槇原敬之の若い頃&生い立ち。「どんなときも」は大学3浪中に誕生!高校ほか学歴まとめ

『もう恋なんてしない』『遠く遠く』ほか多くのヒット曲や、さまざまなアーティストに提供した名曲で知られる槇原敬之(まきはら のりゆき)さん。

若い頃からアーティストとして頭角を現していた槇原さんですが、今回は坂本龍一さんに絶賛されたデビュー前のエピソードを取り上げます。

幼い頃からピアノを習い、従兄とバンドを組むなど、音楽に親しんでいたという生い立ちについてもみていきます。

あわせて大学受験3浪中の『どんなときも。』誕生秘話や、出身高校など学歴もまとめました。

槇原敬之のプロフィール

愛称:マッキー

本名:槇原範之(まきはらのりゆき)

生年月日:1969年(昭和44年)5月18日

出身地:大阪市高槻市

身長:176cm

最終学歴:青山学院大学第二部文学部中退

所属事務所:株式会社ワーズアンドミュージック

槇原敬之は若い頃から坂本龍一に絶賛されていた

キャリアを重ねるにつれて、恋愛よりも人生の機微を温かな視点で描く歌を発表するようになった槇原敬之さん。

J-POPを代表するヒットメイカーの一人ですが、デビュー前からその才能を見抜いていたのが坂本龍一さんです。

槇原さんが高校生だった16歳のころ、坂本さんはラジオ番組『サウンドストリート』のパーソナリティをつとめていました。


同番組にはデモテープコーナーがあり、槇原さんは自作の楽曲『HALF』のデモテープを送ることに。

『HALF』を聴いた坂本さんは「よいバランスに仕上がっていて、言うことなし」と絶賛し、異例のフルコーラスで曲を流しました。

普通の高校生が作った曲がフルコーラスで放送されたのですから、光るものがあったことがわかります。

同曲はのちにデモテープコーナーでの優秀作品を収録したコンピレーションアルバム『Demo Tape-1』に収録されました。

つづいて1990年3月には、AXIA MUSIC AUDITIONでグランプリを獲得。

このときは大学受験に失敗して浪人中の身でした。

応募曲はデビューシングルとなる『NG』で、槇原さんは同シングルとアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』で、その年の10月25日にデビューします。

翌1991年には3rdシングル『どんなときも。』が映画『就職戦線異状なし』の主題歌やケンタッキーフライドチキンのCMソングに選ばれるなど話題を呼んで大ヒット。

槇原さんはデビュー2年目にして紅白歌合戦に初出場を果たします。

槇原敬之の生い立ちと従兄のROLLY

槇原敬之さんは大阪府高槻市生まれで、一人っ子です。

父親が電器店を営んでいる話は有名ですね。

兄弟姉妹がいないうえに両親とも働いていたため、幼少時は一人で絵を描いて遊ぶことが多かったそうです。

ピアノは5歳ではじめ、高校生までレッスンを続けていました。


ピアノに興味をもったきっかけは、保育園の先生が弾いた『エリーゼのために』の音色に心を打たれたから。

槇原敬之さんといえば、ロックバンド・すかんちのボーカル&ギターで知られるROLLYさんと従兄弟同士であることもファンにはおなじみですね。

ROLLYさんの母親と槇原さんの父親が姉弟というだけでなく、両家は仕事上でもつながりがあったのです。

電器店を開いたのはROLLYさんの実家が先で、槇原さんの両親は勉強のためにROLLYさんの実家で働いていた時期がありました。

槇原さんはROLLYさんとその姉たちとバンドのようなことをして遊ぶこともあったそう。

6歳年上のROLLYさんのことは兄のように慕っていたようで、AXIAのオーディションに応募した『NG』のサポートギタリストをつとめていたのもROLLYさんでした。

音楽性は異なるとはいえ、音楽を通じて仲のよいのがわかりますね。

身近に頼りになる人がいて、槇原さんも心強かったことでしょう。

音楽と親しみながら育った槇原敬之さんは、その生い立ちのおかげなのか、中学生になると友人とポップス同好会をつくって周囲に一目おかれるようになります。

大学受験3浪と『どんなときも。』誕生秘話

バブルが弾けつつあった1991年の夏、等身大の自分を描いた『どんなときも。』は若者たちの共感を勝ちとってヒットチャートを急上昇。

槇原敬之さんは一躍人気アーティストの仲間入りを果たします。

「どんなときも どんなときも」という印象的なリフレインに勇気づけられた人は少なくはないでしょう。

当時、槇原さんは22歳で、青山学院大学の1年生。

ところが、曲を書いた当の本人は人を元気づけるどころか、自分のことでいっぱいいっぱいだったのです。

『就職戦線異状なし』の主題歌のオファーを受けたとき、槇原さんは3浪中で、大学の合格発表を待っている最中でした。

デビューはしたものの、両親に心配をかけたくないという思いから、せめて大学には進学しなければという気持ちが強かったといいます。

受験の結果がどうであれ、自分は自分らしくありたいという思いをこめて、自分への応援歌を書こうと決めた槇原さん。

「どんなときも」というフレーズはすぐに浮かびましたが、ありきたりでつまらないような気もして、あれこれと悩みます。


思いきって「どんなときも」でいこうと決めたころ、大学合格の知らせが届きました。

青山学院大学文学部第二部英米文学科に入学したのは1991年4月です。

わずか2か月後の6月10日にリリースした『どんなときも。』はミリオンセラーを記録する大ヒットになりました。

音楽活動が多忙になった槇原さんは、入学直後の大学1年生のときに大学をやめています。

大ブレイクを果たしたことで両親も納得したのかもしれません。

槇原敬之の学歴まとめ

槇原敬之さんが青山学院大学に進学したのは、リスペクトする桑田佳祐さんの母校だったからといわれていますが、第一志望校は関西学院大学だったという情報もあります。

もともとミュージシャンで耳がよいうえに大学が英米文学科であれば、英語の発音に定評があるのも納得がいきますね。

ですが、前述のように槇原さんは青山学院大学を中途退学しています。

高校卒業後に大学へ進学して中退した場合、一般的に最終学歴は大卒とはなりません。

槇原さんは1985年4月に大阪府立春日丘高校に入学し、1988年3月に卒業していますから、最も高い水準の教育機関を卒業した経歴という意味では、最終学歴は大阪府立春日丘高校卒業となります。


中学校は高槻市立柳川中学校、小学校は高槻市立牧田小学校(現・玉川小学校)を卒業したことがわかっています。

発売未定延期となっていた提供曲のセルフカバーアルバム『Bespoke』を2022年3月にリリースした槇原敬之さん。

活動再開を心待ちにしていた多くのファンのためにも、息の長い音楽活動を期待したいですね。

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