパポンさんはタイに帰ったのでした。

そして生まれたのが、妹・ピッシニーヤー・ノザワさん。

父親は隠し子の存在を、家族の誰にも話していなかったようです。

妹の存在を知ったのは、父親の遺品整理をしていたときでした。


会いたいという気持ちと、嫌われているかもしれないという気持ちが入り混じっていた野沢直子さん。

番組の企画で会うことになり、感動してお互い涙を流したそうです。

野沢直子の弟はクリエイティブディレクター

野沢直子さんの弟は業界では有名な方。

クリエイティブディレクターの、野澤直龍(のざわなおたつ)さんです。

成城大学卒業後に、広告業界へ。

2017年以降、数々の賞を受賞している才能あふれる人だそうです。

野沢直子さんと弟は、腹違いの姉弟になるといいます。

野澤直龍さんの母親は、歌手のユン・ナヨンという方だそうです。

名前から推測すると、韓国出身の方でしょうか。

叔父や祖父まですごかった

野沢直子の叔父

野沢直子さんの父親・直哉さんの弟は有名声優。

野沢那智(のざわなち)さんといい、特に洋画の吹き替えで活躍しました。

名優アラン・ドロンやアル・パチーノなどの吹き替えを、担当していたそうです。

野沢直子さんが芸能界に入った時、テアトルエコーに所属していました。

しかし、「自分とは合わない場所だ。どうしようか」と悩んでいたところ叔父が助けてくれたのです。

吉本興業の木村政雄会長に、野沢直子さんを会わせてくれました。

これがなければ、タレントとして大活躍した姿を見ることができなかったかもしれません。

野沢那智さんは、2010年に72歳で亡くなっています。

野沢直子の祖父は小説家で息子を助けようとして水死

野沢直子さんの祖父は、直木賞を目指した有名な作家・陸直次郎(くがなおじろう) さん。

本名を野沢嘉哉(のざわよしや)さんといい、新聞社に勤務してから作家になりました。

1944年に46歳で他界するまで、悪漢小説を中心に執筆。


代表作は「殴られた宗俊」だそうです。

亡くなった年齢が若いので、時代的に戦死したのかと推測しそうですよね。

しかし実際は、野沢直子さんの父親が子供の頃に川で溺れてしまったそうです。

それを助けようとして、命を落としてしまいました。

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