歌手でタレントの泉谷(いずみや)しげるさんは、若い頃どのような活動をしていたのでしょうか。
国籍についてや青森出身ということも、話題になっているようです。
都内の自宅は大きく、仕事場と兼用になっているのだとか。
また泉谷さんの兄弟についても気になります。
それでは早速見ていきましょう。
泉谷しげるのプロフィール
本名:泉谷茂(いずみやしげる)
生年月日:1948年(昭和23年)5月11日
身長:170cm
出身地:東京都目黒区
最終学歴:東京都立目黒高等学校中退
所属事務所:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
泉谷しげるは若い頃漫画家になりたかったがミュージシャンの道へ
ここでは、泉谷しげるさんの若い頃について見ていきましょう。
芸能界ではなく、漫画家になりたいと思っていた時期があったようですよ。
夢は漫画家で実際に投稿していた
幼い頃にポリオに感染し、足に後遺症が残ってしまった泉谷しげるさん。
そのせいか、体が弱く内向的な性格だったようです。
小学生の頃から絵が好きで、手塚治虫(てづかおさむ)さんのように漫画家になりたいという夢を持っていました。
好きなだけでなく才能もあったようで、何度か漫画雑誌に掲載されたことがあります。
18歳の頃に、手塚治虫プロダクションの漫画雑誌「COM」に投稿すると掲載されるという快挙が。
フォークシンガー泉谷しげるが若い頃に漫画家志望だったの意外に知られてない話。
その昔、泉谷は漫画誌ガロに投稿歴があり『トツゼン児』という作品を手塚治虫が批評をした逸話がある。
今年の紅白初出場が決まったけど、あの豪快な印象と相反する。 pic.twitter.com/LNZWyFQBe1— レバオン (@continental_777) December 3, 2013
手塚さんから批評された内容が、紙面に載ったのです。
「ヤングパンチ」などにも掲載されたことがありました。
シンガーソングライターとして、芸能界にデビューすると漫画を描く時間は減ったようです。
しかし2023年現在も漫画を描いているそうですよ。
2010年には「泉谷しげるコミック展 マンガは爆発だ!!」という展覧会を開催。
本業はミュージシャンですが、才能あふれる泉谷さんは時事漫画を描くなど多岐にわたって活動しています。
若い頃尖ったキャラを作り込んでいた
シンガーソングライターとしてデビューする頃、泉谷しげるさんはある困難に直面していました。
それは、「あがり症で内向的な性格だったのでデビューできるかな」という悩み。
そのような過去があったとは、信じ難いですよね。
悩んだ末に泉谷さんが出した結論は、「激しい雰囲気の尖ったキャラを作り込もう」ということでした。
その頃、RCサクセションのボーカル・忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんに憧れていたそう。
ライブで客に向かって「バカヤロー!!」と叫ぶ姿がかっこ良く見えて、同じような路線を目指したようです。
素の自分のまま静かな雰囲気のフォークソングを歌っていたら、今日の泉谷さんはいなかったということになりますね。
泉谷しげるの国籍は日本で青森には3歳までしかいなかった
泉谷しげるさんは、日本の国籍ではないのではという噂があります。
また青森出身でデビューしましたが、実際には3歳までしか住んでいなかったようですよ。
国籍が韓国というのは噂話に過ぎない
「泉谷しげるさんの国籍は韓国っぽい」と噂する人がいるようです。
韓国ドラマを見ていると、似たような雰囲気の俳優がいることは確か。
しかし、根拠は全くありません。
泉谷さんの国籍は日本のようですし、領土問題では日本を守る意見を発信していますよ。
竹島や尖閣諸島は、それぞれ韓国と中国とでどちらの領土かを争っていますね。
それに関して、2012年に相手国の活動家やスポーツ選手が「自分たちの領土だ」と言わんばかりの行為をしたことがありました。
泉谷さんは直後にあったイベントで、抗議をしています。
政治家が領土問題を発言すべきは政治家たちで、芸能人やスポーツ選手などがこのような問題に挑発をかけるのはいかがなものかと言いたかったのです。
世界平和や友好を呼びかける言動をするのが、エンターテイナーの役割なのではないかと考えていました。
レコード会社の意向で青森出身ということにしていた
泉谷しげるさんがシンガーソングライターとしてデビューした時、出身地は青森県ということになっていました。
間違ってはいないのですが、たった3歳までしか青森にいなかったのです。
実は、デビュー当時は地方出身のフォークシンガーの方が売れる時代でした。
そこで、会社の判断で青森出身ということにしたそうです。
年齢を数歳サバ読みしてデビューさせるということは、割とよくある話ですよね。
出身地も微妙に操作していたとは、タレントを芸能界で波に乗らせて売り出すことの難しさを物語っているようです。
実際は、泉谷さんは東京都内に長年住んでいました。
しかも、自宅は裕福で坊ちゃん育ちだったのです。
これもデビュー当時のイメージとは大きくかけ離れていますね。
泉谷しげるの自宅は5階建て位のビルで仕事場も兼用
泉谷しげるさんは、ビル丸ごと1棟を自宅として所有しているそうです。
以前は、娘の家族と3世帯同居していました。
しかし、2023年現在は1人で暮らしているとのこと。
その理由は泉谷さんの「愛情過多」にありました。
孫を溺愛するあまり、おもちゃなどを買い与え過ぎたのだとか。
それを娘が良く思っていなかったようです。
確かに、物の与え過ぎは教育上良くないという考えは一般的だと言えるでしょう。
「自立した方が良いだろう」ということになり、家を出たのでした。
娘夫婦は、東京・大田区で人気ラーメン店「横浜家系ラーメン いづみ家」を営んでいるそうです。
第二京浜国道馬込付近で食べた横浜家系ラーメンが、今まで食べた横浜家系ラーメンの中で一番美味かった。変わった味じゃないんだけど、家系の男塾的な雑さが無かった。澄み切った熱熱スープにコシのある中太麺。すっげー繊細でどストレートな家系。後で調べたら泉谷しげるさんの娘さん夫妻の店だった。 pic.twitter.com/M0RNON2gWC
— 塩田 泰造 (@TSgarp1) June 15, 2021
ここのラーメンは非常に美味しいので、評価・満足度が高いといいます。
「常に美味しいものを提供しようという気持ちが表れている」という賞賛の声も。
ちなみに外観のデザインは、泉谷さんが手がけたそうですよ。
このことからも、家族の仲は良好だということがうかがえますね。
泉谷さんの愛情の深さも、手にとるようにわかります。
泉谷しげるは5人兄弟の2番目だった
泉谷しげるさんは、5人兄弟なのだそう。
1940年代では、10人近くの兄弟がいる家庭も普通にありました。
2023年現在では考えられませんが、泉谷さんの場合だと兄弟が多いと思われることはなかったでしょう。
兄弟の構成ですが、兄と弟が1人ずつで妹が2人いるようです。
皆さん一般人のようで、詳細は公表されていません。
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