舟木一夫、家族が複雑で母親が9人。父親が招いた実家の貧困&生い立ちについて

舟木一夫(ふなきかずお)さんといえば学ラン姿と「赤い夕陽が校舎を染めて~」という歌詞が頭に浮かんでくる人も多いのではないでしょうか。

デビュー曲の「高校三年生」(1963年)が大ヒットし、歌手だけにとどまらず役者としても絶大な人気を誇りました。

今回は舟木一夫さんの家族である母親と破天荒だった父親の話題、自身の生い立ちなどをお伝えしていきます。

舟木一夫のプロフィール

本名:上田 成幸

生年月日:1944年(昭和19年)12月12日

出身地:愛知県一宮市

職業:歌手・俳優・タレント

音楽ジャンル:歌謡曲・演歌

レーベル:日本コロムビア

複雑な家族関係で育った舟木一夫

舟木さんが自身の育った環境を語るとき、母親について注目が集まることは珍しくありません。

それは母親が9人もいたという不遇の少年時代を過ごしていたからです。

両親は舟木さんが小学1年生の時に離婚してしまいました。

母親が出て行ったため、父親の友人夫婦に預けられたこともありました。

いつまでも父親が迎えに来ないため、気まずくなった舟木さんは納屋でおかずのないごはんを食べて過ごしていたそうです。


小学4年生の頃には、すでに再婚していた実母の家で暮らしたこともあった舟木さん。

ここでも舟木さんはつらい経験をしています。

夕食のときにすき焼きの肉を食べようとしたら、実母の旦那さんに手を叩かれてしまったのです。

ショックを受けた舟木さんは顔面神経痛になってしまい、父親が連れ戻しに来たのでした。

父親に引き取られた舟木さんには新しい母親が現れてはいなくなる、という日々が繰り返されていました。

父親が代わる代わる連れてくる女性を母親として認めてはいましたが、実際のところは父親の奥さんという認識だったようです。

一番短かい人は1日でいなくなったこともありました。

時には出て行った人を舟木さんが迎えに行って連れ戻しに行ったことも。

それでも2か月ほどで出て行ってしまったそうです。

実母は出ていき新しい母親が次々と入れ代わる生活を、小学生だった舟木さんはどのような気持ちで過ごしていたのでしょう。

それを思うと少し切ない気持ちになりますね。

後年にも実母に関してはほとんど語っていない舟木さんですが、以前出演した番組で実母が亡くなったとの一方を聞いた時のことを「最初は何も感じなかったけど、少ししたら涙が止まらなくなった。これが血の繋がりというものなのかと思った。」と語ったことがあったそうです。

9人目の母親と舟木一夫のエピソード

そんなつらい幼少期を過ごしていた舟木さんに転機が訪れます。

小学6年生の時に9人目の母親が現れたのです。

この人こそが舟木さんを自分の本当の子供のようにかわいがり、温かい愛情を注ぎ続けた最初で最後の母親となる節(せつ)さんなのでした。

その愛情を感じてか舟木さん自身も節さんのことを本当の母親のようにとても慕っていたようです。

節さんは新しい母親として不安もあったそうですが、舟木さんに自分のことをどのように呼ぶかと尋ねたとき「ぼく、おかあさんて呼びます」と舟木さんが言ったそうです。

それを聞いた節さんは、思わず舟木さんの手をにぎりしめてしまったと明かしました。

はじめから母親になろうとするよりも、自然に子供たちとふれあっていけるようにしたいと思っていた節さんの思いやりが、舟木さんに伝わったのかもしれません。


きっと節さんは、元々心根の優しい方なのですね。

舟木さんは幼少期から気難しいところがあったため、新しい母親にすぐ懐いた姿を見た父親は驚いたそうです。

節さんが家に来てから3か月ほど経った頃には、学校から帰ってきた舟木さんが「お母さん!」といって探し回るほど懐いていたといいます。

甘えてくる舟木さんに節さんもまた、強い愛情を感じずにはいられなかったのでした。

舟木さんは、節さんのように愛情を注いでくれる母親をずっと待っていたのかもしれません。

この頃舟木さんは初めて歌手になりたいという夢を抱いたようですが、心の安定が夢を見るきっかけにも繋がったのかもしれませんね。

節さんとは舟木さんがスターになったあとも良好な関係を続けました。

舟木さんが知人から母親の節さんとよく似ているといわれたことがあったそうです。

節さんは「血の繋がりはないけれど、似ていると感じる人がいるということは、実の母と子のように心から寄り添えたということか」と感じたそうです。

「上田成幸(うえだしげゆき)の母親としても舟木一夫の母親としても、息子の誇りでいられるよう自分をもっと育てたい」とも節さんは語ったことがあります。

舟木さんが慕っていた理由がよくわかるような気がしますね。

節さんは舟木さんとのエピソードをいくつか明かしていますが、それは舟木さんを思いやる心で溢れているものばかりです。

そして舟木さんには年の離れた弟と妹ができたそうですが、とてもかわいがったそうですよ。

父親が招いた実家の貧困と舟木一夫の生い立ち

幼少期から家族関係や貧困などの苦労を重ねた舟木一夫さん。

その原因を作っていたのはいつも父親でした。

父親の職業は映画館経営や興行師だったと舟木さんが明かしています。

生活が貧困を極めるようになったのは父親が知人の借金の保証人になったことが発端となり、映画館を手放したことにあるようです。

それまでの家を出なくてはならなかったり、舟木さんの実母と離婚をしたのもこのことが影響しているともいわれました。

「飲む・打つ・買う」を人の10倍くらいやるような父親だったとされています。

だらしのないイメージの父親ですが、躾にはとても厳しいところがありました。

少年時代の舟木さんは幼少期より礼儀正しかったそうです。


近所の人にはきちんと帽子をとって挨拶ができる。

帰りが遅くなると家に必ず電話を入れる。

友人宅へ泊りに行くと宿泊証明書をもらう。

など舟木さんの几帳面な一面は、父親が厳しかった影響もあるかもしれないと母親が語っています。

そのような環境の中であっても舟木さんは夢を追うことは諦めませんでした。

両親は舟木さんを銀行員にしたがったそうですが、舟木さんは自分の意志で歌手の道を選びました。

そしてある歌手のショーに行ったとき、たまたま居合わせた雑誌記者の目の前で歌を披露する機会に恵まれます。

これが舟木一夫が誕生する一歩となりましたが、舟木さんは訪れたチャンスを逃すことなく、自ら人気スターの道への切符を手に入れたのでした。

そして息子が売れっ子になってから父親は働くことをやめてしまいました。

それと代わるように、舟木さんは20歳という若さで家を建てるなどして実家を支えるように。

自身が幼少期から貧しい生活を経験していたため、年の離れたかわいい弟や妹に同じ思いをさせたくなかったのです。

父親の影響で苦労が絶えなかった舟木さんですが、それでも父親のことを悪く言うことはありませんでした。

それどころか父親の記事が雑誌に掲載された時には出版社に抗議しに行ったほど。

どんな父親であっても「親父の人生だから」と庇う舟木さんは親思いの優しい息子だったのではないでしょうか。

「僕は親父に関して一言も外でしゃべったことはないんです。親父の人生ですからね。」

1998年~1999年にかけて公演した舞台「おやじの背中」では、舟木一夫として自身の父親を演じることになります。

すでに父親は他界していましたが、最初は「お金を取って見せるものじゃない」という思いがあったため断ったそう。


結果的には演じることを選んだ舟木さんですが、どのような気持ちで決断したのでしょうか。

舟木一夫としてどのように破天荒な父親を演じたのか、つい興味が湧いてきてきてしまいますね。

2022年にはデビュー60周年を迎えた舟木一夫さん。

60年間、ありがとうございました。あと何年歌えるかわかりませんが、どうぞお付き合いを!」

これからも素敵な歌声を響かせて欲しいですね。

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