言わずと知れた日本音楽界の大スター・宇多田ヒカル(うただひかる)さん。
日本では1998年に15歳でCDデビューしました。
デビューシングルの「Automatic/time will tell」がいきなり200万枚以上を売り上げ、社会現象にまでなりました。
そんな宇多田ヒカルさんについて、生い立ちや二重国籍についての話題などをお伝えします。
宇多田ヒカルのプロフィール
愛称:ヒッキー
本名:宇多田光(うただひかる)
生年月日:1983年(昭和58年)1月19日
身長:158cm
出身地:アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク
最終学歴:コロンビア大学中退
所属事務所:U3MUSIC
宇多田ヒカルの生い立ち
宇多田ヒカルさんは普通ではない才能を持っていますが、生い立ちからすでに一般的とは言えない環境でした。
稀代の天才を生んだ、生い立ちについてご紹介します。
父親と母親について
父親は宇多田照實(うただてるざね)さん。
東京都出身ですが、父親の仕事の関係で16歳の時に渡米され、ニューヨークで音楽コーディネーターをしていました。
母親は歌手の藤圭子さん。
「女のブルース」や「圭子の夢は夜ひらく」などの大ヒット曲で有名です。
1979年に日本の芸能界を引退後渡米し、1982年に宇多田さんと結婚。
1983年にヒカルさんが、ニューヨークで誕生しました。
両親の音楽制作のためにニューヨークと日本を行き来する生活
宇多田ヒカルさんが7歳の頃、母親である藤圭子さんがニューヨークでの音楽制作にこだわるため、ニューヨークと日本を行き来してしたそうです。
スタジオ資金がなくなると日本に帰国し、家族3人でミニバンで日本各地を回り、藤圭子ショーを開いて資金調達をしていました。
宇多田ヒカルさんは日本にいてもニューヨークにいても、周りから「よそから来た子だ。」と思われる事が嫌で、親のやっているミュージシャンという職業に対して良いイメージを持っていなかったそうです。
当時は科学者か作家になりたいと思っていた、と語っています。
ですが血は争えないもので、両親に招待状を送って、リビングでヒカルコンサートを開催し、歌ったりしていたそうです。
子供の頃は一人遊びが得意だった
子供の頃の宇多田ヒカルさんは、「ちびまる子ちゃん」に出てくる野口さんのようだった、と自身で振り返っています。
長めのおかっぱ頭で、暗い感じだったそうです。
当時の遊びは、一人で延々と神経衰弱をしたり、水をコップからコップに移し替えて粒子の流れを見て楽むなど、一人っ子ならではの遊び方をしていたそうです。
ですが、内向的な性格かと思いきや、学校の音楽会では同級生に歌うパートを割り当てるなど、すでにプロデューサーとしての手腕を発揮していたようです。
デビュー時こそは違ったものの、4枚目のアルバムからは編曲まで含めた楽曲制作全般を1人で行っている宇多田ヒカルさん。
得意な1人遊びと音楽会のプロデュース力を考えると、子供の頃からその資質は完全に持っていたと伺えますね。
宇多田ヒカルの国籍と出身は?
宇多田ヒカルさんが生まれたのはアメリカ合衆国です。
アメリカは、国内で生まれた人に自動的に国籍が与えられる「出生地主義」のため、宇多田ヒカルさんはアメリカ国籍を持っています。
一方日本は「血統主義」のため、両親共に日本人の宇多田ヒカルさんは日本国籍も持っています。
よって、いわゆる「二重国籍」という状態になります。
よく二重国籍を持つ人は22歳までにどちらか1つを選ばなければならない、と聞きます。
ですが、宇多田ヒカルさんのように「生まれながらにして2つの国籍を持つ人」は日本国籍を自分から離脱しない限りは二重国籍を持ち続けられるそうです。
ネイティブから見た宇多田ヒカルの英語力
ニューヨーク生まれで日本とアメリカを行き来し、インターナショナルスクール出身の宇多田ヒカルさんは英語が堪能です。
アメリカでのCDデビューの際も英語でのインタビューを難なくこなしていました。
英語を喋らない日本人には、宇多田ヒカルさんの英語力がどのぐらいのものなのか推測もできません。
Youtubeにネイティブスピーカーが宇多田ヒカルさんの英語力を判定する企画の動画がいくつも上がっています。
そのどれもが、宇多田ヒカルさんの英語力はネイティブのアメリカ人並みだ、と評価しています。
日本人の訛りもなく、姿を見ずに聞くとアメリカ人が喋っているようにしか聞こえないほど、だそうです。
ニューヨーク在住経験やインターナショナルスクール経験も大きでしょうが、耳がいいという所も大きいのではないかと思われます。
飛び級でコロンビア大学に入学
宇多田ヒカルさんは日本のインターナショナルスクールを飛び級で卒業し、コロンビア大学に進学しました。
コロンビア大学はアイビーリーグに属する名門大学です。
その大学に入れるだけでもすごいですが、コロンビア大学に決めた理由は「家から一番近かったから。」だそうです。
とにかく寮には入りたくなかった、と語っていました。
ですが、せっかくコロンビア大学に入ったものの、やはり音楽を優先するべく中退してしまいました。
卒業していれば、間違いなくJ-Pop史上最高の学歴となったでしょう。
あの宇多田ヒカルが通っていたコロンビア大学 pic.twitter.com/wexBp3g
— MC79 (@_mc79) January 17, 2013
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