中島みゆきの年収と推定総資産!大学時代に見た学生運動の影響とは。生い立ち&出身について

中島みゆき(なかじまみゆき)さんは1975年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューしました。

1970年代から2000年代までの4つの世代にわたり、シングルチャートで1位を獲得した唯一のソロアーティストです。

代表作も、挙げればキリがないほど多くあります。

そんな中島みゆきさんの年収や資産、大学時代に起こった学生運動との関係などについてお伝えします。

中島みゆきのプロフィール

本名:中島美雪(なかじまみゆき)

生年月日:1952年(昭和27年)2月23日

出身地:北海道札幌市

最終学歴:藤女子大学文学部国文学科卒業

身長:161cm

所属事務所:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス

中島みゆきの年収と推定総資産

中島みゆきさんのヒット曲や代表曲は、挙げればキリがありません。

また、他の歌手への提供曲も数多く大ヒットしています。


そんな中島みゆきさんの年収や資産は一体どのくらいになるのでしょうか。

調べてみました。

中島みゆきの過去と現在の年収

長者番付が公開されていた2004年までの記録で、一番中島みゆきさんの納税額が多かったのが1995年でした。

納税額から計算すると、その年の中島みゆきさんの年収は2億8000万円でした。

ドラマ「家なき子」の主題歌「空と君のあいだに」が147万枚も売り上げたのが1994年ですので、その印税が入ったタイミングだと思われます。


このシングルが中島みゆきさんの最も売れたシングルになりますので、最高年収を叩き出したのはこの年だったと予想されます。

では、中島みゆきさん、現在(2023)の年収はどれぐらいでしょうか。

カラオケの印税や、他の歌手に提供した楽曲、そして他アーティストがカバーした際の印税。

それらをまとめあげると、現在でも中島みゆきさんの年収は1億3000万円ほどあるのでは、と言われています。

中島みゆきの推定総資産

あるテレビ番組の調べで、長者番付の20年分の記録から、中島みゆきさんの推定総資産が発表されました。

2008年の調査で32億6000万円が、その時点での推定資産でした。

2023年現在ではそれから15年ほどの月日が流れているので、それに伴い中島みゆきさんの資産も多くなっていることは確かです。

中島みゆきさんはデビューから1度もヤマハから所属事務所を変えたことがなく、ヤマハにとってはかなりの功労者です。


そのため、印税額が他アーティストよりも多い分配率になっている、という話もあります。

また、これまでの話は全て音楽家・中島みゆきとしての資産です。

音楽以外に事業や投資をされている可能性もゼロではありません。

そうなってくると表には見えない資産がある事になります。

大学時代に間近で感じた学生運動からの影響

1978年に発売された中島みゆきさんの4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」に、「世情」という曲が収録されています。

ドラマ「3年B組金八先生」の中でも最も有名と言われる、加藤優が逮捕されるシーンで使われていた曲です。

この「世情」は歌詞の内容から、1960年代に起こった大学紛争の事を歌っているのでは、と言われています。

1960年代当時、中島みゆきさんは藤女子大学に通っていました。

「シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく」という歌詞が印象的です。

シュプレヒコールとは、集会やデモなどで多人数が一つのフレーズ(主張)を大声で何度も朗唱する事です。

ただ、中島みゆきさんが学生運動に熱心に関わっていた、というわけではなさそうです。


歌詞を読むと、世代的に学生運動が間近にあったが、誰かの主張に肩入れする事なく、俯瞰して、その様子を歌にした、といった感じです。

「世情」が発売された頃には学生運動もとっくに終わっていました。

大学時代に見た学生運動を振り返り、改めて感じた事を歌にしたのだと思われます。

代表曲の1つである「時代」に、「そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ」という歌詞があります。

学生運動についても、「こんな時代があった」という事を作品として残すことに、意義を感じたのかもしれません。

生い立ちと出身について

中島みゆきさんが生まれたのは北海道札幌市ですが、5歳の時に岩内に引っ越し、その後11歳からは帯広に移ったそうです。

産婦人科医の父と、元ミス山形を受賞した経験のある母の間に生まれました。

3歳年の離れた弟もいらっしゃるようです。


祖父は帯広市議会議長などを務め、地元では有名な方だったそうです。

中島みゆきさん曰く「両親がなんでもかんでも音楽を聴かせる人」だったそうで、クラシックや歌謡曲など、ジャンルに関係なくいつでも音楽が流れている家庭だったようです。

それを聴いて育つと、その内に自分でも作りたくなってきたそうです。

そして高校の文化祭で初めてステージに上がり、オリジナル曲を披露することとなります。

その時に作った曲は「鶫の唄」というタイトルだったそうです。


この話はファンの間でも有名なエピソードですが、「鶫の唄」は音源化されたことがないため、同じ高校で文化祭を見た人だけが聴けた、とても貴重な曲です。

数多くの名曲を作った「天才」の原点の曲です。

いつの日か音源化される事があれば、ぜひ聴いてみたいですね。

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