大黒摩季の若い頃&全盛期の歌唱力がすごい!音域の変化は病気が原因


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大黒摩季(おおぐろまき)さんは、1992年5月に「STOP MOTION」でデビューしたシンガーソングライターです。

パワフルで低音から高音まで圧の変わらない歌唱力には定評があります。

ですが、大黒摩季さんは歌手活動の裏で常に婦人科の病気と戦ってきました。

そんな大黒摩季さんの全盛期の歌唱力と、病気治療のために変化せざるを得なかった音域などについてお伝えします。

大黒摩季のプロフィール

本名:大黒摩紀(おおぐろまき)

生年月日:1969年(昭和44年)12月31日

身長:161cm

出身地:北海道札幌市南区

最終学歴:藤女子高等学校卒業

所属事務所:ビーイング

大黒摩季の若い頃。全盛期に日本の女性に元気を与えた歌唱力

大黒摩季さんはデビューすると、2ndシングルの「DA・KA・RA」がミリオンセラーを記録し、第34回日本レコード大賞新人賞を受賞しました。

ロックでソウルフルでパワフルな女性シンガーの歌う、女性ならではのリアルな恋愛事情は多くの人の心を掴みました。

音域的には2オクターブ半以上もあり、全盛期はかなり広い音域をお持ちでした。


1996年にリリースされ、NHKのアトランタオリンピック番組のイメージソングとなった14枚目のシングル「熱くなれ」を例に見ると、下はmidG#から、上は2オクターブ上がってHiG#まで出ています。

オペラならまだしも、上がここまで出さなければいけないポップスというのは、そうそう存在しません。

このどう考えても素人が歌うのは不可能な楽曲に、当時の同年代の女性たちはカラオケで果敢に挑戦していました。

大黒摩季さんの声質に関しては、高音は抜けが良いながらも、地声が低いところにあるためにいわゆるキンキン声にはならず、聴きやすくかつパワフルな印象です。

逆に低音になればなるほどハスキーな成分が出てきて、音程の低い所でメロディを構成するAメロなどでは、かっこよさや気だるさ、バラードなどではせつなさを演出するのに最適な声質です。

ここまで良い声質だと、歌うために生まれて来た声帯と言っても過言ではありません。


心配になるのは、大黒摩季さんのような歌唱法、声質の方だと、腹式の発声はできていても喉への負担が気になります。

あまり酷使すると声帯ポリープができてしまいそうなタイプですが、これまでに大黒摩季さんに声帯プリープができた、という話はないため、相当喉はお強いのだと思われます。

女性歌手は声帯の構造上、年を重ねると高音が出にくくなります。

多くの歌手が往年のヒット曲を歌う時はキーを下げて歌っているのはその為です。

実は若い頃から病気との戦いで悩まされていた音域

大黒摩季さんは1992年にデビューし、いきなり大人気シンガーになりましたが、実は人前に出て「大黒摩季」としてライブをしたのは1997年と、デビューから5年もの月日が経ってからでした。

しかも初のお披露目ライブはレインボースクエア有明という会場で、観客は4万7,000人もの人が集まる大規模ライブでした。

そんな大事なライブを半年後に控えた頃、大黒さんは体調の変化を感じていました。

腹痛やむくみ、ハイトーンを出した時に腹筋が痛くなったりする事があり、「どうしてだろう?」と思っていました。

その事を相談すると、女性マネージャーから「もしかしたら婦人科の病気ではないですか。」と言われ、婦人科を受診すると子宮内膜症、子宮筋腫、子宮腺筋症を併発していたのでした。

そしてその病気のためにホルモン異常を起こし、それまでは出ていた高音が出なくなっていました。

病気を治療するためにホルモン治療をすると、体や声帯がむくみ、声が上ずったり、鼻腔が詰まるなどの、歌に支障が出る症状が出てきてしまいました。

だからと言ってこのまま病気を放置してしまうと、「将来子供が産めなくなるかもしれません。」と医師から診断されてしまいました。

当時まだ30歳をも迎えていなかった大黒摩季さんにとっては、とても大きな選択を迫られる事になりました。

そして大黒さんが出した結論は、「4万7,000人のファンと1000人以上のスタッフの期待を裏切る事はできない」でした。


きっと周りに相談すれば止められたでしょうが、大黒さんは誰にも言わずにこの選択をしました。

「人間や医学を信じて、きっと10年後にはもっといい治療法が生まれているはず」と自分に言い聞かせました。

そして大黒さんの声は元のパワフルさを取り戻し、ライブは大成功。

それ以降も全国ツアーを毎年行いました。

ですが、大黒さんの体はどんどん悲鳴を上げていきました。

大黒さんは33歳の時に結婚しましたが、夫になった方には「私はたぶん子供を産めないから、子供が欲しいなら私じゃない人がいいよ」と伝えた、と言います。

ですが、お相手の方は「少しでも可能性があるならがんばってみよう。」と言ってくれたので、不妊治療を始めました。

そしてまたホルモン治療との戦いが始まります。

子宮の病気を抱えながらの不妊治療は大きな負担になったと同時に、治療に使う薬は大黒さんの歌声のキーを下げました。

そのために「大黒摩季、全然声出てない」などと心ないバッシングを受けたりしました。


大黒さんは「不条理な世論はもうこりごり」とアーティスト活動を休止し、病気の治療と不妊治療に専念しました。

その後も力を尽くしましたが、2015年に子宮全摘出の手術を受け、代理母出産に望みを託しても子供を授かる事はできず、妊活は終了しました。

2016年8月に大黒さんは6年振りに復活ライブを行いました。

何度も手術をし、年齢も重ね、当然全盛期のような声は出ません。

一聴し「劣化したな」と思う方もいるかもしれませんが、歌の上手さは音域の広さだけではありません。

様々な事を乗り越え、それでももう1度歌おうと決めた大黒摩季さんの歌声に胸を打たれる方はたくさんいるでしょう。

2022年はデビュー30周年を迎え、全国47都道府県ツアーが行われました。

大黒さんは「自分で決めたんだから、ごちゃごちゃ言わずに決めた方向に進む」という気持ちで何でも選び取っているそうです。

その潔さや想いの強さは、今でも歌から受け取ることができます。

これからもパワフルな歌声で、日本に元気を与えていってほしいですね。


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