西郷輝彦の兄弟に2人の兄、姉は一般人。あおい輝彦と似てる。両親は仲良し&生い立ちまとめ

昭和歌謡の御三家として知られる西郷輝彦(さいごうてるひこ)さん。

兄弟は2人の兄と姉がいますが、2人の兄は若い頃に亡くなっています。

あおい輝彦に似ているのは本当か。

両親や生い立ちについてお伝えしていきます。

西郷輝彦のプロフィール

本名:今川 盛揮(いまがわせいき)

生年月日:1947年2月5日-2022年2月20日(75歳没)

出身地:鹿児島県鹿児島郡谷山町 

最終学歴:鹿児島商業高校中退 

所属事務所:サンミュージック

西郷輝彦の兄弟

 
西郷輝彦さんは昭和歌謡の「御三家」の1人として橋幸夫(はしゆきお)さん、舟木一夫(ふなきかずお)さんと共に人気を博しました。

母方の実家は日向国飫肥藩の家老職の家柄。


そんなことから、幼少の頃から芸事になじみがあり剣舞や絵画を学んだり、自作の紙芝居を近所の子供たちに披露したり、チャンバラなどを楽しむ幼少時代を過ごしていました。

兄弟は2人の兄と姉がいて、西郷さんは末っ子で活発で目立つことが好きな子供でした。

音楽人生に大きな影響を与えた兄の死

西郷さんには2人の兄がいましたが、相次いで亡くなっています。

自身が9歳の頃に2番目の兄が熱中症、15歳の頃には1番上の兄が釣りに出掛けた際に事故で亡くなりました。

憧れの存在だった1番上の兄は、当時地元のジャズバンドでドラマーとして活動していたそうです。

西郷さんは、「2人の兄の分を背負って生きる」ことを誓い、兄の影響で歌手を目指すこと決意。

兄の死をきっかけに人生が大きく変化していきます。

兄と同じ音楽の道へ

高校1年夏休みに家出をして、大阪のジャズ喫茶で開催されたボーカリストコンテストを受けるも落選。

そのままシンガー兼下働きをするも苦しい生活が続き、ある日芸能プロダクションのマネージャーをしていた相澤秀禎氏(元サンミュージックプロダクション会長)に目をかけられて上京が決まりました。

1964年当時17歳でデビュー。


クラウンレコードの新人専属歌手第一号として「君だけを」をリリースし大ヒットとなり一躍人気者になります。

その後も「星娘」「星のフラメンコ」などヒット曲を連発していき、昭和の日本歌謡の「御三家」と称される座に上り詰めました。

西郷輝彦の姉

西郷さんの兄弟は2人の兄と姉が1人で西郷さんは末っ子として誕生していて4人兄弟です。

残念なことに2人の兄は西郷さんが若い頃に亡くなっています。

兄の死をきっかけてに歌手を目指したという話はインタビューなどで明かしていますが、お姉さんは一般人のためかほとんど公表されていません。

西郷さんは歌手デビュー後に両親と姉を地元の鹿児島から呼び寄せて神奈川で暮らしていました。

2002年に母親を翌年には父親を亡くしていますが、病院で付き添っていたのはお姉さんだといいます。

姉弟で協力をしてご両親の最期を看取ったようです。

西郷輝彦とあおい輝彦は似ているが別人

西郷輝彦さんをネットで検索すると「あおい輝彦」(あおいてるひこ)さんの名前を目にします。

同じ「輝彦」なので、西郷さんが使い分けている芸名で同一人物なのでしょうか。

混同されがちだが同一人物ではない

あおい輝彦さんとは1962年にジャニーズからデビューしアイドルとして活動した後に俳優や声優として活動されている方で、西郷さんとは別人です。

左側があおいさん、右側が西郷さん。


名前も雰囲気もなんとなく似ていますよね。

あおい輝彦さんは1948年1月10日生まれで東京都出身です。

2023年現在75歳ですが、テレビ出演やABC-Zの舞台のナレーションの仕事などをこなしています。

またプライベートでは、新潟県で日本酒をつくるために田植えから稲刈りを自ら行い、山田錦を仕込みまでをしています。

日本酒通として知られており「名誉酒匠」の称号を持っています。

顔が似てる

西郷輝彦さんとあおい輝彦さんが似ていて見分けがつかず、同一人物なのではないかという声があるほど似てると言われる2人ですが、実際のところは本当に似ているのでしょうか。

まず似ていると噂されるお顔を比べてみたいと思います。

左側があおい輝彦さん、右側が西郷輝彦さん。

かなり似てますね。

生年月日で比べてみると、西郷さんが1947年2月5日生まれ、あおいさんが1948年1月10日生まれ。

西郷さんが1歳年上ですが年齢も近い。


2人とも同じ時代に時代劇に出演されていたりと共通点が多いので、似ていて見分けがつかないと言う人も多かったのかもしれませんね。

 

西郷輝明の両親

西郷さんは鹿児島県鹿児島郡谷山町出身で両親と兄弟は2人の兄と姉の末っ子して誕生しています。

2人の兄は残念なことに西郷さんが若い頃に亡くなっています。
 
ご両親は、父親が呉服屋を営まれていました。

母親とは駆け落ちのようなかたちで結ばれていて、仲睦まじい夫婦関係だったようです。

西郷さんは15歳の頃に実家から家出同然で飛び出し、大阪のジャズ喫茶でシンガー兼下働きとして生活をしていました。

苦しい生活が続き、大阪、名古屋、東京で歌っているところを元サンミュージックの会長・相澤秀禎氏に気に入られ、1964年当時17歳でデビュー。

クラウンレコードからリリースした「君だけを」が大ヒットとなり一躍人気者になります。

「鹿児島の人間が歌手になるなんてありえない時代だったので、家族の反対を押し切って、家出するように上京した。家族には心配をかけたが、母の愛情に支えられていたと思う」

その後に地元から東京に両親と姉を呼び寄せています。

最終的に両親は神奈川県で暮らし、父親が病気だったので母親が看病をしていましたが、看病疲れで逆に母親が体調を崩してしまいました。


母親は毎回西郷さんの舞台に来ていましたが、それを機に来れなくなってしまい、82歳で亡くなっています。

父親は母親の死を受け入れることが出来ず、母親の四十九日法要も終わる前に亡くなっています。

西郷輝彦の生い立ち

西郷輝彦さんは鹿児島県鹿児島市で両親と2人の兄と姉の4人兄弟の末っ子として誕生。

父親は呉服屋を営んでいました。

兄弟は仲が良く、特に兄たちには憧れを持っていましたが、若い頃に2人の兄が相次いで亡くなっています。

自身が9歳の頃に2番目の兄が熱中症、15歳の頃には1番上の兄が釣りに出掛けた際に事故で亡くしました。

西郷さんが歌手を目指したのは憧れの存在だった1番上の兄は当時地元のジャズバンドでドラマーとして活動していたことに関係しています。

高校1年夏休みに夢を叶えるために家出。

大阪のジャズ喫茶で開催されたボーカリストコンテストを受けに行きました落選し、そのまま音楽の道を進むためにシンガー兼下働きをするも苦しい生活を送っていました。

ある日、芸能プロダクションのマネージャーをしていた相澤秀禎氏(元サンミュージックプロダクション会長)の目に止まり、1964年当時17歳でデビュー。

「君だけを」をリリースし大ヒットとなり一躍人気者になります。

その後には両親と姉を鹿児島から東京へと呼び寄せています。


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