槇原敬之はJ-Popの天才。音域の歌いやすさで全盛期の売上&年収は?坂本龍一に見出される

槇原敬之(まきはらのりゆき)さんは1990年にデビュー、1991年のシングル「どんなときも。」が大ヒットし、有名アーティストの仲間入りをしました。

槇原さんがすぐにブレイクすることができたのは、当然の事だったと言えるでしょう。

それは、槇原さんがJ-Popの天才であるからです。

そんな槇原敬之さんがJ-Popの天才である根拠や、全盛期の売上や年収などについて、お伝えします。

槇原敬之のプロフィール

愛称:マッキー

本名:槇原範之(まきはらのりゆき)

生年月日:1969年(昭和44年)5月18日

出身地:大阪市高槻市

身長:176cm

最終学歴:青山学院大学第二部文学部中退

所属事務所:株式会社ワーズアンドミュージック

槇原敬之はJ-Popの天才である

槇原敬之さんは、デビュー時からほぼ全曲を作詞・作曲・編曲をご自身で行なっています。

作詞・作曲をするシンガーソングライターはたくさんいますが、編曲までこなすとなると少なくなります。

槇原敬之さんは作詞・作曲は当然のこと、編曲までも高い水準で手がけています。

しかもそのどれもが、”J-Pop”という枠組みの中で最大限に魅力を発揮しています。

ナチュラルな視点で描きつつ、ハッとさせる表現の歌詞

槇原敬之さんの楽曲が人々の心を打つのは、歌詞によるところが大きいのは誰も否定しないでしょう。

槇原さんの曲に出てくる主人公は、ロックバンドの曲に出てくるような格好をつけるようなタイプでもなく、もちろんHipHopのようなストリートタイプでもありません。


どこにでもいるような、またはどんな人でも1人になった時に出てくる素の自分のような、そんな主人公がいつも中心にいます。

その主人公が恋をしたり、人生に悩んだり、誰もが共感できることを歌詞にしています。

誰もが自分を歌詞に投影できるというのは、J-Popとして絶対的に必要な要素です。

では、どこにでもいる主人公がどうして人々の心を打つのか、それは歌詞の表現の仕方にミソがあります。

誰もが体験したことのある風景や心情を、ハッとさせる表現を用いて歌詞にしているのです。

大ヒット曲「どんなときも。」の「あの泥だらけのスニーカーじゃ追い越せないのは 電車でも時間でもなく 僕かもしれないけど」という一節は、Bメロでありながら、聞いた人の心にとても印象的なイメージを残しているのではないでしょうか。

槇原敬之さんは、メロディよりも先に歌詞を書く、いわゆる「詞先」で楽曲を作るタイプです。

メロディに当てはめて歌詞を作ると、どうしても文字数に制約が出てしまい、使える言葉に限りがあります。

その点「詞先」で曲を作る槇原さんはその制約なしに歌詞が書けますので、自由度が高く、すばらしい歌詞センスを存分に発揮できるのだと思われます。

小難しくしないメロディライン

槇原敬之さんの曲は比較的カラオケでも歌いやすい印象があると思います。

それは自然で小難しくないメロディラインを持っているからでしょう。

槇原さんほどの歌唱能力があれば、もっと難しいメロディラインを表現することも可能であり、またその方が歌がうまい印象を与えることもできます。

ですが、槇原さんの楽曲は覚えやすく、無理のない、どちらかと言えば簡単なメロディの曲が多いです。


譜面にしてみるとよくわかりますが、音符の高低差に跳躍も少なく、リズムも取りやすくなっています。

それは、歌詞を聴いてほしいという意図があるためなのか、単に槇原さんのメロディメイクの癖なのかはわかりません。

ですが、”誰にでも歌いやすい”というのはJ-Popとして非常に大切な要素です。

槇原さんが作曲をしたSMAPの「世界に一つだけの花」のサビのメロディは、大部分がたった5音で構成されています。

「世界に一つだけの花」がここまで国民的な名曲とされているのは、簡単なメロディで、子供からお年寄りまで歌うことができる、という所にあるのではないでしょうか。

スタンダードから流行りの音まで自由に操る編曲能力

槇原敬之さんの楽曲はいろんなタイプの編曲が施されています。

「どんなときも。」のような普遍的なポップスや、「SPY」のような中国楽器を取り入れたロック調のもの、「彼女の恋人」のようなサンプリングリズムを使ったR&Bなど、様々なサウンドアプローチは槇原敬之さん自身の編曲によるものです。

また、槇原敬之さんはYMOの大ファンだったそうで、テクノ的なアプローチの曲も数多くあります。

ですが、すべてはエッセンスを取り入れるまでに留まっており、あくまでも”J-Pop”の枠を超えないように作られています。

作詞・作曲は天性のセンスによるもので作っているとすれば、編曲に関してはかなり緻密に計算されて作られている印象です。

歌詞・メロディ・アレンジ、すべてに於いて大衆音楽”J-Pop”として最高のものを1人で作り上げてしまう槇原敬之さんは、やはり”J-Popの天才”、と言うほかありません。

それは槇原さんの作ってきた作品がいかに日本人に愛されてきたか、というところで既に証明できていると思われます。

槇原敬之の曲がカラオケで歌われるのは広すぎない音域のため

「どんなときも。」や「もう恋なんてしない」、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」など、槇原敬之さんの楽曲はカラオケの定番曲がたくさんあります。

それは単にヒットしたから、というだけではなく、歌いやすいような音域に収められているから、という側面もあると思われます。

「もう恋なんてしない」を例に挙げると、下は低いC#(ドのシャープ)で、上でもA(ラ)までです。

有名なフレーズの「もう恋なんてしないなんて〜」の最後の「て〜」がファルセットで歌われているため、”高そう”という印象があるかもしれませんが、音程的にはG#( ソのシャープ)なので、むしろその後に来る「言わないよぜったい〜」の「な」と「よ」の方が音程的には高い所まで出ています。

アルバムの曲ではもっと高い音程も地声で出している事から、シングル曲は一般的な男性のキーでも歌いやすいように、という配慮がされていると思われます。

全盛期の売上と年収

槇原敬之さんのCDの売上枚数を見てみましょう。

一番枚数を売り上げたのは「どんなときも。」の167万枚です。

映画「就職戦線異状なし」の主題歌、そしてケンタッキーフライドチキンのCMにも起用され、無名のシンガーソングライターだった槇原さんを一躍有名アーティストにしました。

その次に売上枚数が多いのは「もう恋なんてしない」の139.7万枚です。

ドラマ「子供が寝たあとで」の主題歌でした。


槇原さん名義のシングルでのミリオンセールスはこの2曲になります。

ですが、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」はもともとアルバム曲だったにも関わらず、人気が高かったためシングルカットされました。

2003年に発売され、200万枚以上の売上枚数を記録していましたが、2016年にSMAPの解散が報じられると売上が伸び、最終的には300万枚を超えました。

ちなみに、JASRACが2012年に発表した「1982年からの30年間で著作権料の多かったTOP100」で、堂々1位を飾ったのが「世界に一つだけの花」でした。

金額までは発表されていませんが、作詞・作曲を担当した槇原さんに入った著作権料は10億円以上あっただろう、と言われています。

槇原さんの年収ベースで言いますと、いわゆる「長者番付」の歌手部門で第4位になった1998年は、1億9140万円の年収があったとされています。

1997年にリリースされ、100万枚以上を売り上げた2枚のベストアルバムの印税が入ったためだろう、と考えられます。

高校時代に坂本龍一のラジオで注目されていた

槇原敬之さんは16歳の時、大ファンだったYMOの坂本龍一さんのラジオ番組「サウンドストリート」のデモテープコーナーに応募し、「このままCDとして出せる』と太鼓判を押され、同番組では異例だったフルコーラスをオンエアされるという偉業を成し遂げました。

応募した楽曲は、「HALF」というタイトルで、本名ではなく「C・M・C」というアーティスト名で応募していました。

ちなみにその楽曲では、いとこである元・すかんちのROLLYさんがギターを担当していたそうです。

当時坂本龍一さんの妻だった矢野顕子さんもこのデモテープを聴き、「この子完成されてるわ」と言っていたそうです。


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