心に訴える歌詞と歌唱力で長年活躍している、北海道出身の歌手・中島みゆき(なかじまみゆき)さん。
弟や父親は医者で、母親は山形出身だそうです。
家族や実家が由緒正しい家柄のようなので、見ていきましょう。
中島みゆきのプロフィール
本名:中島美雪(なかじまみゆき)
生年月日:1952年(昭和27年)2月23日
身長:161cm
出身地:北海道札幌市
最終学歴:藤女子大学文学部国文学科卒業
所属事務所:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス
中島みゆきの弟は医者
中島みゆきさんには、3歳年下の弟・一朗(いちろう)さんがいます。
非常に成績優秀だったようで、外科医になっています。
弟の同僚に、松任谷由実(まつとうやゆみ)さんの兄弟がいるという噂もあるようです。
父親が突然他界した後、家計を支えたのは中島さんの歌手活動。
医大の学費を出してあげていたようです。
頑張って芸能界で成功して、弟を応援していました。
夢が叶って立派な医者になって、良かったですよね。
中島さんは、自身が建てた家に弟夫婦を呼び寄せて一緒に暮らすことになりました。
1階は弟の家族が暮らし、2階に中島さんと母親が生活していたといいます。
勤務地が家から近かったことはラッキーでしたね。
夜勤や急な呼び出しに備えて、病院の近くに住む必要がありますよね。
遠いところに家を建てていたら、一緒に住むことはできなかったでしょう。
一郎さんは東京女子医大の講師などを経て、2023年現在は東京の板橋中央総合病院・臓器移植センターに勤務。
仕事帰りに板橋区の桜チェック^^/
小豆沢通り『板橋中央総合病院』(イタチュー)の入口に一本だけある桜、3月22日18時(天気→雨の降り始め)、写真だと暗くてわかりにくいけど見頃な感じ🌸 #板橋区 #小豆沢 #桜いたばしタイムズ pic.twitter.com/jHWrkoh9B6— 【公武】のぶ@のぶ屋 (@nobu_ya_com) March 22, 2021
移植外科のセンター長を務め、肝臓・腎臓・膵臓の移植を手がけているそうです。
多くの人の命を助けている、立派な職に就いているということがわかりました。
弟のサポートを、中島さんも行っていたのですね。
中島みゆきの父親も医者
中島みゆきさんの父・眞一郎(しんいちろう)さんは、1924年に北海道帯広市で生まれました。
北海道大学医学部出身という高学歴の持ち主です。
産婦人科医として働いていた28歳の時に結婚し、一男一女をもうけました。
子育てに関しては、非常に厳しくしつけていたと言われています。
昭和に生きた父親は、「我が子を叱って育てて一人前にさせる」という考えの人が多かったのではないでしょうか。
中島さんは両親に「お父様・お母様」という非常に丁寧な呼び方をしていました。
卒業後は勤務医をしていましたが、故郷の帯広に戻って「中島産婦人科」を開業。
開業医と言っても、収入は少なくて貧しかったそうです。
医者の娘と聞くと「お嬢様」というイメージしかありませんが、中島さんの場合はそうではなかったのですね。
とても苦労していたようですよ。
さらに、中島さんがちょうどデビューしようかという時に脳いっ血で急逝。
妻と2人の子を残して亡くなってしまったのです。
儲けが少なかったので、当然貯金もごくわずかしか残っていなかったそうです。
中島さんは家計を支えるために、芸能界で頑張る決意をしたのでしょう。
中島みゆき◆言葉への執着 父の形見(1997年ころの新聞記事) #中島みゆき pic.twitter.com/DUjlVacqRL
— 北国のくまきち🐻あたいの夏休み🐟👻🍉 (@kuma_kichi003) July 7, 2019
メッセージ性の強い曲が多数あるのも、このように苦労した経験を持っているからなのかもしれませんね。
中島みゆきの母親は山形出身
中島みゆきさんの母親は典子(のりこ)さんといい、山形の名家出身。
1929年生まれで、23歳の時に結婚したそうです。
美人だと評判だったそうで、中島さんは母親にそっくりだと言われていたそうです。
中島さんが中学生の頃、典子さんは体調を崩してしまいました。
母子で故郷の山形に戻って療養していたそうです。
中島さんが高校受験の頃には北海道に戻っていますので、数年で回復できたのですね。
母娘の絆がとても深いことで知られていますが、苦労が多かったことと関連しているといいます。
二人で助け合いながら、父の病院を手伝っていたこともありました。
大学卒業後の中島さんは、音楽活動を続けながら病院で働いていたのです。
おそらく、他のスタッフを雇う金銭的余力がなかったということでしょう。
コンテストに出るのも、賞金が支払われるものを優先していたという話もあります。
そうしなければ、暮らしが厳しかったのですね。
苦労を共にした中島さんは母を大事にしていました。
30歳頃には人気シンガーソングライターになっており、高収入を得ています。
どれどれわたしゃ寝ますよ。
ナウなヤングもいい夢みてケロ~
BGMは 中島みゆきさん "時代"
作詞作曲:中島みゆき今はこんなに悲しくて
涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ~♪若い頃の中島さん初々しいね#中島みゆき#時代 pic.twitter.com/H2pVQhqnC7
— 電ボみたいな世話好きホタル (@denbodayo) May 30, 2019
1982年に、都内の豪邸を母親にプレゼント。
一緒に暮らして芸能活動を支えていましたが、2010年に自宅で転倒。
高齢になって自宅で転んで寝たきりになる、というケースをよく耳にしますね。
中島さんの母も、ひとりで歩くことが不可能に。
車いすを使って移動するという生活になってしまいました。
中島さんと弟の嫁で献身的に介護をしていたようですが、2014年に亡くなりました。
中島みゆきの家族も立派で実家は天皇家とも繋がっている
中島みゆきさんの家系図をたどっていくと、華族や財閥ともつながりがあることがわかりますよ。
父と弟が医者で、父方の祖父は市会議員の議長をしていたそうです。
中島さんは北海道出身ですが、先祖は岐阜の大垣藩士だったことが判明。
そして祖父の叔父に、大蔵次官で男爵の位を与えられた郷純造(ごうじゅんぞう)という人がいました。
大隈重信(おおくましげのぶ)や伊藤博文(いとうひろぶみ)に、高く評価されていたとか。
大久保利通(おおくぼとしみち)から疎まれていなければ、もっと上の役職を与えられていたのではないかと言われるほどの人物だったのです。
誰もが知っている歴史上の重要人物と政治を動かしていた人が、中島さんの祖先にいたのですね。
郷純造さんには子供がたくさんいたので、1人を養子縁組で里子に出していたようです。
四男は、三菱財閥を創業した岩崎弥太郎(いわさきやたろう)さんの養子になっていました。
四男の娘・岩崎君子(いわさききみこ)さんの嫁ぎ先も当然家柄が良かったようです。
義理の姉となった高木邦子(たかぎくにこ)さんの次女・百合子(ゆりこ)さんは、三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)親王に嫁ぎました。
崇仁親王は、昭和天皇の弟にあたる人です。
このように中島さんの実家をたどっていくと、皇族まで繋がってしまいました。
非常に華麗な家系図でしたね。
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