秦基博の韓国人説に証拠なし。両親は音楽好き、兄が教師の噂。宮崎県出身&大学は法政大学

鋼と硝子でできた声と称されるシンガーソングライターの秦基博(はたもとひろ)さん。

韓国人という噂はなぜ広がったのか。

両親は何をしている人か、兄は教師をしているのか。

宮崎県出身で大学は法政大学を卒業するほどの高学歴なことなどをお伝えしていきます。

秦基博のプロフィール

愛称:はた坊

本名:秦基博

生年月日:1980年(昭和55年)10月11日

身長:178cm

出身地:宮崎県日南市

血液型:A型

最終学歴:法政大学経営学部卒業

所属事務所:オフィスオーガスタ

秦基博が韓国人という噂の真相は

秦基博さんは宮崎県生まれで横浜育ち、「鋼と硝子でできた声」と称されるほど透き通っていながらも力強い歌声で聴く人の心を魅了し続け、2014年にリリースした映画『STAND BY ME ドラえもん』の主題歌「ひまわりの約束」が大ヒットし、多くの映画、CM、TV番組のテーマ曲を担当しています。

そんな秦さんですが、一部ネットでは韓国人ではないのかという噂がありますが実際のところはどうなのでしょうか。


確かに「秦」という苗字は珍しく、あまり馴染みのない苗字ですので韓国か中国の方なのではないかという疑問も生じますよね。

秦さんが誕生した場所は宮崎県で、小学生の頃に親の仕事の都合で神奈川県へ引っ越して、そこで育ったことは明らかになっています。

そして、何よりも彼自身が日本人と公表しているので、日本人であることは確かです。

ネットでは秦さんの父親が在日韓国人で帰化したのではないかという書き込みも目にしますが、それについては確証は得られません。

根拠のない噂ではないでしょうか。

秦さんは少し日本人離れをした顔立ちの印象もあるので、噂が真実かのように広まったのかもしれませんね。

「秦」という苗字のルーツですが、聖徳太子の時代にユーラシア大陸の奥から朝鮮半島を経由してインテリジェンスな文化を日本へ持ち込んだ氏族のようです。

ですので、確かに遠い昔にさかのぼればご先祖さまは日本の方ではないですよね。

秦氏はユーラシア大陸のかなり奥まった地域の出身で、朝鮮半島を経由してやってきた渡来系氏族である。秦氏は6世紀頃から断続的に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来してきた。

また秦さんをネットで検索すると「韓国」「人気」というワードもよく見るので、どういうことなのかを調べてみました。

すると日本でも人気のある、韓国の歌手で俳優のユチョンさんが『ひまわりの約束』をカバーした動画を自身のTwitterやYouTubeチャンネルを通じて公開しているという事実がわかりました。

ファンミーティングでも披露したそうで、そのことについて秦さんの事務所もツイッターで反応をしています。

また、2022年には韓国ドラマ『梨泰院クラス』をテレビ朝日が日本版にリメイクした『六本木クラス』の挿入歌『残影』も担当しています。

そんなことで、韓国との縁もあるようなので韓国人説が広がったのかもしれませんね。

秦基博の両親

秦さんはご両親と2人の兄がいて、男3人兄弟の末っ子として宮崎県で誕生。

小学2年生のときに、父親の仕事の都合で神奈川県横浜市青葉区に引っ越しています。


ご両親についての詳しい情報は公表されていませんが、音楽は好きなご家族の中で育ったようです。

秦さんは幼い頃から音楽が好きで、童謡や音楽の授業で歌うような曲でも常に口ずさんでいたり、ご両親が歌っている曲を覚え歌ったりと日常に音楽があったと述べています。

――秦さんの作品は情景描写とかとても優れてるなって思いますね。では少し抽象的な質問をさせて頂きますが、秦さんにとって歌うことはどういうこと意味しますか?

秦:小さい時からというかギターを持つ前から普通に童謡とかみんなのうたとか音楽の時間に歌うような歌とかも常に口ずさんでいたり、親が歌ってた曲を覚えて歌っていたりとか、常に自然に歌っていたので、単純に楽しいことっていうのもあるし、やっぱり音楽として人に伝えるっていうことの重要なことなのかなというふうには思ってますね。

秦基博の兄が教師とは本当か

秦さんをネットで検索すると「兄は教師」というキーワードを多く目にします。

兄弟は兄が2人いることは事実なので、どちらかのお兄さんが教師なのかもしれませんね。

秦さんは高学歴で法政大学を卒業されているので、お兄さんも優秀な可能性は高いと思われるので教師ということもありそうですよね。

しかし、詳細な情報がないため真相はわかっていません。

ただ、現在(2023)の秦さんがシンガーソングライターになったきっかけを作ったのはお兄さんであることは間違いないようです。

僕も小学校高学年とか中学生ぐらいだったかな、本格的にギターを弾き始めたんです。それも家族の影響というか、兄がある日ギターをもらってきたというか、ボロボロのフォークギターを友だちから3000円ぐらいで買ってきたんです。それを兄が弾きだして、「自分もちょっとやってみたいな」と思って借りて弾き始めたのが最初です。それで一緒に歌も歌って。

あのときお兄さんが友達からボロボロのフォークギターを3000円で購入していなかったら、秦さんの現在(2023)は違っていたかもしれないですね。

秦基博の生まれ故郷は宮崎

秦さんの生まれ故郷は宮崎県日南市で、8歳で横浜へ引っ越すまではそこで育っています。

デビュー後には宮崎でライブイベントや全国ツアーの宮崎公演、そして2011年には口蹄疫(こうていえき)に見舞われた県の復興のたにライブを開催したりと生まれ故郷に恩返しをしています。

また、地元の日南市では7枚目のシングル『朝が来る前に』のジャケット写真を撮影。


この曲はデビュー前から歌ってきた秦さんの大切な曲の1つです。

アーティストブック『新しい歌』のロケも日南市でロケを行っています。

2019年には日南市で念願の初ライブイベントに開催しています。

秦基博の出身大学は法政大学

秦さんは高学歴ということはご存じでしょうか。

法政大学の経済学部で経営学を学んでいます。

大学の系列の高校から進学しています。

音楽活動としては、中学時代には作曲を始め、高校時代には楽曲制作を行うようになったといいます。

軽音楽部に所属してコピーバンドをしていたそうです。

高校時代の終わりくらいに、初めてコピーバンドとして観客の前で演奏したのを友人が見にきていて友人のバイト先のライブハウスを紹介してくれたそうです。

そんな縁で大学時代には横浜のライブハウスF.A.D YOKOHAMAに出演していました。

最初の頃はお客さんが5人だけ、しかも全員が友人でチケットも友人に買ってもらうことがほとんどだったので、観客からの反応を感じられない時期もありましたが、ライブハウスのオーナーは秦さんを評価していてアドバイスや相談にのって支えてくれていたといいます。


パンクやメロコアなど激しいバンドが出演するライブハウスで、月に1、2回開催されるアコースティックの弾き語りライブに秦さんは出演。

横浜を中心に渋谷や下北沢で弾き語りをするなど、本格的なミュージシャンとしての活動をスタートをさせました。

2004年にはインディーズでCDをリリース。

いろいろな悩みがあり曲が作れなくなった時期もあったそうです。

自分が書く曲ってどうなんだ? どんなライブをすればいいんだろう?……色々と考えるうちにわからなくなって、曲が作れなくなってしまった時期がありました。でも、そこで基本に立ち返って、自分が美しいと思うメロディーと、聴いてくれる人に伝わるシンプルな言葉を書けばいいんじゃないかと思えるようになったんです。そこからまた曲が生まれはじめた。あのとき迷い悩んだ経験が、一つの始まりだったように思います。

結局、秦さんの大学生活は音楽が中心だったので、4年間テスト以外ではあまり大学には行かない日々を送っていました。

大学卒業後の進路については、就職は考えずに音楽で生活をしていくと決めていたそうです。


バイトをしながら曲を作ってライブ活動をしているところを現在の事務所の人に声をかけられて、2006年にデビューが決定。

2008年にリリースした6枚目シングル『フォーエバーソング』は初のオリコン入り。

オリコンTOP10に入るヒットを遂げました。

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