名曲『TRUE LOVE』や猿岩石の有名曲『白い雲のように』を楽曲提供したことなどで有名な藤井フミヤさん。
1983年にチェッカーズのボーカルとして芸能界デビューし数多くのヒット曲を世に送り出し一世を風靡しました。
そして2023年にはデビュー40周年を迎えます。
今回はそんな藤井さんの実家や前職について、またご両親についてお伝えしていきます。
藤井フミヤのプロフィール
愛称:フミヤ君、やっしゃん
本名:藤井 郁弥
生年月日:1962年(昭和37年)7月11日
身長164cm
出身地:福岡県久留米市
最終学歴:久留米市立南筑高等学校
所属事務所:株式会社FFM
藤井フミヤの久留米市の実家は解体されている?
人気歌手の藤井さんがどんな家で育ったのかは、気になる情報です。
ですが、調べてみたところ、その家はすでにないことがわかりました。
実家は福岡県久留米市
藤井さんの実家は福岡県南部の久留米市山川町にありました。
山川町はJR九州の御井(みい)駅が最寄り駅で、そこから徒歩約10分の場所です。
隣駅が「久留米大学前駅」と久留米大学にも近いので、穏やかな街並みながらも比較的生活しやすい環境だったのかもしれませんね。
そんな山川町ですが、読んで字のごとく「山」と「川」がつく穏やかな町ということもあり幼いころの藤井さんはそこでのびのびと育ちました。
そうした生活環境もあってか藤井さんは故郷愛が強いことでも有名で、久留米市の久留米市歌の作曲を手掛けたりくるめ市民カードのデザインを手掛けています。
また、福岡ソフトバンクホークスファンの間では有名ですがソフトバンクの応援歌である『勝利の空へ』を作詞・作曲され、毎シーズンの開幕戦頃に歌唱イベントがあります。
藤井さんもインタビューでこう話されています。
「いまはもう、東京で暮らしている時間のほうが長くなっているけれど、こうやって九州で生まれ育ったことは、いつも僕の根っこにありますね。」
九州の方は地元に愛着がある方が比較的多い印象ですが、こうした穏やかで過ごしやすい生活環境、そして人の温かさがあるからこそ地元愛が育まれ大人になってから地元に恩返しがしたいと思うようになるのかもしれませんね。
故郷の実家は今
藤井さんにとって愛着のある久留米市のご実家ですが、現在は解体されているようです。
自身も2023年現在で61歳と還暦を迎えており、母親も高齢となっているため実家を解体し引き払ったのでしょう。
父親も1995年に亡くなっているそうですので、高齢の母親を自宅に一人というのは嫌だったのでしょう、現在は施設に入っているという噂もあります。
藤井さん自身は東京を拠点に活動されており、東京に来るよう話を何度かしたようですがその話は断られているようです。
息子の立場からすれば故郷に一人でいさせるのも不安だとは思いますが、いつまでも住み慣れた久留米にいたかったのでしょうか。
そんな実家ですが、昔はプライバシーの概念があまりなく地元が知れ渡っていたファンの聖地としてよく巡礼もされていたようです。
お客さんに対して藤井さんの母親も良好な関係を築いていたようで、お客さんと食事したりすることもあったそうです。
久留米の温かい風土と人情がこうした素敵な関係を築いていたのでしょう。
実家は美容室
そんな藤井さんのご実家ですが、母親が美容室を経営していました。
夫婦共働きですが生活費も母親が出されていたようで子供2人(弟さんは尚之さんで、チェッカーズのサックス担当)を育てあげたのですから大変ご苦労があったのだろうと思われます。
息子さんが芸能人、しかもチェッカーズという時の人でもあったわけですからファンを含め多くの人に囲まれたでしょう。
しかしお客さんとの関係も良好だったようで、幼いころは少年時代の藤井さんにも気さくに話しかけてくれる関係性の方もいたそうです。
有名になった息子さんたちに傷がつかないように我慢して対応していたのかもしれませんね。
昔は今以上に無遠慮に訪れる方もいたような話もききますので。
こうした実家の環境があったことで、藤井さんが今でもファッショナブルでカッコいい男性なのはこのお母様の存在も大きかったのではないでしょうか。
父親も国鉄職員で、藤井フミヤの前職も国鉄職員
2023年現在はベテラン歌手の藤井さんですが、最初から芸能人だったわけではありません。
昔は、父親と同じ職場で働く一般人男性でした。
父親は国鉄社員
藤井さんのお父様は旧国鉄社員(現JR九州)でした。そして何よりチェッカーズに入る前の藤井さん本人も旧国鉄社員でした。
お父様の方は1995年に亡くなっているそうですが、長く国鉄の社員として勤めあげられ佐賀県の鳥栖駅長にもなっているそうです。
国鉄に入るだけでも簡単にできることまでではないでしょうし、その中でも駅長まで昇進するとなると大変仕事ができる方だったでしょう。
そんなお父様ですが、私生活では藤井さんとは不思議な関係だったようです。
自転車などの大きなものは買ってもらえるものの、生活費はださない。
退職金もどこかに消えていたそうです。
「だいたい自分のことを言わないし、休みに何をしているのかも分からない。よく殴られたし、怖かったですね。」
ご両親が共働きだったので生活はできていたのでしょうが、当時の家庭を考えても不思議な関係だったように思われますね。
藤井さんともあまり仲が良かったわけではなさそうです。
インタビューで良く殴られたとも語っていますし、バンドのデビューに関しても最後まで反対されたそうです。
同じくバンドメンバーだった弟の尚之さん(サックス担当)か藤井さんのどちらかが地元に残るよう言われたそうです。
最終的にはお二人のお母様の進めもあって兄弟そろってチェッカーズとして上京することができました。
もしあの時どちらかが残っていたらと考えると変わっていた藤井さん自身もチェッカーズも全く別物になっていたかもしれませんね。
藤井フミヤ自身も国鉄職員だった
実は藤井さんも、高校卒業後旧国鉄(現JR九州)に就職していたようです。
お父様も旧国鉄職員だったのコネかどうかは不明ですが、影響された側面はあったのかもしれません。
1~2年国鉄職員として働いています。
藤井さんが高校卒業後、鳥栖駅で半年ほど見習いとして業務に従事し早岐駅の構内係として貨物車両や旅客車両の連結作業をしていたそうです。
寝台列車として有名な「ブルートレイン」の連結作業もしていたとか。
作業としては走行する車両に飛び乗りブレーキをかけて制御し別の車両と連結させる業務のようで、分かりやすいながらもスキルが要りそうに感じます。
藤井さん自身は車両を待つ時間が長くてあまり忙しくなかったとインタビューで振り返っています。
こんなカッコいい駅員の方が作業されていたら思わず振り返ってしまいそうですね。
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